第40話 世界の境界に立つ者
白黒の紋様を刻んだ処理班の隊長格が、音もなく前へ進んだ。
月のない夜なのに、その輪郭だけがぼんやりと光っている。
魔力の光ではない。
「ここにいる」と世界が無理やり認識させられているような、冷たい“観測の光”だった。
その光がひとつ、空間に沈む。
『対象K――カイ。
あなたの存在は、下層世界の安定を阻害しています』
声というより、“ルール”そのものが直接頭に流れ込んでくるような感覚だった。
「……俺は、この街を守っただけだ」
『観測結果:歪み再発。
あなたの存在領域に沿ってノイズが増幅。
因果関係は充分』
観測できない因果は切り捨てる。
それが観測局の、最も冷酷な理屈。
背後でミリアが息を呑む。
「カイ……来るよ!」
◆ ◆ ◆
隊長格の足元に、黒い影が広がった。
地面だけでなく、空気の中までゆっくりと“なぞる”ように動いていく。
(位置情報をいじってる……
どこから攻撃が来るか、分からなくさせる気だ)
次の瞬間、隊長格の姿が“ぶれた”。
さっきまで真正面にいた影が――
カイの背後に、唐突に「存在している」。
「っ……!」
カイは反射で剣を振る。
「《斬》!」
斬撃が空間を割き、光の線が走る。
だが隊長格は、刃が当たる瞬間、その場面ごと“巻き戻した”。
当たる未来を消し、
当たらなかった過去へ戻る――そんな動き。
(……攻撃そのものを、なかったことにしてやがる)
『攻撃は無効。排除処理を継続』
隊長格の腕がすっと持ち上がる。
その影がかすめた地面が、紙を削るように薄くなり、白く消えていった。
「カイ! 位置、分かんないよ!」
ミリアが必死に杖を構える。
「ミリア、無理に攻撃するな! あの“空白”に魔法が触れたら――」
「分かってる! 攻撃じゃなくて、“見えるようにする”!」
ミリアの杖先に炎が灯った。
けれど、それは赤くも熱くもない。
歪んだ空気だけを淡く浮かび上がらせる、
“色のつかない透明な炎”。
炎が触れたあたりの空間が、薄くゆらぎ、
隊長格の書き換えた“線”だけが輪郭を持ちはじめる。
「……見える……! ミリア、助かる!」
「私は照らすだけ! 切るのはカイの仕事だから!」
◆ ◆ ◆
カイは炎が浮かび上がらせた“歪みの線”を目で追い、
その線に刃を合わせるように構えた。
「……いくぞ」
隊長格の姿が、ふたたびぶれた。
今度は残像が三つ。
三方向から、同時にカイへ迫ってくる。
『逃避は無意味』
「だったら――斬るだけだ!」
剣がうなりを上げる。
「《斬》ッ!!」
空間そのものを刻む一撃。
巻き戻しさえ追い越す速さで、線だけを正確に断ち切る。
隊長格の胸のあたりに、一瞬ノイズが走った。
『……観測外の干渉……』
「観測だのデータだの、知るかよ!」
カイの一撃で、隊長格の動きが一瞬止まる。
それでも、まだ倒れない。
『対象K、排除難度:高。
プロトコルを第二段階へ移行』
そう宣言すると、隊長格の身体が完全に影へと溶けた。
次の瞬間――
カイの“一歩先の位置”に向かって、影の刃が突き出される。
(未来の位置を……先取りしてる!?)
回避が間に合わない――そう思った、そのとき。
世界のどこかで、何かが“破裂”する音がした。
◆ ◆ ◆
音がした方を振り向くと、
処理班たちの頭上に浮かんでいた“観測用の通信陣”が、バラバラに砕けていた。
その中心に、レオンが立っている。
顔色は悪く、足元もふらついている。
さっきまで彼を縛っていた観測陣は、完全には消えていない。
それでも――レオンは、確かに笑っていた。
「……は……間に合った……」
「レオン!」
隊長格が、無機質な声で問いかける。
『観測者レオン。
あなたはプロトコルに違反しています』
「知っている。
それでも、やる」
レオンは観測杖を強く握りしめ、前に出る。
「私は、あなたたちとは違う。
カイは“対象K”なんかじゃない。
数字でも、ログでもない」
その瞳は、隊長格ではなく、カイを見ていた。
「――ここで生きている、ひとりの人間だ!」
観測陣が、耳鳴りのような高い音を立てて暴れる。
『警告。通信帯域への直接干渉を確認。
観測者資格の即時剥奪、および――』
「そんなものは、どうでもいい!!」
レオンの叫びが、夜空を切り裂いた。
「私は――観測局じゃなくて、
カイを選ぶ!!」
杖の先から放たれた光が、隊長格と上層を結んでいた“観測リンク”を断ち切る。
目に見える線ではない。
けれど、その一瞬――世界の奥で、何かがぷつりと切れた感覚があった。
リンクが消えた瞬間、
隊長格の動きがわずかに硬直する。
◆ ◆ ◆
その隙を、カイは逃がさなかった。
「――これで終わらせる!」
大きく踏み込み、
これまでで一番深く、まっすぐな《斬》を放つ。
剣先が空を切った瞬間、
隊長格の影が大きく揺れ、白黒の輪郭がノイズだらけになる。
『……観測……リンク……断裂……』
足元から崩れるように、影が後退していく。
その背後に、再び“白い裂け目”が開いた。
『処理班・第零号、任務を一時中断。
本部への帰還を優先――』
裂け目に吸い込まれながら、隊長格は最後にひとことだけ残した。
『次の歪みは――“世界そのもの”だ』
ぱん、と軽い音がして、裂け目が閉じる。
夜の街に、静寂が戻った。
◆ ◆ ◆
戦いの名残だけが、街の空気に薄く残っている。
カイとミリア、そしてレオンは、その場に立ち尽くしながら荒い息を吐いた。
「レオン……本当に、大丈夫なの?」
ミリアが恐る恐る問う。
レオンは少しだけ苦笑して、肩をすくめた。
「もう私は、観測局には戻れません。
命令に逆らい、リンクを切り、処理班の任務を妨害した……
正式に“裏切り者”でしょうね」
その言葉とは反対に、レオンの顔にはどこか晴れ晴れとした色さえ浮かんでいた。
「それでも、後悔はしていません。
私はこの世界に残ります。
――君たちと、ここで生きるために」
ミリアが、泣き笑いの顔でレオンの背中をぽかりと叩く。
「もう……遅いよ……
最初からそうしてくれればよかったのに……!」
「本当に……すまない」
レオンは深く頭を下げた。
観測者としてではなく、ひとりの人間として。
三人は、ゆっくりと夜空を見上げる。
そのとき――
空の端が、ほんの一瞬だけ“黒くひび割れた”。
音もない小さな傷。
だが、その向こうから、確かに“誰かの視線”のようなものが覗いていた。
ただし、姿は見えない。
形も、気配も、はっきりとはつかめない。
それでもカイには分かった。
(……まだ終わってない)
歪みは閉じた。
処理班も退いた。
レオンもここに残ると決めた。
それでも――
もっと“外側”からの何かが、この世界を見ている。
カイは剣を握り直した。
(観測されていようが、
世界がどう揺れようが――)
隣には、ミリアがいる。
少し離れたところに、レオンが立っている。
(俺は、この世界で――生きると決めた)
たとえ「例外」でも。
たとえ世界の外側の力を持っていても。
守りたいものが、ここにある。
遠くの東の空が、わずかに白みはじめていた。
長い夜が、ゆっくりと明けていく。
新しい朝が来る。
世界がひび割れたままでも、その上で人は生きていく。
(さあ――ここからだ)
カイは、静かに目を閉じてから、空を見上げた。
その視線の先で、ひび割れはすでに消えている。
けれど、胸の中には、確かに刻まれていた。
この世界は、変わりはじめている。
そして、自分たちも。
そう思いながら――カイは一歩、前へと踏み出した。
── 第二章 完 ──




