第72話 封印されたレオンの力
亜種核の“観測”は、攻撃より先に心を削ってきた。
黒い塊は空間の中心で静かに回り続け、そこから伸びる細い光が、一本ずつカイたちを測っていく。
視線ではない。
呼吸でもない。
もっと冷たい――判定。
レオンが前へ出た。
「近づくな……距離を保て」
声は落ち着いている。
だが、芯がわずかに擦れていた。
ミリアは悟る。
レオンは、これまでのどの敵よりも――こちらが不利だと理解している。
亜種核が、わずかに回転を速めた。
次の瞬間、音のない圧が広がる。
床がうっすらと波打ち、壁の曲線が呼吸するように揺れた。
物理的な衝撃ではない。
認識が歪む。
視界が遅れ、身体だけが先に重くなる。
「う……そ……立ってるのに、沈む……!」
ミリアが膝をつきかける。
レオンは即座に腕を伸ばし、彼女の肩を支えた。
「ミリア、下がれ。カイも――」
「大丈夫だ、まだ――」
言い終える前に、胸の光片が強く脈打った。
ドクン。
耳奥で、あの混線する声が掠める。
――まだ、だめ。
(わかってる……けど)
“まだ”が何を指しているのか、わからない。
だが、亜種核はわかっているようだった。
焦点の光が、カイの胸元で一瞬止まる。
次いで――レオンへ。
レオンの身体が、わずかに硬直した。
亜種核の周囲に、侵食の気配が立ち上がる。
黒い霧のように見えるそれは、実体ではない。
意味を削るもの。
触れた場所から、力の輪郭が、記憶の縁が、意志の形が――少しずつ削り取られていく。
レオンは一歩前に立ち、剣を構え直した。
「……来る」
次の瞬間、霧が走る。
レオンは受け、刃で払った。
だが霧は、刃の“外側”を滑るように抜けていく。
代わりに、剣を握る腕の手応えだけが薄くなった。
「っ……!」
霧が、二度、三度。
受けるたび、払うたび、レオンの足元が沈むように見えた。
床が沈むのではない。
世界が、レオンを押し戻している。
「レオン! このままじゃ――」
「下がれ、ミリア!」
振り返る余裕はない。
亜種核の焦点が、レオンの胸元に固定される。
光が、針のように細くなった。
――ギ、……ッ。
空間の音ではない。
レオン自身が、内側から軋む音だった。
カイは息を呑む。
(……今の、何だ)
レオンの背から、淡い光が漏れた。
いや――光ではない。
結界だ。
薄い膜が彼を包み、次の霧を弾く。
触れた霧の方が、意味を失って崩れ消える。
「……封印が……」
レオンの声が、歯の隙間から漏れる。
「こんなときに……!」
次の圧が来る。
結界が軋み、空間そのものが鳴いた。
ギギギ……。
床に継ぎ目が浮かび、壁の曲線に裂け目のような線が走る。
封印区画が、拒絶反応を起こしている。
「……空間が、割れる……」
「違う」
レオンが短く返す。
「私が……割ろうとしてる」
カイの背筋が冷えた。
「レオン、何を――」
答えはない。
彼自身、理解する余裕がなかった。
ただ一つ、わかることがある。
封印が、緩んでいる。
胸元で、見えない鎖が震えた。
術でも道具でもない。
存在そのものを縛る――根源的な拘束。
「Jが……抑えていたはずだ……!」
ミリアが目を見開く。
「J……?」
レオンは一瞬、黙った。
その沈黙が、答えだった。
亜種核が、その反応を記録するように揺らぐ。
焦点がわずかに太くなる。
理解が進んだ――
危険なほどに、興味が深まる。
結界が、今度は外へ押し広がった。
世界が、レオンを中心に再定義される。
(これが……レオンの力……?)
光片が、限界まで脈打つ。
――まだ、だめ。
――解いたら、戻れない。
だが、レオンは限界だった。
圧が増す。
鎖が鳴る。
封印区画が、泣くように軋む。
「……っ、くそ……!」
初めて、レオンの声に怒りが混じった。
「私は……この力を……!」
言葉が途切れる。
脳裏に焼き付く、過去。
冷たい視線。
淡々と告げられた声。
――監視する。
――封じる。
――必要なら、お前を“離す”。
守るためであり、
世界を守るための言葉。
だから、レオンは出なかった。
出せなかった。
自分が立つだけで、世界が裂ける可能性があるから。
それを一番知っているのが――J。
「……J……」
名を呼んだ瞬間、鎖がさらに緩む。
空間が、明確に歪んだ。
亜種核の揺らぎが、確信へ変わる。
――解ける。
――いまなら、引き出せる。
焦点が光り、霧が渦を巻く。
レオンが、完全に追い詰められる。
その瞬間――
封印の鎖が、“勝手に”外れかけた。
世界が、白くなる。
カイの胸に、突き刺さるような痛み。
――まだ、だめ。
だが戦闘は、すでに始まっている。
退路はない。
そしてレオンの封印は、誰の許可もなく――
いま、開きかけていた。




