第59話 双龍斬
カイの影は腰の高さまで剥がれ、黒い糸となって宙へ引きずり上げられていた。
足元にあるはずの影が“地面から離れて揺れる”という異常。
胸の光片が逆方向へ必死に脈打つが――それでも止まらない。
巣の中心に浮かぶ“黒い核”は、静かに震えていた。
その振動は音ではなく、空気の概念を歪ませるような波。
そして、核の表面がゆっくりと割れた。
◆
黒い霧が裂け、深淵が露出した。
ただの闇ではない。
光も影も届かず、法則が記録されない“外側の穴”。
「……外側と……繋がって……いる……?」
レオンが震える声で呟く。
観測殻なしの脳が理解しようとして悲鳴をあげていた。
黒い裂け目から伸びてきたのは、
細い影の束が絡まり、一つの“手の形”を成したもの。
しかしそれは、人間の手ではなかった。
骨格も肉も持たず、ただ「手」という構造だけを模倣した異質な存在。
影の手はゆっくりと開き、
まるで“熟れた果実を取る”ように、カイへと伸びる。
「来る……ッ!」
カイは剣を構え直すが、
影の引力に身体の抵抗が追いつかない。
影を掴まれれば、存在ごと引き抜かれる――そんな確信が背筋を冷やす。
◆
そのとき。
胸の光片が悲鳴のように脈動した。
直後、影の裂け目とは逆方向に――
世界が“白へ裂けた”。
黒とは対極でも色でもない。
空間そのものが紙のように破れ、内側が白へ染まって開く。
「……白い夢……!」
その奥から、声がした。
「カイ……」
「こっち……」
「もどって……」
少女の声。
泣きそうで、震えていて、どこか懐かしい。
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
呼吸が苦しくなるほどに。
(会いたい……
あの声に……)
だが――
◆
黒い裂け目から伸びた影の手が、
カイの“浮いた影”へ触れようとしていた。
「やめろッ!!」
剣で払おうとするが、影が剥がれすぎて力が入らない。
影の手は、幼い声とも老人の声とも言えない歪な囁きを放つ。
「すき……
ほしい……
きみのかたち……」
手が影に触れた瞬間――
「ッ……!!」
カイの胸に激痛が走る。
身体から“大事な何かが引き抜かれる感覚”。
視界が白く跳ね、膝が沈む。
◆
その瞬間、光片が爆ぜるように輝いた。
カイの奥底で、何かが“目覚めた”。
それは力ではない。
怒りでも恐怖でもない。
もっと深いところにあった――
「譲れないもの」。
――俺の形は、俺のものだ。
その意思が、剣へと流れ込む。
腕の内側から蒼白い光が走り、
剣を握る手が熱を帯びた。
◆
白い裂け目の奥から、少女の声が重なる。
「カイ……
その力……
あなたは覚えてる……
まだ全部じゃないけど……
撃ち返して……!」
少女の声は優しいのに、
言葉には確かな“力”が宿っていた。
その囁きに呼応するように、
カイの剣は蒼白く光る。
◆
レオンはその光を見て、息を呑んだ。
「あれは……なんだ……?
深層にも反転にも属さない……
世界のどの層にも……記録がない……!」
理解不能。
しかし、否応なく“強い”と理解できる光だった。
◆
カイは身体を引き裂くような痛みに耐えながら剣を構える。
本来、この構えは取れないはずだ。
記憶のどこかに微かに残っている“必殺技の姿”。
今のカイには再現できるはずがない。
しかしその形は――
白い裂け目の奥から伸びた“光の手”によって支えられた。
少女がそっと、欠けた部分を補った。
それは技の完全な再現ではない。
だけど、形だけなら作れる。
(……思い出せ……
身体が……覚えてる……!)
◆
「――双龍斬ッ!!」
その叫びとともに、剣を振り抜く。
蒼白い光が尾を引き、
一筋の龍の形を成して核へ突き抜けた。
本来の双龍斬のように完璧ではない。
揺れ、不安定で、尾が崩れ、音が歪んでいる。
だが確かに――
“必殺技の残響”だった。
◆
龍の光が核へ触れた。
核が悲鳴を上げるように震え、
影の裂け目が縮み、
カイの影を掴む手が強制的に弾き飛ばされた。
「……っ、はぁ……!」
カイの影が身体に戻る。
さっきまで空へ引かれていた影が、しっかりと足元へ吸い付く。
未完成の双龍斬は――
それでも“核の装甲”を砕く威力があった。
◆
レオンは倒れ込みながら呟く。
「……カイ……
何を使った……
あんな干渉……世界に存在しない……
お前の中の……何だ……?」
理解不能。
ただ、恐ろしくも美しい光の奔流が、
反転域の中心を叩き折ったのだけは確かだった。
◆
白い裂け目の奥から、少女の声がかすかに響く。
「カイ……
まだ終わらない……
でも……大丈夫……
あなたは……もう奪われない……」
風に溶けるように消える声。
白い裂け目は静かに閉じた。
◆
カイはふらつきながら立ち上がる。
呼吸は荒い。
身体は震える。
それでも――目は核を捉えていた。
(……終わらせる……
ミリアも、レオンも……
そして俺自身も……守るために)
砕かれた核は黒い霧を漏らし、
反転域全体が怒涛のように揺れ動いた。
だがもう、影はカイから“形”を奪えない。
未完成の《双龍斬》が――
確かに戦場の流れを変えた。




