第71話 侵食核・亜種
封印区画の中心は、異様なほど静まり返っていた。
遺構の奥へ進むにつれ、壁の曲線は不自然なほど滑らかになっていく。
床には継ぎ目がなく、削った形跡も見当たらない。
――作られた空間ではない。
最初から、「そう在ること」を前提に定義された場所。
「……ここが、中心?」
ミリアの声は、無意識に抑えられていた。
音が反響する以前に、**空間そのものが“音を拒んでいる”**ような感覚があったからだ。
円形の広間。
その中央に――何かが、浮かんでいる。
最初は影に見えた。
だが、目が慣れるにつれて理解する。
それは影ではない。
黒に限りなく近い、濃密な色の塊。
固体のようでいて輪郭はわずかに揺らぎ、内部には押し込められた光が、鼓動のように脈打っている。
――侵食者の核。
カイの脳裏に、過去に対峙した記憶がよぎる。
暴走し、喰らい、触れたものすべてを歪める、理性なき破壊の塊。
だが――
目の前のそれは、決定的に違っていた。
「……動かない?」
ミリアが、確かめるように呟く。
核は、距離を詰めても反応しない。
逃げもせず、威嚇もなく、攻撃の兆しすらない。
ただ――
“間”を取っている。
カイの背筋を、嫌な汗が伝った。
(……見てる)
根拠はない。
だが、確信だけがあった。
核の表面を、かすかな揺らぎが走る。
それは視線のようでもあり、呼吸のようでもある。
「……これは」
レオンが、低く息を吐いた。
その声には、いつもの冷静さがわずかに欠けている。
「普通の侵食者核ではありません」
「違うの?」
「ええ。
通常の核は、接触した瞬間に反応します。
壊すか、喰らうか――迷いはない」
レオンの視線は、核から一瞬も離れない。
「ですが、これは……
こちらを測っている」
その言葉が落ちた瞬間、空間の温度が一段階だけ下がった気がした。
「測る……?」
「どの程度の存在か。
どれほど危険か。
どこまで踏み込めるか――」
核の揺らぎが、ほんの一瞬だけ強まる。
カイは悟った。
(……こいつ、わかってる)
自分たちが、ただの侵入者ではないことを。
そして――自分が特に異質であることを。
光片が、警告するように強く脈打つ。
ドクン。
胸の奥がざらついた。
前で聞いた、あの混線する声が、微かに重なる。
――まだ。
「……下がってください」
レオンが一歩前に出た。
「レオン?」
ミリアの声にも、彼は振り返らない。
「これは……侵食核の亜種です」
「亜種……?」
「上位と呼んでもいい。
少なくとも、私の知る侵食者とは次元が違う」
核が、ゆっくりと回転した。
音はない。
だが、空間が僅かに歪む。
それは攻撃ではない。
観測。
「……見られてる」
ミリアが後ずさる。
「ええ」
レオンは静かに続けた。
「これまでは、私たちが世界を観測する側でした。
ですが、これは違う」
声が、低く沈む。
「これは――
私たちを、観測してくる側です」
核の中心に、細い光の線が走った。
焦点を合わせる、眼のように。
その瞬間、レオンの直感が警鐘を鳴らす。
(……危険だ)
理由はいらない。
封印の奥に眠る“何か”が、悲鳴を上げている。
「……これは、ヤバい」
レオンは断言し、構えた。
「カイ、ミリア。
これは話し合う相手じゃない」
「まだ、襲ってきてない!」
「だからです」
即答だった。
「“今は”観察しているだけ。
理解が終われば……次に来る」
核の揺らぎが、微妙に変質する。
結論に近づいた――そんな気配。
「……俺を見てる」
「でしょうね」
レオンは一瞬だけカイを見る。
「あなたは、観測の外側に触れている。
こいつにとっても、無視できない存在だ」
光片が、限界まで輝く。
混線する声が、はっきりと届いた。
――まだ、だめ。
だが、待ってはくれない。
核の周囲に、侵食の気配が立ち上がる。
「来るぞ!」
次の瞬間――
観測される側だった世界が、反転した。
彼らはもはや、見る者ではない。
見られる存在として、戦闘へ引きずり込まれる。
物語は、確実に一段階、深みに踏み込んだ。
――この敵は、ただ壊すための存在ではない。
理解し、選び、
そして――こちらを試している。
それを悟った時には、
すでに退路という概念は、消えていた。




