第32話 再び開く穴
揺らぎは、冗談みたいな速度で“本物”になっていった。
最初は空気のざらつき。
次に光のゆがみ。
そして――音。
地面の下から、低い唸り声のような振動が伝わってくる。
(……間に合うのか?)
カイは揺らぐ空間へ、一歩踏み込んだ。
足元の土が、ざり、と逆に流れた。
砂が、時間を巻き戻すみたいに足跡の中へ戻っていく。
「……これ、気持ち悪い」
ミリアが顔をゆがめる。
「空間の“縫い目”が逆転してる。
魔力の流れも、全部……こっちじゃなくて“外側”から押し込まれてる感じ」
「押し込まれてる……?」
「そう。普通は世界の中で循環してるはずの魔力が、逆流してる」
言葉は難しいが、カイの直感だけははっきり告げていた。
(世界の外側が、こっちを向いてる……)
ザザッ、と視界が乱れる。
揺らぎが一本の黒い線になり、そこから“亀裂”が走った。
前の歪みより細いのに――深さがまるで違う。
「来るぞ」
カイは剣を構えた。
その上から、落ち着いた声が降りてきた。
「対象K。
条件は前回とほぼ同じ……違うのは、あなたの“侵食具合”だけですね」
「だまれ」
短く吐き捨てた瞬間だった。
ぱきん。
森の空気そのものが“割れた”。
黒い線が一気に広がり、
布を裂くような鋭い音が響く。
「カイ!!」
ミリアの叫びと同時に、歪みが“穴”へ変わった。
人がそのまま落ちそうなほどの大きな穴。
底はまったく見えず、のぞこうとするだけで視界がノイズに飲まれる。
穴の縁から、黒い触手のようなものが伸びた。
触手――と言っても、物質ではない。
影でもない。
ただの“輪郭だけの線”が空間をなぞっているようなもの。
触れた草は、燃えも枯れもせず、
ただ “なかったことにされて” 消えた。
「……うそ……」
「今、草……消えたよな?」
「ううん、違う……
“最初からなかった”みたいに見えた……」
ノイズの触手が、ゆっくりこちらを向く。
風が逆方向に吸われるように流れ始めた。
「来いよ……!」
◆ ◆ ◆
最初の一本が飛びかかってきた。
速い。
でも“速い”というより、そこに突然出てきたような動き。
カイは反射で剣を振る。
「――《斬》!」
見えない斬撃が飛び、ノイズの触手を横から切り払った。
感触は――あるようでない。
斬ったというより、その線そのものが世界から消えるような感じ。
残骸も煙も、何も残らない。
まるで、一本の線だけ世界地図から消しゴムで消したみたいだった。
「……カイの斬撃……」
ミリアが目を見開く。
「前より……もっと“消してる”」
「消してる?」
「うん。前は衝撃で壊していた。
でも今のは、“存在ごと塗りつぶした”みたいだった……」
「説明しなくていい!」
「説明しないと、こっちのほうが怖いの!!」
ミリアの恐怖は本物だった。
魔力の感覚を持つ彼女には、今の現象がよりはっきり感じられている。
「なら――やるだけだ」
カイは剣を握りしめた。
(“無効化”じゃもう足りない……)
世界の外側から押し寄せてくる“ノイズ”そのものを断ち切らなければならない。
(だったら俺は……“外側ごと斬る”)
◆ ◆ ◆
「――《フレイム・ウォール》!」
ミリアが炎の壁を張る。
だがノイズは燃えない。
炎の中を平然と通過しようとする。
「効かない……!」
「いい、一瞬止まれば十分だ!」
カイが飛び込む。
一太刀。
二太刀。
三太刀。
振るたびに、ノイズが静かに“消えて”いく。
悲鳴も音もない。
ただ、世界から削られるように消えていく。
「……やばい」
ミリアが小さく呟いた。
「カイ、その斬撃……“こっち側”の魔力まで削ってる!」
「え!?」
「ノイズだけじゃない!
周囲の魔力の糸も、一緒に断ち切れてる!」
つまり――
**“ノイズが食いついてる世界ごと斬っている”**ということだ。
「このままじゃ、この周辺の魔力構造……穴だらけになる!」
「じゃあどうすればいい!」
「知らない!!」
叫びながらも、ミリアは境界線を浮かび上がらせようと魔法を組み合わせる。
「境目だけ狙って! ノイズと世界の境界だけ!」
「できる気がしねぇ!」
「できるよ!
だってカイは、“線を斬る人”でしょ!!」
その言葉で、カイの中で何かがはっきりした。
(線を……斬る……)
魔獣でも敵でもない。
目に見えない“線”。
(見える……感じるんだ)
足の震え。
剣にまとわる揺れ。
耳の奥の低音。
世界に混じる“おかしな線”だけが浮かび上がってくる。
「――見えた」
カイは剣を構えた。
空中には何もない。
だが、カイにはそこに“線”があった。
「《斬》!!」
剣が空白を走った瞬間――
歪みの穴を縁取っていたノイズが、
一気に“切断”される。
穴の形が、ぐにゃりと崩れた。
「今の……!」
「境目……だけ、狙えたみたいだ」
歪みはまだ消えていないが、半分以上に縮んでいる。
◆ ◆ ◆
最後の一押しを待つように、穴は小さな黒点を残し――
ゆっくりと消えた。
森に、音が戻る。
鳥が鳴き、風がそよぎ、葉が揺れる。
「……終わったの?」
「今は、な」
カイは息をつき、剣を突き立てた。
(これは終わりじゃない。
ただの“一時停止”だ)
そこへ、静かにレオンが降り立つ。
「お見事でした、カイ君」
珍しく素直な評価だった。
「“外側の力”をこの世界のために使った。
この世界にとって、それは非常に価値があります」
「現象みたいに言うな」
カイは苦笑したが、レオンの瞳には前とは違う色が宿っていた。
観測者だけの冷たさではない、
人間に近い“揺れ”。
「しかし……」
レオンは空を見上げる。
「歪みは閉じても、あなたの“侵食”は進んでいます。
カイ君、あなたはもうこの世界のただの住人ではいられない」
「……それでいい」
カイは森の出口を見た。
「嫌われてても、外側にいても――
ミリアや街の人を守れるなら、それでいい」
ミリアが驚いたように笑う。
「……そういうところ、ほんと好き」
「簡単に言うなよ」
「簡単じゃないよ。
本当だから言ってるの」
レオンは二人のやり取りを見て、
そっと視線をそらした。
(……距離が近すぎる。
本来なら報告すべき……)
だが、報告する気にはなれなかった。
(まだ……見ていたい)
その感情の名前は、レオンにも分からない。
ただひとつだけ確かだった。
世界の“ひび”は、まだ終わっていない。
カイの斬撃は世界を守った。
同時に、“外側の存在”が確かにここにいると証明してしまった。
森の出口の先の空が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。
気づいたのは、カイだけだった。
(……終わらないな、これは)
侵食するノイズ。
斬る力。
そして、観測者の揺らぎ。
それら全部を抱えたまま、
カイは街へ戻っていった。
その背中を、レオンは最後まで見つめていた。




