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『アーク層の追放者 ―カイ・ラグナロック英雄戦記―』  作者: kaiくん
第3章:観測殻の崩落

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第53話 反転の子

影の巣が脈動した瞬間、

空気が、一段階“深く”沈んだ。


 耳鳴りみたいな低い震えが、地面じゃなく――

 空間そのものを揺らしている。


 ミリアは胸元を押さえ、その場に崩れ落ちた。


「っ……あ、ああ……!」


 黒痕が一気に広がっていた。


 肩から胸元へ、黒い枝のような筋が走り、

 その縁がじりじりと焼けるような熱を放っている。


 痛みが押し寄せては、逆流するたびに、

 ミリアの呼吸は浅く、細くなっていく。


「ミリア、意識を保て! 今ここで倒れると――」


「だ、だめ……動かすと……もっと……!」


 レオンが支えようとした刹那、

 彼の視界にも、強烈なノイズが走った。


 影の巣の脈動が、この場所ぜんぶの“奥底”と重なり始めている。


 目の奥、脳へと、

 その揺れがじかに流れ込んでくるような感覚だった。


 そして――


 巣の奥から、“声”がした。


「……かえして……」


 透明なようで、どこか湿った声。


 井戸のいちばん底から、

 小さな子どもが泣きながら呼びかけているような、細くて冷たい響き。


 ミリアの体がびくりと震え、

 レオンは反射的に武器へ手を伸ばす。


 だが、声は止まらない。


「さがしてるの……

 ……ねえ……どこ……?」


 どこかで聞いたことがあるような、

 でも、この世界のどこにも“元の持ち主”が存在しない声。


 その声を聞いた瞬間――

 カイだけが、別の反応を示した。


 恐怖でも、驚きでもない。

 もっと近いのは――「理解」。


(……この声……)


 耳に届くそれは、たしかに“子ども”の声だった。


 語尾の上がり方。

 息の混じり方。

 甘えとためらいが混じった、弱々しい調子。


 だが――そこには決定的なものが欠けている。


 “生きている気配”がない。


 呼吸のリズムも、感情の揺れも、思考の迷いもない。

 まるで、音だけをなぞった空っぽの声。


 カイは、その正体に気づいてしまった。


――これは「真似」だ。


 そう悟った瞬間、背筋に冷たいものが走る。


(……影が“覚えようとしている”……?

 人の姿だけじゃなく、“声”まで……?)


 影の巣の奥で胎動する《光の芽》と、その声は、完全に響きを合わせていた。


 さっきまでぼんやりしていた光の輪郭が、

 声に合わせて、鼓動のように形を強めていく。


「かえしてよ……

 ……おいてかないで……」


 幼い声色に合わせて、黒い霧がゆらゆらと揺れる。


 影の糸が、

 まるで言葉の意味を理解したかのように、びく、と震えた。


 ミリアはその声を聞いた瞬間、

 胸元の黒痕が爆発したように疼き、悲鳴を上げる。


「あぁ……っ! やだ……っ、これ……なに……!」


「ミリア!」


 レオンが抱きとめるが、

 黒痕からは“吸い出されるような冷たさ”が広がっていた。


 それは皮膚の傷ではない。

 ミリアという「形」そのものに、影が触れてきている。


 レオンは唇を噛みしめる。


「……まずい……このままだと、ミリアは“向こう側”へ引きずり込まれる……!」


 ミリアの輪郭が、一瞬だけ“薄くなった”。


 光と影の境目がにじみ、

 そこにいるはずの存在感が、ふっと軽くなる。


「かえして……

 わたしの……かたち……」


 声が、近づいてくる。


 足音はない。

 ただ、影が揺れるだけ。


 なのに、

 影の糸は生き物のように、ミリアの黒痕へ向かって伸びようとしていた。


 ゆっくりと。だが、確実に。

 獲物に手を伸ばす舌のように、ねっとりと形を変えながら。


 カイは思わず、レオンの肩を掴んだ。


「レオン、聞こえるか? この声……ただの“子ども”じゃない」


「どういう意味だ?」


「これは、“影が作った声”だ。

 人から形を奪ったときに、“声の型”も一緒に真似たんだ。

 でも……まだ中身がない。

 感情も、心も、空っぽのまま――

 ただ、何度も何度も繰り返して“練習”してる声だ」


 レオンは息を呑む。


「……じゃあ、この声は……」


「“生まれる前の個体”だ。

 まだ体も、意識もない。

 でも影は、そこに“誰か”を作ろうとしてる。

 あれは――浸食者の新しい身体に宿る、最初の声だ」


 カイが言い終える前に、巣の中心が大きく脈動した。


 光の芽がぐにゃりと歪み、

 そこから、細い“腕のような影”が一本、ゆらりと伸び出す。


 まるで、産声を上げる前の胎児が、

 初めて手足を伸ばした瞬間のように。


「かえしてぇ……

 ……わたしの……かたち……」


 その声が響いた瞬間――

 ミリアの胸元の黒痕が、爆ぜるように広がった。


 視界が白くはじけ、

 ミリアはレオンの腕の中で、震えることしかできない。


「ミリア! しっかりしろ!

 おい、ミリア!!」


「……ひ……ぅ……っ……や……っ……レオン……た、たすけ……」


 声にならない助けを呼ぶ声。


 黒痕は胸骨の上まで浸食し、

 呼吸のたびに、不気味に脈打っている。


 その様子を見て、レオンは顔を引きつらせた。


「……ミリアの身体が、“あっち側”に紐づけられ始めてる……。

 このままだと、本当に――存在ごと、向こうへ持っていかれる……!」


 巣の奥から響く“反転の子”の気配が、

 こちらをじっと見つめているのが、はっきり分かった。


 まだ形も目もないはずなのに――

 たしかに「見られている」。


 幼い声は、次第にはっきりとしていく。


「みつけた……

 ……きみの……かたち……

 ほしい……」


 ぞっとするほど静かな、欲望だけの声。


 その瞬間、黒い影の糸が、

 ミリアめがけて一気に伸びた。


 生き物の舌のように、ぬらりと。

 冷たく、ねっとりと。


 レオンが剣を抜くが、視界のノイズで狙いがぶれる。


「チッ……くそっ……!」


 カイが言う。


「レオン、斬ってもダメだ。

 あれはまだ“形になる前の姿”だ。

 今の状態で斬っても、別の形に変わるだけだ」


「じゃあ、どうしろっていうんだ……!」


「――俺が行く」


 カイが、一歩前へ踏み出した。


 影の糸が近づくほど、空気は冷え、

 胸の鼓動の音さえ遠のいていく。


 時間も伸びたり縮んだりしながら歪むのに――


 カイだけは、その干渉を受けない。


 まるで影の巣そのものが、

 彼を「同じ側のルール」で測ろうとしているかのように、揺れ方を変える。


 “反転の子”の声が、はっきりとカイを捉えた。


「――きみ……

 きみの……かたち……

 ほしいよ……」


 幼い声なのに、言葉の奥には、

 骨をかじる獣みたいな「食欲じみた欲望」が潜んでいた。


 真似を重ねれば重ねるほど、

 ただのコピーだった声が、ゆっくりと“本物の欲望”を育てている。


 ミリアの黒痕は、もう鎖骨の下まで迫っている。

 本当に時間がない。


 レオンは叫んだ。


「カイ!

 ……頼む……ミリアを……!」


 カイは振り返らない。


「ああ」


 短くそう答えた声には、迷いがなかった。


「影の子が本当に欲しがっているのは――

 “ミリアの形”じゃない」


 カイは、影の巣の中心を見据える。


「――俺のほうだ。」


 巣が脈打つ。

 影がざわめく。

 声が、ゆっくり笑う。


「みつけた……

 きみだ……

 きみ……」


 カイは、影の子が待つ中心へと歩き出した。


 まるで最初から、

 そのためにここへ呼ばれていたかのように。

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