第48話 浸食者の狩人
森へ入った瞬間、空気が変わった。
昼のはずなのに、光は薄く、影だけが濃い。
木々の葉は揺れているのに風はなく、
揺れ方も“光の向き”とは逆方向だった。
「……嫌な感じだね」
ミリアが腕をさすりながら言った。
森の奥で行方不明者が出た。
レオンが調査を申し出て足取りを追うと、この不自然な森へ行き着いたのだ。
「レオン、どれくらい危険なんだ?」
カイは気を引き締め、剣の柄に手を添える。
観測殻を外して以来、レオンはずっと“外側のノイズ”を視ているらしい。
「……深層が歪んでいる。
誰かが意図的に“反転”させている波形だ。
この森は、その歪みの出口になっている」
「出口……?」
「“浸食者”が形を得る場所だ」
その言葉に、カイとミリアは息を呑んだ。
◆森に漂う“影の霧”
奥へ進むほど、黒い靄が濃くなる。
霧のようで霧ではない。
水蒸気でも煙でもないのに、“影”の色だけが空気の中に浮いていた。
「これ……霧というより、影が漂ってるみたい」
「影が……?」
カイが触れようとした瞬間、レオンが肩をつかんだ。
「触るな。影が本体ではない。
これは浸食者がこの世界に干渉するための“前触れ”だ」
影が形になる前の揺らぎ――。
「行方不明者は、この中に……?」
「可能性は高い」
緊張が全員を包んだ。
◆倒れていた自警団
さらに進むと、木の根元に人影があった。
「レオン! 誰か倒れてる!」
駆け寄ると、村の自警団員だった。
呼吸はあるが意識がない。
「腕が……!」
ミリアが震える声を漏らす。
男の腕には“黒い痕”があった。
影が皮膚に這い、固まったような模様だ。
「深層の反転現象だ。
この痕が広がると、人間の“輪郭”が曖昧になる」
「輪郭……?」
「存在そのものの形が揺らぐ。早く離脱させる」
レオンは素早く処置をし、男を木陰へ移動させた。
そして、周囲を鋭く見渡す。
「来るぞ」
◆“影”が姿をとる
森の奥で黒い靄がざわりと動いた。
靄が集まり、絡まり、
ひとつの形――“影の輪郭”を形づくっていく。
人のようで、獣のようで、どこか歪んだ姿。
光の届かない暗がりが立ち上がったような存在だった。
「……浸食者の狩人……」
レオンが低く名を言う。
目も口もない黒い輪郭。
だが確実にこちらを“見ている”。
カイの背筋がぞくり、と震えた。
(視られてる……?)
影の狩人はゆっくり頭を傾けた。
獲物を選ぶように――。
そして、その“視線”がカイに止まった。
◆ミリアの炎が“反転”する
「近づかないで!」
ミリアが前に出る。
彼女の両手に炎の紋が走り、空気が熱を帯びる。
「《焔矢》!」
炎の矢が狩人へ向かって放たれる。
だが次の瞬間、狩人の影が“揺れ”た。
炎は触れる寸前で――反転した。
「え……?」
矢は向きを裏返され、ミリアへ戻ってきた。
「きゃっ!」
炸裂した炎はミリアの腕に痕を残した。
それは火傷ではなく――
先ほどの男と同じ“黒い痕”。
「ミリア!」
カイが駆け寄ると、ミリアは震える声で言った。
「魔法が……反転してる……
この森の“布地”そのものが裏返ってるの……!」
レオンが短く言い切る。
「浸食者はこの反転を利用している。
魔法は通らない」
「じゃあ……」
カイは剣を握りしめた。
(俺がやるしかない……)
◆カイ、狩人と対峙する
影の狩人は静かに近づいてくる。
影が地面から剥がれ、槍のように伸びる。
カイは深く息を吸い、前へ出た。
「ミリア、レオン。下がっててくれ」
怖い。
だが逃げない。
(届くのは……俺の剣だけだ)
狩人が腕を伸ばす。
影の槍が迫る。
(来る……!)
カイは力強く剣を振り抜いた。
――当たった。
金属が“確かなもの”を斬り裂く手応え。
黒い霧が裂け、粒のように散った。
「効いてる……!」
ミリアの声が響く。
狩人は苦しむように輪郭を揺らし、
再び形を取り戻すたびに黒い靄があふれた。
◆反撃と決意
「カイ、もう一度!」
「わかってる!」
狩人が突進する。
影が刃になり、霧が槍になる。
(避けて……斬る!)
カイは影の腕を受け流し、横へ大きく斬り払う。
影の一部が“削れ”、黒い欠片が落ちる。
さらに距離を詰め、
狩人の胸――もっとも濃い“中心”へ剣を突き立てた。
「――ッ!」
狩人の輪郭が大きく揺れ、
霧がはじけるように崩れ落ちた。
◆戦いの終わり
静寂が森を満たした。
黒い靄が、少しずつ消えていく。
「カイ! 大丈夫!?」
「なんとか……」
カイは膝をつき、息を整える。
ミリアの腕の痕は広がっていない。
レオンが周囲を見回し、低く言った。
「……浸食者の狩人は消えたわけじゃない。
“形を失っただけ”だ。
深層の反転が続く限り、また現れる」
「じゃあ……これからも?」
「そうだ」
レオンはカイの剣へ視線を向けた。
「魔法は反転し、この森では機能しない。
だが――」
レオンはカイを真っ直ぐ見た。
「お前の剣だけは、浸食者の本体に届く」
カイは息を呑む。
ミリアが微笑んだ。
「カイ……あなたがいなければ、本当に危なかった」
森の風が、少しだけ柔らかく吹き抜けた。
だが、森の奥にはまだ薄い靄が残っている。
浸食者は消えたわけではない。
形を変える準備をしているだけだ。
世界の布は静かに――しかし確実に、
裏返り始めていた。




