第39話 観測局・処理班の侵入
レオンの叫びが、夜の街に響いた。
「カイ、逃げろ!!」
足元の観測陣から立ち上がった光が、レオンの全身を包み込む。
薄い膜のような光が何重にも重なり、彼の身体を“別の層”へ引きずろうとしていた。
それはただの魔法陣ではない。
観測局の拠点がある“境界層”とつながる、拘束用の術式だ。
カイは迷っている暇もなく、ミリアの手を強く握った。
「ミリア、行くぞ!」
「えっ、どこに!?」
「どこでもいい、まずは街から離れる!」
二人は部屋を飛び出し、夜の道を駆け出した。
――だが、その逃走は、十秒ももたなかった。
◆ ◆ ◆
頭上の空に、細い“白い線”が走った。
雷にも似ているが、音がしない。
その線が、少しずつ裂け目になっていく。
「……空が、割れてる……」
ミリアが息を呑む。
裂け目が開ききった瞬間、冷たい光がそこから流れ出した。
世界の外側から、何か固いものがねじ込まれてくるような感覚。
(……観測局だ)
レオンの声が頭の奥で響いた気がした。
裂け目の向こうから、“人影”が落ちてくる。
白と黒だけでできた、顔のない人型。
目も口もなく、のっぺりとした頭。
関節だけが妙に滑らかに曲がり、着地しても足音がほとんどしない。
まるで、“人間の形をした空白”だった。
それが五体、十体、十五体……
次々と降りてくる。終わる気配がない。
「な、なんだあれ……!?」
「魔物……じゃない……!」
街のあちこちから、住民たちが悲鳴を上げて逃げ出した。
◆ ◆ ◆
遠く離れた場所で、観測陣に拘束されたままのレオンが叫ぶ。
「処理班……!」
処理班――エリミネーター。
観測者のように“見て記録する”のではなく、
“異常を消す”ことだけを目的に作られた部隊。
本来は、暴走した歪みや、制御不能の存在を“修正”するための存在。
だが今回は――
「対象Kの排除」のために降りてきている。
◆ ◆ ◆
処理班の一体が、ゆっくりと手を前に出した。
近くにいた魔法使いが、震える手で杖を構える。
「こ、来るな……! ――《アイス・ランス》!!」
鋭い氷の槍が空を裂き、処理班の胸を目がけて飛ぶ。
だがその瞬間――槍が“消えた”。
「……え?」
魔法使いが呆然と呟く。
処理班の身体が、一瞬だけ“薄く”なっていた。
平たい紙のようにぺらりと潰れ、氷の槍はそのまますり抜けていったのだ。
「な、なんなんだよアイツら……!」
別の魔法使いが、今度は炎を叩きつける。
「――《フレア・バースト》!!」
爆炎が夜の空気を染め、熱風が処理班を包み込む――
はずだった。
しかし、処理班たちはその中を、まるで何事もなかったかのように歩いてくる。
炎が彼らに触れる直前、
“映像を巻き戻したように”逆流し、元の術者の方へ消えていった。
「うそ……魔法が……巻き戻されてる……」
「効かないどころか……魔法そのものを“なかったこと”にしてる……」
広場のあちこちで、悲鳴が上がった。
◆ ◆ ◆
「ミリア、下がれ! こっち来る!」
白黒の人影が、音もなくカイたちの前に現れた。
カイは剣を抜き、ミリアをかばうように立ちふさがる。
処理班は走らない。
ただ、“瞬きの合間に距離を詰めてくる”。
(速い……いや、速さの問題じゃない……
存在そのものがねじれてやがる……!)
処理班の腕が、カイの首をつかもうと伸びてくる。
その瞬間――
「……ッ!!」
カイの剣に、白い光が宿った。
「《斬》!」
空間ごと断ち切る斬撃が、処理班の腕に触れた瞬間、
白黒の輪郭がビリビリとノイズを上げた。
処理班の身体が、わずかに後ろへ跳ねる。
「……ッ……?」
(通った……!)
ほんの少し。
“皮膚”ではなく、“存在の外側の層”だけを削った程度。
それでもカイの《斬》は、観測局側の構造に干渉している。
この世界の外から持ち込まれた性質だからこそ、ぶつかり合える。
「カイ! 今の……効いてる!」
「ミリア、後ろに下がってろ! こいつらは俺が――」
だが、処理班もすぐに動きを変えた。
一体が真正面から迫り、もう一体が、
まるで“画面を飛ばしたように”、カイの背後へ現れる。
「くっ……!」
カイが振り向こうとした、その瞬間――
「《エア・シールド》!!」
ミリアの防御障壁が展開され、処理班の手とカイの間に割り込む。
しかし、処理班の指先が障壁に触れた瞬間、
障壁は“透明な紙”のようにめくれ上がり、そのまま千切れて消えた。
「えっ……!?」
ミリアが驚くより早く、処理班の手が伸びる。
「ミリア!!」
カイはとっさに体を滑り込ませ、ミリアを突き飛ばした。
処理班の指先が、カイの頬をかすめる。
その一瞬――
カイの頬が“透明”になった。
「……っ!」
傷がついたわけではない。
血も出ていない。
けれど、そこだけ“存在が薄くなった”。
(こいつらの力……
虚無の歪みとは違う……
“存在そのものを薄くして、観測から消す”つもりか……)
寒気が背骨を駆け上がった。
(直に掴まれたら……本当に“この世界から消える”……!)
◆ ◆ ◆
そのとき――
別の場所から、レオンの怒鳴り声が響いた。
「やめろおおおッ!!」
レオンは観測陣の拘束を無理やり押し返し、
よろめきながらも外へ飛び出してきた。
顔色は悪く、呼吸も荒い。
それでも、彼は処理班の前へ立ちふさがる。
「処理班! 命令を中断しろ!!
対象Kへの“排除プロトコル”を今すぐ止めろ!!」
処理班の一体が、レオンの方へ顔を向ける。
のっぺりとした顔から、無機質な声が響いた。
『観測者レオン。あなたの指示権限は、すでに凍結されています』
「なに……!?」
『上層合議による決定により、
あなたの通信と命令権限は一時停止中です。
これ以上の干渉は、プロトコル違反とみなされます』
レオンは歯を食いしばり、声を張り上げた。
「違反で構うか!!
私は――カイを守りたいんだ!!」
観測陣の光が、ばちばちと火花のように弾ける。
レオンはそれを押し返しながら、一歩前に出た。
「カイは原因じゃない!
この世界に干渉している“もっと外側の何か”がいる!
観測できないからって、“存在しない”なんて決めつけるな!!」
処理班は首をわずかに傾ける。
『観測不能な事象の存在は、確認されていません』
「してるだろう!! ログが抜けてるだろう!!」
『観測できないものは、“存在しない”と扱います』
「……狂ってる……」
レオンはかすれた声で呟いた。
「そんなルールで、世界を守っているつもりか……」
◆ ◆ ◆
そのとき。
処理班たちの後ろから、ひときわ大きな影が歩み出た。
白と黒が入り混じった、不気味な紋様のローブ。
他の処理班より一回り大きな体格。
空気そのものが、そいつを中心に冷たく沈んでいく。
『処理班・第零号』
低く、硬い声が夜を震わせた。
『この世界における、修正権限の最上位個体』
空白の顔が、ゆっくりとカイの方を向く。
『下層世界の安定を最優先とする』
その言葉には、一切の迷いも、感情もない。
『観測不能な歪みの発生源――対象K』
淡々と、冷たく、結論だけを告げる。
『これより、“排除”を開始する』
その宣言は、
まるで世界のルールそのものが、音になったかのように冷たかった。




