第38話 決裂
夜。
街の灯りがまばらに揺れ、弱い風が窓ガラスをとん、と叩いた。
カイは机の上に置いた自分の剣を、ぼんやりと眺めていた。
眠ることはとうに諦めている。
静かな部屋の中で、胸の奥だけがざわざわと落ち着かない。
――また異常が起きた。
光が黒く反転し、影がねじれる。
街の誰もが、不安と恐怖で顔をこわばらせていた。
(ミリアは“カイのせいじゃない”って言ってくれたけど……
本当に、そうなのか?)
手を握りしめた、そのとき――
コツ、コツ、と扉が小さく鳴った。
「カイ。起きていますか?」
レオンの声だった。
カイは息をひとつ吐き、ゆっくりと立ち上がって扉を開ける。
「……入ってくれ」
レオンは静かに部屋へ入り、軽く周囲を見回してから、深く息を吐いた。
いつもの“街の講師”の柔らかな笑みは、そこにはなかった。
◆ ◆ ◆
「……結論から話します」
レオンは目を伏せ、言葉を絞り出すように言った。
「観測局の上の者たちは、あなた――カイを
“拘束すること”
そして場合によっては“排除すること”を決めました」
「……っ!」
カイの喉が、音にならない息をこぼす。
言葉の意味は理解できるのに、頭が追いつかない。
その瞬間――
奥の扉が、ガタン! と勢いよく開いた。
「……今の、聞こえたんだけど」
寝巻き姿のミリアが、蒼白な顔で立っていた。
怒りと恐怖が混ざった声がこぼれる。
「“排除”って……なにそれ……
カイは何も悪いことしてないのに……!」
「ミリア……」
「カイは黙ってて! 今のは、絶対におかしい!」
ミリアはレオンの前まで歩み寄り、真正面から睨みつけた。
「あなたたち観測局は、いったい何を見てるの!?
歪みも、あの黒い霧も、全部まともに掴めてないくせに!」
レオンは苦しそうに目を閉じ、ゆっくりと首を縦に振った。
「……その通りです」
「え?」
「私たちは、“見えていない”のです。
今この世界に干渉している“何か”を」
レオンはこめかみに手を当て、悔しそうに続けた。
「観測画面はところどころ真っ白に抜け落ちる。
虚無のような性質を持つ領域が、記録そのものを上書きして消してしまう。
観測局の術式ですら、完全には届かない……」
カイとミリアは思わず息を呑んだ。
「それなのに、上の連中はそれを認めようとしない。
“観測できない異常など存在しない”
“もし観測が乱れるなら、それを乱している存在が原因だ”」
レオンはカイを見た。
「そして、その“原因”として名前を挙げられたのが――あなたです」
「……だから俺を拘束する、ってわけか」
「はい。
四十八時間以内に、あなたを確保しろ。
それが、正式な命令です」
ミリアが、堪えきれずに叫んだ。
「ふざけないで!
歪みを止めたのは誰!?
あの黒い霧を斬ったのは誰!?
カイがいなかったら、街はもう終わってたかもしれないのに!」
レオンは、その言葉から目をそらさなかった。
むしろ、痛みをこらえるような顔をしていた。
「……私も、そう思っています」
「だったら止めてよ!
観測局が間違ってるって、あなたが言えば――」
「無理です!」
レオンは思わず、机を叩くほどの勢いで声を張り上げた。
「私は下層担当の観測者です。
上層の命令に逆らえば、私自身が“消される側”になります」
部屋の空気が、ぐっと重くなる。
◆ ◆ ◆
やがて、レオンはカイに向き直った。
「……カイ」
呼びかける声は、観測者のそれではなかった。
「私は、まだあなたを“原因”だとは思っていません。
あなたが歪みを生んでいるわけではない……
むしろ、塞いでいる側だと分かっています」
「レオン……」
「だから、お願いがあります」
レオンは真っ直ぐにカイを見つめた。
「私と一緒に来てください。
観測局の管理下なら、あなたの命は守られます。
あなたを傷つけない環境も、用意されるでしょう」
ミリアがすぐに一歩踏み出す。
「だめ! 行かせない!」
「ミリア……」
「観測局に連れていかれたら、カイはもう戻ってこれない!
外に出ることも、自由に誰かと話すことも、笑うことも……
全部、監視付きになるんでしょ!?」
レオンは、苦い表情で頷いた。
「……その通りです。
あなたの言う“普通の生活”は、もう二度と戻らないでしょう」
「だったら――!」
「ですが」
レオンは言葉を重ねる。
「このまま何もしなければ、観測局は武装した拘束班を送り込みます。
彼らは、私のように迷いません。
“最も危険な因子”として、あなたを――本当に“排除”するでしょう」
現実だけが、重く静かにのしかかる。
「だから……私と来てほしいんです。
それが、今のところ私にできる、あなたを“守る形”なんです」
カイは口を開きかけて――言葉を飲み込む。
喉の奥が痛い。
(俺がいなくなれば、ミリアはどうなる?
この街は?
観測局は本当に、みんなを守ってくれるのか?
いや、違う……
俺を“管理”することが目的なんだ)
ミリアの声が、震えながら落ちてきた。
「カイ……私、嫌だよ……
カイがいない世界なんて……絶対に嫌……」
その一言が、カイの胸に深く突き刺さる。
ようやく、声が出た。
「……レオン」
「はい」
「俺は――行けない」
レオンの肩が、わずかに揺れた。
「……理由を、聞いてもいいですか」
「俺は、この街を。
ミリアを置いて、ひとりで逃げることなんてできない」
カイはゆっくりと続ける。
「俺が消えることで街が守られるなんて、
そんなやり方、俺の望む“守り方”じゃない」
レオンは、ぎゅっと拳を握りしめた。
「……そう、でしょうね。
あなたが、そう言うだろうことは……最初から分かっていました」
それでも提案せずにはいられなかった。
その苦しさが、表情ににじむ。
「すまない、カイ……
本当は、あなたを守りたかった……
それなのに、私は――」
言葉が続かない。
ミリアが小さく震える声で言った。
「だったら……カイに戦わせないでよ……
カイのこと、“観測対象”なんて呼ばないでよ……」
レオンのまぶたが震える。
そこには、観測者らしい冷静さよりも、深い後悔が刻まれていた。
◆ ◆ ◆
そのときだった。
レオンの足元に、ふっと淡い光がにじんだ。
「……っ!?」
床に、円を描くような光の紋様が広がっていく。
幾重にも重なった輪が、静かに輝いた。
「まずい……!」
レオンの表情が、一気に青ざめる。
「これ……なんだ!?」
「“観測陣”です。
上層が、私の許可なく起動させている……!」
光はどんどん濃くなり、レオンの身体の輪郭が一瞬ぶれた。
「この陣は、私の視界と位置情報を強制的に開きます。
この部屋の座標、カイ……あなたの場所が、そのまま上層へ送られる……!」
「止められないの!?」
「無理です。
これは、観測者本人より“上位権限”の術式だ……!」
レオンは歯を食いしばる。
「くそ……もう、時間切れか……!」
観測陣は、今にも完全に発動しそうだった。
部屋の空気がじりじりと焦げ付くように重くなる。
レオンは顔を上げ、力の限り叫んだ。
「カイ――今すぐ逃げろ!!
ここにいたら、本当に捕まる!!」
ミリアが反射的にカイの腕を掴む。
「カイ!!」
レオンは、光の陣に足を縫いつけられながら、必死に手を伸ばした。
「頼む……死ぬな……!」
その声は、
冷たい観測者のものではなく――
ひとりの人間として、
大切な誰かを失いたくないと叫ぶ、必死の声だった。




