第61話 脈打つ光片
反転域での戦いのあと、三人は体力の回復と街の混乱を避けるため、
近くの山中にひっそりと佇む小さな山小屋へ身を寄せていた。
ミリアは見違えるほど回復していた。
影に呑まれていたのが嘘のように、呼吸は穏やかで、顔色もいい。
レオンも装具を装着してからは精神の均衡を取り戻し、
ひとまずの危機は去った──そう思わせる静けさがあった。
夜の山小屋は深く、静かだった。
外では風が木々を揺らし、葉擦れの音が遠くで重なっている。
室内には三人分の寝息が控えめに溶け合い、
ようやく訪れた“何も起こらない時間”を感じさせていた。
──だが。
カイは浅い眠りの底で、
違和感だけを先に拾い上げた。
ドクン。
すぐ傍で、
小さな心臓が打たれたような感覚。
はっとして目を開く。
枕元で、“光片”が赤く明滅していた。
「……嘘だろ」
光片が光ることは、これまでもあった。
だがそれは、外界の変化に反応した時だけだ。
今のそれは──まったく違う。
ゆっくりと、確かに。
生き物の鼓動そのもののように、脈を刻んでいる。
「ミリア、レオン……起きてくれ」
二人は眠そうに身を起こしたが、
光片を目にした瞬間、表情が凍りついた。
「……なにこれ。ほんとに、脈みたい」
ミリアが息を潜める。
「不思議ですね」
レオンは落ち着いた声で言い、そっと手をかざした。
「まるで、意思を宿した光だ」
その通りだった。
これは単なる反応ではない。
何かを、伝えようとしている。
カイの胸の奥がざわめく。
その時、レオンが静かに口を開いた。
「……Jに連絡してみるべきかもしれません」
「え、Jに?」
ミリアが眉をひそめる。
「街で一度姿を見せただけで、連絡も取れなくなったあいつに?」
「はい。彼は観測者の中でも、特に異常事象に精通していました。
もし光片の変化に心当たりがあるとすれば……彼でしょう」
丁寧な口調とは裏腹に、
レオンの目には明確な警戒があった。
J──
頼れる存在というより、
何かを知っていて、決してすべてを語らない男。
思い返せば、彼はカイを“観察”するような視線を向けていた。
それが、今になって引っかかる。
レオンは端末を取り出し、操作する。
──ピッ。
《エラー:応答なし》
「……おかしいですね」
手順を変え、再度試す。
《応答なし》
「やはり……つながりませんか」
ミリアが不安げに言った。
「無視されてる……とかじゃないよね?」
「ええ。彼はそういう人物ではありません」
レオンは静かに否定する。
「呼べば、必ず“気配”だけは返す人でした」
たった一度の会話。
それでもJは状況を正確に把握し、
最小限の言葉で核心を突いてきた。
「応答がないのは……むしろ、不自然です」
その言葉に、空気が重く沈む。
「じゃあ、Jは……」
カイが息を詰める。
「話せない状況にあるのでしょう」
レオンは断言した。
「黙っているのではありません。黙らされている」
ミリアが小さく身をすくめた。
「……なんか、嫌な感じ」
その瞬間だった。
光片の脈が、急激に速まった。
「カイ……さっきより、速い!」
ミリアの声が震える。
「こんなふうに、誰かを呼ぶみたいな反応……ある?」
「少なくとも、私は知りません」
レオンの視線が闇へ向く。
カイは光片を握りしめた。
脈に合わせて、赤い光が一定の方向へ引かれている。
「……カイ」
レオンが低く言う。
「あちら側の気配が、異様に薄い」
「薄い?」
「ええ。空気が抜け落ちたような……
存在の輪郭が、欠けている感覚です」
ミリアも唾を飲み込んだ。
「この脈……
“こっちへ来て”って、言ってる気がする」
──呼ばれている。
光片が、何かに応えている。
「行こう」
言葉は、自然に口をついて出た。
「危険かもしれません」
レオンが確認する。
「わかってる。でも……」
カイは視線を逸らさなかった。
「行かないほうが、もっと危ない気がする」
ミリアが静かにうなずく。
「……うん。そんな感じ」
三人は山小屋の扉を開け、夜気の中へ踏み出した。
森の闇は静かで、
何かを隠しているようにも見える。
光片を掲げると、赤い脈動が道を描くように前へ伸びた。
「やはり……あちらですね」
レオンが言う。
「その先に、何があるんだろ」
ミリアがつぶやく。
カイは深く息を吸い、歩き出した。
手の中で脈打つ光片は、
もはや“道具”ではなかった。
必死に、
理由を伝えようとする存在のようだった。
光片だけが答えるように脈を刻み、
三人を導く。
暗闇の奥へ。
まだ誰も知らない、
**「知ってはいけない理由」**の待つ場所へ──。




