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『アーク層の追放者 ―カイ・ラグナロック英雄戦記―』  作者: kaiくん
第3章:観測殻の崩落

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第55話 観測者の限界

ミリアの呼吸は浅くなり、胸の黒い痕が不気味に脈打っている。

 レオンは彼女を支えながら歯を食いしばったが――そのとき、自分の視界が大きく揺れた。


 影の巣の中心は、もはや“限界点”だ。

 ここに観測装置なしで踏み込むのは、ほとんど自殺と変わらない。


(……だが、今は離れられない……ミリアが……)


 そう思った瞬間、視界が“真っ黒”になった。


 ――次の瞬間。


 レオンは、まったく別の姿勢で立っていた。


(……は?)


 ミリアを抱えていたはずの腕は空をつかみ、足元にはカイの足跡。

 ほんの一瞬のはずなのに、その間に何があったか覚えていない。


 時間が飛んだ。


「……また、か……」


 胸が急に苦しくなる。

 これはただの混乱ではない。


 巣の鼓動が強くなるたび、

 レオンの“時間の感覚”が削られていく。


◆ミリアが消えかける


「レオン……に……げ……て……」


 ミリアがかすれた声で言う。

 しかしその声も途中で消え、響くはずの言葉がどこかへ吸い込まれた。


 レオンが彼女を見ようとした瞬間――視界がまた揺れた。


 ミリアの輪郭が、一瞬だけ透けた。


 存在そのものが薄くなり、

 “向こう側”に引きずられかけているのが分かる。


「……ッ……!」


(まずい……。

 ミリアが危険なのは分かる……だが、俺の認識が追いつかない……!)


 自分の状態すら把握できない。

 助けようにも、思考がもつれ、時間が連続しない。


◆巣の脈動がレオンを削る


 巣が大きく揺れた。


 黒い霧が荒れ、影の糸が空気を切り裂くように散る。


 その衝撃だけで、レオンの頭の中がさらに削られた。


 そして――


 レオンの腕が、一瞬だけ影に沈んだ。


 黒い霧の中へ吸い込まれ、

 腕の形がゆがむ。


「ぐっ……!」


 必死に引き戻したが、腕に残ったのは――

 “存在そのものを少し持っていかれた”痛み。


 肉体の痛みとは違う。

 もっと深いところを削られる感覚。


「俺……まで……飲まれて……」


 息が荒くなり、視界が二重に揺れる。


(このままでは……俺が……消える……)


 観測者が最も避けるべき状態――

 自分の存在を認識できなくなること。


 それは、“観測者としての死”を意味する。


 レオンは片膝をつき、頭を押さえた。


◆時間の断片だけが残る


「レオン! 大丈夫か!」


 カイの声が遠くで響くが、距離が分からない。

 近いのか、遠いのか、方向すら曖昧だ。


「……カイ……俺は……」


 言葉を続けようとした瞬間――視界がまた白く切り替わる。


 気づくと、レオンの立つ位置が変わっていた。


 巣の光の芽が正面に見える。

 自分が前に動いたのか、後ろに下がったのか――判断できない。


「……時間が……飛んでる……」


(巣の影響で、俺の“記憶のつなぎ”そのものが削られている……

 観測装置も準備もなしでここへ来たのは……無謀すぎた……)


 影の子の声が響く。


「こわいの……

 きえちゃうの……

 きみも……こっち……」


 その声に呼応するように、レオンの輪郭がまた歪む。


「……ッ……!

 く……そ……!」


 世界が二重に揺れ、

 身体はそこにあるのに、輪郭だけが影へ引っぱられる。


(俺が倒れれば……この現象を理解できる者がいなくなる……

 この災厄の正体を、誰も追えなくなる……)


 レオンは、それでも踏みとどまった。


◆レオンの限界


 視界の先で、カイの胸の光が脈打つ。

 影の子が泣き叫び、ミリアはもう意識をほとんど失っている。


(……もう限界だ。

 次に意識が飛んだら……俺は“観測不能”になる……)


 その恐怖が、わずかにレオンを支えた。


 だが――影は容赦なく迫る。


 視界が黒く染まり、

 レオンの意識が、一瞬だけ完全に闇へ沈んだ。


◆カイの背中


 目を開けると、すぐ目の前にカイの背中があった。


「……カイ……?」


「レオン、もう下がれ。ミリアは俺が助ける。

 お前は……これ以上来るな!」


 カイの声は強く、はっきりしている。

 胸の光片が、鼓動のように光を打ち出していた。


 レオンは震える指で額を押さえながら、その光を見つめる。


(……俺はもう、ギリギリだ……

 これ以上、深く触れれば……本当に壊れる……)


 足が震えて動かない。


(カイ……頼む……

 俺がまだ“観測者”でいられるうちに……

 少しでも、この現象を……記録できるうちに……)


 レオンは、絞るように呟いた。


「……倒れるわけには……いかないんだ……

 俺が倒れれば……すべてが闇のままだ……」


 黒い影が輪郭を削り、

 記憶が途切れ、

 時間が飛び散っても――


 観測者としての最後の線だけは、まだ辛うじて残っていた。

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