第57話 光片の脈動
影の巣は、ただ脈動しているのではなかった。
生まれようとする何かを抱えた巨大な器官のように、張りつめた闇の鼓動を周囲へ放ち続けていた。
黒い霧は濃く、ねっとりとした湿り気を帯びて空間に滞る。
巣の中心だけが異様に明るく見えるのは、そこへ吸い込まれていく無数の“影の命”が、まるで光を奪われていく途中のように見えたからだ。
ミリアは完全に気を失い、黒痕は心臓の上で冷たく、脈動を奪うように広がっている。
レオンは深層波形の極度の干渉で、立ち続けることすら不可能になっていた。
彼の視界にはノイズが常に降り続き、世界そのものを“観測”する力が崩れていっている。
そんな極限の空間で――
ただ一人、カイだけが影の巣の中心へと足を進めていた。
◆影の子が“生まれようとする”光景
カイが剣を構えた瞬間、巣全体が息を呑むように震えた。
黒い霧が渦を巻き、霧の束が絡まり、ほどけ、また絡み合い――
その繰り返しが、人の上半身の“未完成な輪郭”を作り始めていた。
腕のようなものが伸びては溶け、
顔のような影が浮かんでは消え、
感情だけが先に存在したような笑い声と泣き声が混じり合う。
「きみ……
きみ……
きみのかたち……ほしい……
すぐそこ……いる……」
※声は空間のどこから聞こえているのかすら分からない。
影の子は、まだ形を持っていないのに――すでに“意思”だけが先に生まれ始めていた。
黒い糸が何本も伸び、カイの身体へ触れようとする。
ミリアの形を求めた糸よりも太く、強く、執着が露骨だ。
だが。
胸の光片が脈を打つと、影の糸はすべて“弾き飛ばされた”。
まるで光が影を拒絶し、拒絶された影が悲鳴を上げているようだった。
(……やはり俺には“触れられない”んだな)
巣の振動が一瞬止まる。
その停止は、恐怖ではなく興奮に近いものだった。
影の胎動は、カイを“選んだ獲物”として認識している。
しかし――
カイは、その認識を正面から否定するために剣を握り直した。
◆剣を振るう決意と、光片の怒り
踏み込む。
「――どけよ」
振り下ろされた刃が闇を斬る。
影は本来、斬れない。手応えも抵抗もないはずだ。
なのに。
切断の手応えがあった。
空間自体が裏返るような異音が鳴り、影の束が裂かれ、巣の中心がひしゃげる。
その瞬間だった。
カイの胸で、光片が爆発するように輝いた。
蒼白い光の柱が噴き上がり、剣を通して巣の中心へ突き刺さる。
光は影を切り裂き、溶かし、迷いなく焼き払う。
巣の半分が白く染まり、黒霧が泡のように消えていった。
「――――ッアアアアア!!」
影の子の声は悲鳴とも、歓喜ともつかない複雑な響きだった。
何十もの声が同時に震え、空気が壊れそうなほど歪む。
レオンは地面に倒れながら、震える声で呟く。
「光片……浸食者より……深い層……そんな領域……ありえるのか……?」
言葉の途中で意識が跳ね、再び戻る。
レオンですら理解が追いつかない“深い光”。
そして――
光が脳へ逆流し、カイへ記憶の破片を見せる。
◆白い世界で出会った少女の手
視界が白で満たされる。
深層の白ではない。
反転の白でもない。
ただ、静かで温かくて、懐かしすぎる。
そこに――
小さな手があった。
自分の指を、ぎゅっと掴む手。
細くて、温かくて、泣きそうになるほど懐かしい。
(……この手……誰の……?
どうしてこんなにも……)
次に現れたのは、光だけでできた一本道。
影も音も風もない道。
そして――
「カイ……」
少女の声。
白い夢で聞いた声より近く、
耳元で囁くように柔らかい。
「どうして……そこにいるの……
そこは……違う場所……
カイは……」
「お前……誰だ? ティ……?」
名前を呼ぼうとした瞬間、光の道が震えた。
“呼んではいけない名前”に触れたような感覚。
それでも少女の声は、必死にカイへ呼びかける。
「戻って……カイ……
そこに触れたら……あなたまで……きえてしまう……
“あれ”は……あなたの……じゃ……ない……」
最後の言葉がノイズに掻き消され――
白い道は崩れ落ちた。
◆現実へ戻り、影の子と対峙する
カイは影の巣の中心に立っていた。
巣の半分は破壊され、黒霧が泣き叫び、影の身体は安定すらできない。
その姿は、生まれ損ねた“何か”が必死に形を保とうとしているようだった。
「や……だ……
きえない……
きみ……の……かたち……
ちょうだい……」
影の子が泣きながら、カイを求める。
だが、カイの表情には怒りが走り、
瞳には、白い世界の少女の残像と――涙の跡が残っていた。
「……勝手なこと言うなよ」
カイは光片に触れ、静かに言った。
「俺の“形”は……お前にやるものじゃない」
胸の光片が強く輝く。
まるで、少女の言葉を思い出させるように。
◆決意――すべてを取り戻すために
ミリアは瀕死。
レオンは限界。
影の巣は暴走寸前。
そして光片が見せた少女の手は――
カイにひとつの答えを残した。
「必ず……全部取り戻す。
ミリアも……
あの“声”の主も……
そして――俺自身の記憶も」
カイが剣を構えると、影の胎動が一段と震えた。
生まれかけの心臓が、
“決戦のとき”を告げるように。
光と影が、今――衝突しようとしている。




