第45話 観測殻の剥離
街は今朝もおかしかった。
影は本来の向きとは別方向へ伸び、
生活魔法はついたり消えたり、
時計塔の秒針は前進と後退を繰り返す。
――まるで、世界そのものが呼吸を忘れはじめているようだった。
そんな歪んだ朝を背に、レオンは森を歩く。
街から少し離れた高台。
観測者だけが知る“揺らぎ点”――
世界の構造がもっとも薄くなる場所だ。
(……ここなら、観測殻を外せる)
レオンの顔には迷いがなかった。
決意だけがある。
観測殻を外す。それは観測者にとって禁忌に等しい。
世界の深層情報が一気に流れ込み、
視覚も聴覚も思考すらも、世界の揺らぎに呑まれかねない。
だが――今はそれしか道がなかった。
(観測殻越しじゃ、見えない。
この侵食は、もっと深くで起きている……)
レオンは手首の通信輪を触るが、光らない。
本部との通信が完全に途絶えていた。
(……やっぱり、封鎖されたな)
世界も、レオンも。
観測局は“この世界では対処不能”と判断したのだ。
(なら、俺がやるしかない)
覚悟を決め、レオンは小さく息を吐く。
「……観測殻、剥離開始」
◆観測殻の剥離
空気が低く震えた。
透明な光の膜がレオンの皮膚から浮き上がり、
薄皮を剥ぐようにゆっくりと剥離していく。
ぱきり、ぱきぱき……
音もなく、殻が情報片に解体されていく。
“存在波形”“世界との同調”“観測局との接続”――
それらすべてが剥がれ落ちていく。
最後の膜が離れた瞬間、レオンの視界は一変した。
「……ッぐ……!」
空は白く反転し、地面は揺れ、
木々の葉の形が瞬きのたび違う。
これが“本来の世界”――観測殻が隠していた姿。
(……情報流入が速すぎる……!)
片膝をつきながら、レオンは歯を食いしばる。
◆影の正体
そのときだった。
木々の奥、影の薄い場所で“何か”が揺れた。
黒くない。色ですらない。
映像が壊れたときのノイズの残像のような存在。
(殻があったら……絶対に見えなかった)
それは世界に“本来存在しないはずの揺らぎ”だった。
影はレオンの視線に応じて、形を変える。
まるで――こちらを覗き返してくるように。
「……外側……?」
口から漏れ出た言葉に、レオン自身が震える。
(世界の内側の存在じゃない……
観測局の階層でもない……
もっと外から……?)
影は脈動しながら、世界の膜を押している。
外側から、内側へ――侵食してくるように。
(観測殻じゃ見えなかった理由……これか……!
本部は……こんな干渉に勝てない)
だから、封鎖した。
世界も、観測者も、まとめて切り捨てた。
◆侵食の中心
影は一瞬、密度を増した。
「……ッ!」
触れたら終わりだと本能が叫ぶ。
レオンは反射的に後退し、存在が揺らぐのを必死に抑える。
次の瞬間、影は霧のようにふっと散った。
まるで“観測したから、もう用済みだ”と言わんばかりに。
残されたのは――静かな揺らぎだけ。
「……これはもう、観測局じゃ説明できない」
レオンは胸に手を当てた。
外側。
深層でも、上層でもない。
それよりもっと遠い、“外”からの侵食。
そして、気づく。
(揺らぎが集中している場所がある……
一番強く乱れているのは――)
「……カイだ」
レオンは確信し、息を呑む。
(侵食はカイを通して入り込もうとしている……?
それとも……カイだけが“外側”に触れられるのか……?)
どちらにせよ――放っておけない。
観測殻を外した代償は重い。
身体も精神もボロボロだ。
それでも、レオンは立ち上がる。
「……行くしかない。
世界を守れるのは、もう俺だけだ」




