第65話 呼び声の方向
Jのノイズが完全に消えたあと、
三人はしばらく言葉を失っていた。
森は相変わらず静まり返っている。
だが、先ほどまでとは違う。
何かが“起きる直前”の沈黙が、肌に張りついていた。
その沈黙を破ったのは──
カイの手の中の光片だった。
トクン……
トクン……
規則正しい。
だが、明確な“意思”を伴った脈動。
しかも、その光は先ほどより強く、
まっすぐ一方向へ傾いている。
「……奥だ」
カイは、自分でも驚くほど自然に呟いていた。
「奥?」
ミリアが顔を上げる。
「空白域の……もっと奥だ。
さっきまでとは違う。
“あっちだ”って、はっきり言ってる」
光片は、迷いなく森の深部を指していた。
地図から消され、記録も抜け落ちた、
最も危うい場所を。
レオンが静かに頷く。
「ええ。
光片の反応が、明確に“一点”へ収束しています。
偶然ではありませんね」
カイは、光片を握る手に違和感を覚えた。
冷たい石のはずなのに、
体温に近い、わずかなぬくもりがある。
──それだけではない。
胸の奥が、じわりと震えていた。
(……誰か、いる)
音でもない。
言葉でもない。
それでも確かに、
**こちらを見ている“何か”**の気配があった。
「……呼ばれてる」
カイがそう言うと、
ミリアは一瞬、言葉を失った。
「呼ばれてるって……誰に?」
「わからない」
カイは即座に首を振る。
「でも……Jじゃない」
それだけは、はっきりしていた。
Jのノイズには、焦りと切迫があった。
だが、今感じているものは──
静かで、やさしく、
それでいて揺るがない。
拒絶する力ではない。
ただ、「来てほしい」と願われている感覚。
ミリアは表情を引き締め、
レオンから渡されていた記録板を取り出した。
「待って。カイ、そのまま動かないで」
「え?」
「今のカイ……少し、おかしい」
記録板の表面に、淡い光の筋が浮かび上がる。
ミリアはそれを食い入るように見つめ、息をのんだ。
「……やっぱり」
「何かわかったのか?」
レオンが静かに問う。
「カイの“流れ”に……別の揺れが重なってる」
「別の揺れ?」
「うん。
影でも、反転現象でもない。
もっと……やさしい。でも、はっきりした干渉」
ミリアは言葉を探すように、少し黙り込んだ。
「例えるなら……
カイの中に、もう一つ心臓があるみたい」
カイは思わず胸に手を当てた。
確かに感じる。
自分の鼓動とは別の、静かなリズム。
それは、光片の脈と重なっていた。
「……危険なのか?」
カイが尋ねる。
「わからない」
ミリアは正直に首を振る。
「見たことのない反応。
だから、敵か味方かも判断できない」
レオンが一歩近づき、
カイをまっすぐに見据えた。
「カイ。
あなたは今──“選ばれている状態”にあります」
「選ばれてる……?」
「はい」
レオンは静かに言う。
「誰かが、あなたにだけ手を伸ばしている。
光片は、その呼びかけに共鳴しているのでしょう」
ミリアが不安そうに言う。
「でも……なんでカイなの?」
それは、カイ自身が最も知りたいことだった。
「俺、特別なことなんて……」
その言葉を、レオンはやさしく遮った。
「“選ばれる”理由は、力や才能ではありません」
一拍置いて、続ける。
「むしろ……
声が、届いてしまう者が選ばれる」
「届いてしまう……?」
「ええ。
願いに。痛みに。助けを求める気配に。
それらを、無視できない者です」
その言葉は、不思議と胸に落ちた。
カイは思い出す。
これまで、目を背けられなかった場面。
誰かが苦しんでいるとき、
放っておけなかった自分。
光片が、再び強く脈打った。
──こっち。
言葉ではない。
だが、確かな“方向”が胸に響いた。
「……聞こえた?」
ミリアが小さく尋ねる。
「声じゃないけど……」
カイは頷く。
「確かに、そう言われた気がする」
ミリアは記録板を見つめ、ゆっくり息を吐いた。
「干渉、強まってる。
でも……怖くない」
「怖くない?」
カイが聞き返す。
「うん。不安はあるけど……拒絶じゃない」
少しだけ、微笑む。
「むしろ……ずっと待ってた、って感じ」
レオンは森の奥を見据え、低く言った。
「……その声の主は、あなたを探していたのでしょう」
「俺を……?」
「はい」
レオンは静かに頷く。
「光片ではなく──あなた自身を」
背筋に、静かな震えが走る。
それは恐怖ではない。
もう戻れない場所に足を踏み入れたという実感。
「ねえ、カイ」
ミリアが少しだけ笑った。
「選ばれたなら……逃げられないよね」
「……そうだな」
光片は、もう迷っていなかった。
空白域の、さらに奥。
そこにはきっと、
名前も姿もわからない“誰か”がいる。
「行こう」
カイは言った。
レオンは深く頷く。
「ええ。この呼び声の先に……答えがあります」
三人は歩き出す。
森の奥へ、空白の中心へ。
光片の脈は、
まるで再会を待つ心臓のように、
温かく、確かに打ち続けていた。
──まだ、声は名を名乗らない。
だが、
その呼びかけは、もう始まっている。
選ばれた者だけに届く、最初の声として。




