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『アーク層の追放者 ―カイ・ラグナロック英雄戦記―』  作者: kaiくん
第3章:観測殻の崩落

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第52話 影の巣

“反転域”の奥へ踏み込むたび、

空気が少しずつ「普通じゃなくなっていく」のが、はっきりと分かった。


 匂いも、温度も、輪郭がぼやける。

 自分たちの足音でさえ、踏んだ順番を間違えたみたいに、

 少し遅れて、バラバラに追いかけてくる。


 先頭を歩いていたレオンが、ふいに立ち止まった。

 胸元の青白い光片を高く掲げる。


「……ここから急に“うねり”が跳ね上がっている。

 もう、限界近くまで膨れ上がってるな」


 声は落ち着いている。

 だが、その呼吸は明らかに荒い。


 この場所そのものが、レオンの感覚を削っている――カイにもそれが分かった。


 青い光が指し示す先。

 反転域の、ど真ん中。


 そこに、“空洞”が口を開けていた。


◆◆ 黒い繭のようなもの


 穴――と言っても、地面に空いたわけではない。


 黒い霧が、無数の糸になって絡み合い、結び、ねじれ、ほどけ……

 その「編み目のすき間」だけが、丸く抜けて輪になっている。


 見た目だけなら、巨大な黒い繭だ。


 けれど、見ていると、感覚がぐらつく。


 そこに「何かの形がある」から見えているのか。

 それとも、「何ひとつないから、その穴だけが浮き出て見えている」のか。

 目が、脳が、判断を拒否する。


 ミリアが頬を引きつらせてつぶやいた。


「……これ、全部、影……?

 何、この詰まり方……」


「影じゃない。“影みたいに見える線”だ」


 レオンが即座に言い切る。


 彼の視界には、すでに白いノイズがちらちら走っていた。

 ここまで近づいたせいで、目が限界に近い証拠だ。


「ここが“巣”だ。

 あの化け物が――今の体とは別に、新しい入れ物を作っている場所だ」


 その瞬間、黒い霧の束が大きく脈打った。


 見えない心臓が打つのに合わせて、

 闇の糸がどくん、とたわみ、縮れ、絡まり直す。


 そのたった一拍で、霧の濃さが一気に増した。


「……っ、あ……!」


 ミリアの腕の黒い痕が、鋭く光ってうねる。

 彼女は堪えきれず、その場に膝をついた。


 黒い模様のふちが赤く縁取られ、

 そこから、うっすらと煙のようなものが立ち上っている。


「ミリア、無理するな!」


「だ、大丈夫……まだ、動けるから……っ」


 そう言い張る声は、震えていた。


 この場所そのものが、ミリアの黒い痕を刺激している。

 痛みを何倍にも膨らませて、押し戻してくる。


 このままでは、意識が飛ぶのも時間の問題だった。


◆◆ 投げ込まれた石


 レオンはきつく目を細め、黒い束の広がりを見回す。

 だが、視界をノイズに邪魔され、輪郭がうまくつかめない。


 黒い霧の糸は、あらゆる方向へ伸び、

 一本一本がこの場所の脈と合わせて、一定のリズムでうごめいている。


「中心に近づくほど、時間の感覚がズレてる……」


「レオン、気をつけて。空気の流れも――」


 ミリアが言い終わる前に、レオンは足元から石片をひとつ拾い、

 迷いなく“巣”の中へ放り投げた。


 石はふわりと吸い込まれ――


 そこで、“裏返った”。


 ひっくり返ったのは、形ではない。


 外側だった部分が、中身になり、

 内側だった部分が、殻になり――


 まるで「中身と外見の定義」を入れ替えられたみたいに、

 全く別物の質感と形を持った“何か”になって、地面に落ちた。


 ミリアが、はっと息を呑む。


「な、なに今の……?

 ただの反転じゃ、あんな風にならない……」


「そうだ。あれは“ひっくり返った”んじゃない」


 レオンの顔つきは、これまでで一番険しい。


「ここで、何かを“作っている”。

 しかも、中途半端な体じゃない。

 この歪んだ空間そのものを芯にした、まるっきり別の存在だ」


「ま、待って……それって……」


「この黒い糸は、

 あたりの人から“影の形”だけを集めている。

 性格も記憶も体もいらない。

 必要なのは――外側の形だけ、ってことだ」


 そう言った直後――

 黒い糸が一本、カイの背をかすめるように流れた。


 しかし、カイの輪郭だけは、びくともしない。


 ここまで空間がおかしくなっているというのに、

 カイの存在だけが、別世界の“安全地帯”みたいに揺れない。


 ミリアが苦痛に歪んだ顔のまま、彼を見つめた。


「……カイだけ、さっきから何も起きてない……

 逆らう力も、吸い取る力も……全部すり抜けてる……

 どうして……?」


 レオンは、何かを言いかけ――飲み込んだ。


 分からないからではない。

 分かってしまっているのに、軽々しくは口にできない、そんな表情だった。


◆◆ 生まれつつある“光”


 黒い霧の束の奥――

 巣のいちばん深いところから、不規則な光がにじみ出し始めた。


 光と言うには暗く、影と言うには明るい、

 どっちつかずのまま揺れる光。


 その光は巣の脈に合わせて明滅し、

 やがて、何かの“骨組み”のような線を描き始める。


 ミリアが震える声を上げた。


「レオン……あれ、何……?

 形が……できてきてる……」


「……新しい“体”だ」


 レオンは短く言った。


「あの化け物は、今の器を捨てるつもりなんだ。

 この“影の巣”は、その新しい器を形づくるための場所だ」


 ちょうどそのとき、巣全体が“大きく息をした”ように揺れた。


 黒い糸が一斉に震え、霧が渦を巻く。

 渦は倉庫の空気ごと吸い込みながら、中心へとすぼまっていく。


 カイが眉をひそめる。


「……今の、聞こえたか?」


「何を?」


「声だ。

 言葉でも、音でもないけど……

 “形になる前の声”みたいな……そんな感じがした」


 その言葉を聞いた瞬間、

 ミリアは再び黒い痕を押さえた。


 この場所の脈と巣の揺れがぴたりと重なり、

 彼女の体を内側からかき回す。


「カイ……レオン……ごめん……もう、持たな……っ」


「ミリア、下がれ!」


 レオンは彼女を支えようとするが、

 視界のノイズがさらに強まり、足元までゆがんで見える。


 それでも――

 カイの輪郭だけは、くっきりと、乱れも欠けもなく映っていた。


(おかしいのは、この場所じゃない……

 “カイのほう”だ……)


(ここまで世界のほうが狂ってるのに、

 なぜ、カイだけは例外なんだ……?)


◆◆ 光の芽と、カイ


 そのとき――


 巣の中心に、小さな“光の芽”が生まれた。


 黒い糸がその周りを包み、

 外側の形を少しずつ整えながら、

 心臓のような脈に合わせて、じわり、じわりと膨らんでいく。


 完全な形にはまだ遠い。

 それでも確かに、“何かが生まれようとしている”動きだった。


 カイの肩が、びくりと震える。


「……あれ、俺の……」


 だが、それ以上は言葉にならない。


 レオンには分かった。


 カイ自身が、あの“光の芽”を

 どこかで見たような、覚えのあるものとして感じている――


 それは恐怖でも敵意でもない。

 もっと曖昧で、もっと奥深い、「懐かしさ」に似た感覚だった。


 そして、レオンは心の中でひとつの結論に辿り着く。


(カイは、“巻き込まれているだけの存在”じゃない。

 この現象の“ど真ん中にいる側”だ……)


◆◆ 生まれかけの“何か”へ


 影の巣が再び震え、倉庫全体の鼓動が跳ね上がった。


 視界は乱れ、空間は折れ曲がり、

 時間は心臓の鼓動に従うように進んだり戻ったりする。


 新しい体の形成は、もう始まっている。


 影の渦は、街中から吸い上げた“影の形”を飲み込み続け、

 倉庫そのものの脈は、それを喜ぶようにますます強く、速くなっていく。


 ミリアは意識を手放しかけ、

 レオンも視界の限界ぎりぎりまで追い詰められていた。


 ただひとり――カイだけが違う。


 巣の中心をまっすぐ見つめながら、

 そこにある“何か”を、

 少しずつ「思い出しつつある」ような表情をしていた。


 影の巣の奥でうごめく光。

 影の渦が吸い上げ続ける、数えきれないほどの人の影。

 この場所全体を揺らす、気味の悪い鼓動。

 そして、形を得ようとしている、新しい器。


 それらすべてが――


 ただ静かに、

 カイへと集まっていく。


 まるでこの世界が、

 「ここから先は、お前抜きでは進まない」と

 宣言しているかのように。

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