第6話 魔法拒絶の値と、噛み合わない世界
午前の空はいつもより高く澄み渡り、塔の最上部まで青が鮮やかに染まっていた。
街の中央にそびえる《魔術師団本部》。
白い大理石の柱が並ぶ重厚な玄関前で、カイは静かに立っていた。
その背後では、腕を組んだミリアが落ち着かない様子で足を揺らしている。
火属性の魔導士として街で名の知れた彼女が、こんなにそわそわしているのは珍しい。
「……ほんとに来なくてよかったんじゃない? 昨日の討伐でじゅうぶん活躍したし、追加検査なんて形だけのはずだよ」
「呼ばれた以上は行くよ。新人たちを助けられたとはいえ……迷惑もかけたし」
「迷惑なんてかけてないよ!」
ミリアは即座に言い返すが、すぐに眉間にしわを寄せた。
「でもさ……魔術師団が追加検査を出すって、“異常値”が出た時だけなんだよね。何が引っかかったんだろ」
カイは答えられなかった。
――昨日、森での戦闘で。
カイには、ミリアの魔法が“普通の魔法”に見えていなかった。
(俺だけ……魔法が歪んで見える)
魔力の流れが揺れ、魔法陣は構造を持たずに霧のようにほどける。
この世界が、どこか“つぎはぎ”で作られたように見えた。
(どうして俺だけ……?)
胸の奥で小さな歯車が噛み合わず、カリ、と軋むような嫌な感覚。
その時、玄関が重々しく開いた。
「カイだな?」
白衣をまとった魔術官が現れ、無機質な眼差しを向けてきた。
その目は、カイを“人間”ではなく“対象物”として観察するような冷たさがあった。
「君の魔力反応が“ゼロ”という報告が来ている。本来、無属性でも微量の魔力は観測されるはずだ。念のため、もう一度検査させてもらう」
「……分かりました」
「カイ、無理しなくていいよ?」
ミリアが袖をつまんで引き止める。
カイは微笑んで見せた。
「大丈夫だよ」
その声は穏やかだったが、胸の奥では微かな痛みがうずいていた。
◆塔の内部――視えてはいけない歪み
魔術師団本部は、中央をくり抜いた吹き抜けを囲むように階層が螺旋状に積み上がった巨大な塔だった。
中心には淡く光る《魔導炉》が稼働している。
しかし――
(……まただ。歪んでる)
魔導炉の光は、カイの目には“割れて”見えた。
格子状に裂けた光。
完璧な円形のはずの輪郭に、黒い縦線。
普通の人間には絶対に見えない“世界のエラー”。
「カイ、顔色悪いよ。平気?」
「ああ、平気だ」
答えながらも、視界の端ではひび割れた光が揺らぎ続けていた。
(魔法が……まるで“別の言語”みたいに見える。
俺だけが違う世界を読んでる……そんな感覚だ)
◆検査室――魔法拒絶値
案内された検査室は、床一面に大きな魔術陣が刻まれていた。
精密な魔力測定のための、何重もの幾何学模様。
「ここに立ってくれ。魔力の流れを観測するだけだ」
カイは中心に立ち、ミリアはガラス越しにじっと見つめている。
魔術官が装置を起動すると――
本来なら魔術陣が赤く光を放つはずだった。
だが。
(……歪んでる。やっぱり)
カイの視界で、魔術陣がぐにゃりと曲がり始める。
線はほどけ、形は崩れ、知らない“別の図形”へ書き換わった。
まるで――
カイが触れた瞬間だけ世界の“設計図”が差し替わるように。
「……ッ!」
胸の奥に鋭い痛み。
封印が軋むような嫌な音が頭の内側で響いた。
「なっ……なんだ、この反応は!?」
魔術官が椅子から飛び上がる。
「魔力ゼロ……どころか、《魔法拒絶値》が通常の百倍以上だと……!? 前例がない……!」
室内の空気が張り詰める。
「ちょっと! カイに変なことしたら許さないからね!」
ミリアが駆け寄ろうとするのを、カイが手で制する。
「大丈夫。何も感じてない」
――実際は、はっきり感じていた。
“世界”と自分がぶつかるような感覚。
検査装置が揺らぎ、空間が波打つ気配。
それを認識できたのは、この場でカイだけだ。
「……検査はここまでだ」
沈黙のあと、魔術官が告げた。
「結論から言うと――カイ。君には魔法が“作用しない”。
攻撃も補助も精神干渉も、属性変化も。
すべての魔法が君の体に触れた瞬間、消える」
ざわり、と空気が揺れた。
「そんな人間が……?」
「魔法の“外側”にいるような……」
「いや、理論上ありえない……」
カイの胸に、冷たい感触が落ちる。
せっかく馴染めた日常で、また“異物”として扱われるのか――
そんな考えが頭をかすめた。
「もうやめて!」
ミリアが前に飛び出した。
「カイは普通の人! 魔法が使えないだけで危険なんかじゃない!」
(……ありがとう、ミリア)
心の奥に小さな温かさが生まれる。
◆塔の外――それでも続く世界の歪み
検査は形式上終了した。
最後に魔術官が意味深な言葉を残す。
「正式な通知は後日だ。……覚悟しておけ」
* * *
塔を出ると、冷静で透明な空気が肺に流れ込み、カイはようやく息をついた。
「カイ、本当に平気?」
「うん。……でも、一つだけ分かったかもしれない」
「え?」
「どうして俺には魔法が歪んで見えるのか。
――もしかしたら、俺は“魔法そのものと相性が悪い”んだ。
この世界の仕組みと、根本的に」
ミリアはぽかんとした。
「なにそれ。カイはカイでしょ? それ以外じゃないよ」
いつもと同じ調子の言葉が、胸にしみる。
(でも……)
その瞬間、カイの頭に断片的な光景が走った。
――燃える星。
――崩れ落ちる塔。
――響く悲鳴。
――そして、誰かの声。
『その力は危険だ。……封印するしかない』
「……ッ」
頭痛が弾け、視界が揺れる。
「ほら、帰ろ? 今日は私が夕飯作るから! 辛いのでもいい?」
ミリアの明るい声が、揺れた意識を引き戻した。
「……ああ。頼むよ」
そう言って微笑むカイ。
その笑みの裏に潜む“不安”と“正体の影”を――ミリアはまだ知らない。
世界の歪みは、音もなく確実に近づいていた。




