第7話 森のほころびと、世界の“監視者”
追加検査の翌日。
本来なら澄んでいるはずの朝の空気に、街全体のざわつきが混じっていた。
露店では商人たちがひそひそと耳打ちし、
行き交う住民たちの顔には、不安の色が濃く浮かんでいる。
“街の魔力が落ち着かず、ざらついている”――
そんな噂があちこちでささやかれていた。
「……森の奥で、魔力反応が乱れてるって?」
市場で様子を探っていたミリアが眉を寄せる。
火属性の魔術師として、こうした異変には人一倍敏感だ。
「魔獣の巣が動いたって話もあるみたい」
「実際はどうなんだ?」
「確かめに行くしかないね。カイ、一緒に来てくれる?」
ミリアが、不安を隠しきれない表情で見上げてくる。
昨日の追加検査のあとだからこそ、カイをひとりで放っておきたくないのだろう。
その瞳には、“心配”と“覚悟”が入り混じっていた。
「行くよ。どうせ暇だしな」
カイは軽く笑ってみせる。
けれど胸の奥では、昨日見た魔術陣の“歪み”が、まだ重く引っかかったままだった。
(……魔法が歪んで見えるのは、本当に俺だけなのか?)
答えの出ない疑問を抱えながら、二人は森へ向かった。
◆森の入り口
森の入り口には、すでに何人かの住民と術師が集まっていた。
中央では、土属性の青年が地面に手を当て、魔力の流れを探っている。
「気をつけてください! 魔獣が巣を動かした可能性が――っ!」
青年が術式を展開した、まさにその瞬間。
「お、おい! 魔力が安定してないぞ!」
「えっ……あ、しまっ――!!」
展開中の魔法陣がぶれた。
次の瞬間、ぼんっと鈍い音を立てて地面が跳ね、木片が四方へ飛び散る。
「カイ!!」
ミリアの叫びと同時に、その木片のひとつがカイの肩に突き刺さった。
「っ……!」
鋭い痛みが走る。
魔法そのものはカイに“効かない”のに、魔力の影響で飛んだ破片は普通に刺さる――
そのちぐはぐさが、かえって現実感を強めた。
「ちょっと何してるのよ!!」
「すみません! 魔力の流れが乱れて、制御できなくて……!」
青年が青ざめた顔で頭を下げる。
ミリアはカイの肩にそっと手をかざし、簡易治癒の術を施した。
「痛くない? 腕、動かせる?」
「大丈夫。……魔法は消えるけど、木片はそのまま刺さるんだな」
カイが冗談めかして言うと、ミリアは逆に眉をひそめた。
「それ、やっぱり普通じゃないよ。
魔法が無効化されてるなら、魔力に弾き飛ばされた物も一緒に消えていいはずなのに……」
「……俺にも分からない」
答えは出ないまま、不安だけがじわじわと胸に広がっていく。
◆森の奥へ
二人はさらに森の奥へと足を踏み入れた。
魔力の波は穏やかなはずなのに、空気はざらつき、重い。
風が吹いていないのに木々の枝が揺れ、影が奇妙な形にねじれて見える。
「カイ……やっぱり変だよね」
「ああ。たぶん――あれだ」
カイが指差した先に、それはあった。
黒い“穴”。
穴、と呼ぶにはあまりにも不自然なそれは――
世界の布が破れ、内側が見えてしまったかのような“空間の裂け目”だった。
その部分だけ、光が沈んでいる。
触れている木々の輪郭がゆがみ、ゆらゆらと揺れる。
「……?」
ミリアが目を細める。
「カイ、何もないよ?」
やはり、ミリアには視えていない。
(俺にだけ、視えている)
黒い裂け目は、生き物のように脈動し続けていた。
昨日見た魔術陣の歪みと、同じ“種類”の違和感。
(この世界……本当に、正しく動いているのか?)
背筋に冷たいものが走る。
――その瞬間。
“視線”が降ってきた。
遠く、世界の外側。
どこか分からない場所から、こちらをじっと見つめる視線。
(……まただ)
森のざわめきが遠ざかる。
黒い裂け目だけが、やけに鮮明になる。
――誰かに、見られている。
――俺を、観察している。
それは魔獣のような生々しさでも、
魔術師の魔力とも違う。
もっと冷たく、感情の温度が一切ない。
ただ「観測する」ことだけを目的にしたような、無機質な視線。
「カイ!? カイ!! 顔色悪い! 一回離れよ!」
ミリアが腕をぐっと掴んだ瞬間、視線はふっと霧散した。
だが、完全に消えたわけではない。
あくまで「今日はここまで」と区切りをつけるように、意図的に引いていった感覚があった。
(……やっぱり、“誰か”が干渉している)
胸の奥で封印が震え、小さく軋むような痛みが生まれる。
◆森を離れて
「カイ、本当に大丈夫なの……?」
森を離れてからも、ミリアの声には不安がにじんでいた。
カイは呼吸を整えながら、短く答える。
「ああ……。ただ――」
言いかけて、言葉を飲み込む。
ミリアには“視えていないもの”を、今の情報だけで説明することは難しすぎる。
むしろ余計に心配させるだけだろう。
だから、別の言い方を選ぶ。
「今日は、これ以上近づかない方がいいと思う。……嫌な感じがする」
「……うん。分かった。今日は一回、引こう」
ミリアはそれ以上は追及しなかった。
その歩幅には、あからさまな心配が滲んでいる。
カイは最後にもう一度、森の奥を振り返った。
黒い歪みは――まだそこにあった。
ゆらゆらと揺れ、世界に刻まれた裂け目のように、静かに脈動し続けている。
(……あれは、何かの“入口”だ)
昨日の魔術陣の歪み。
今日、森にあらわれたほころび。
そして、遠くから向けられたあの無機質な視線。
そのすべてが、一本の線でつながっていく感覚があった。
(俺は――この世界に“完全には属していない”)
そんな予感が、ゆっくりと胸の底を占めていく。
遠くで風が鳴いた。
黒い穴は、何かを告げるように、ひときわ大きく揺れた。
――この世界の“観測者”たちは、すでにカイの存在を確かにはっきりと捉えている。




