第22話 静かな朝と小さなひび
――木造の天井に、朝日がゆっくりと広がっていく。
「……ふぁぁ」
カイは目をこすりながら寝返りを打つ。
木目の隙間から差し込む光が細かな埃を照らし、部屋を金色に染めていた。
(少し前の“歪み”。もう、ずいぶん前のことみたいだな)
あの騒ぎも、今は嘘のようだ。
村は不安を抱えつつも、いつもの生活に戻ろうとしている。
階下から、鍋をかき混ぜる音と、パンが焼ける匂いが漂ってきた。
「カイー! 起きてるならパン焦げる前に降りてきてー!」
元気な声に苦笑しながら返事をする。
「今行く!」
寝巻の襟を整え、腰の木鞘に触れた。
飾り気のない、ただの剣。
だがカイにとっては命を救ってくれた、大切な相棒だ。
(……森でも、お前がなかったら確実に死んでた)
魔法も宿さない、ただ斬るだけの剣。
だがカイは“魔法を弾く体質”のせいで、そのくらいがちょうどいい。
(魔法の剣なんて触れた瞬間、たぶん俺が無効化する)
階段を下りると、ミリアがエプロン姿で朝食を準備していた。
明るいけれど少し心配性で、放っておけない存在だ。
「おはよう、カイ。……傷、大丈夫?」
「うん。ほら」
腕を回して見せると、ミリアの視線が包帯の上に止まる。
「……やっぱり、光魔法、効かなかったね」
歪みの中心で魔獣に裂かれたとき、ミリアは必死に治癒魔法をかけてくれた。
だが光は、カイの肌に触れる前にふっと消えた。
「ミリアのせいじゃない。俺が魔法を弾く体質なんだ」
「それは分かってるけど……守りたい人に魔法が届かないって、けっこう堪えるんだよ?」
ミリアは頬を膨らませる。怒っているというより、少し不安なのだ。
「じゃあミリアは前で燃えて、俺が後ろで斬る。ほら、強そうじゃない?」
「それ作戦なの?」
ミリアは笑った。
その笑顔に、カイの肩の力もふっと抜ける。
――そのとき。
窓の外、空の端が“ざらり”と揺れた。
(……今の、ノイズ?)
一瞬だけ、透明な膜が裂けたような違和感。
だがすぐに元の青空へ戻ってしまう。
(歪みの名残……? いや、何か違う)
「カイ? どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。いただきます」
スープを一口飲むと、温かい味が不安を少し溶かした。
だが“空のざらつき”の正体は、まだ誰も知らない。
◆ ◆ ◆
朝食を終え、カイはミリアに頼まれた買い物をしながら村を歩く。
平和な朝のはずだが――どこか空気が落ち着かない。
(やっぱりみんな、“歪み”を引きずってるな)
森から魔獣が溢れ、空が裂けた日。
あの恐怖を、村人は容易に忘れられない。
「カイ、森の方へ行くんじゃないだろうね?」
野菜を並べていた老婆が声をかけてきた。
「今日は行かないよ。買い物だけ」
「ならいいけど……あの森、まだ“息が荒い”からねえ」
老婆は空を見上げた。
カイもつられて視線を向ける。
――ノイズ。
また空がざらつく。
(やっぱり……気のせいじゃない)
その瞬間、黒い影が横切った。
(今の……鳥じゃない。何だ?)
一瞬で消えた影。
明らかに“この世界の自然の動き”ではない。
(世界が揺れている……? 俺を中心に?)
説明できない違和感が胸に刺さった。
◆ ◆ ◆
その頃。
村のはるか上空――人に見えない高度で、“ひとつの影”が降下していた。
白銀の髪。
深い金色の瞳。
観測局の追加観測者、レオンハーツ。
(……これが、対象“K”の気配か)
彼の接続によって世界に生まれた“ノイズ”。
カイが感じた揺らぎは、その副作用だった。
(村の中心……。あれが“K”のいる場所か)
レオンハーツは静かに息をつく。
観測者でありながら、人間に近い“揺らぎ”を持つ特異な存在。
(観測局が恐れる規格外。さて――どれほどのものか)
金色の瞳が細められる。
(楽しませてくれよ、K)
レオンハーツの影が、朝の光へ溶けていく。
カイの知らぬところで――
世界は静かに、しかし確実に動き始めていた。




