第20話 歪みの終息、そして迫る観測の影
カイは無言のまま、消えゆく“歪みの残滓”を見つめていた。
黒い光は煙のように揺れながら空へ溶けていき、触れた箇所ごとに微弱なノイズを放つ。
魔力でも気配でもない。
まるで世界の法則が、ほんの欠片だけ削り落とされたような、異質な現象。
(……まただ。世界が一瞬だけ“書き換わる”ような感覚)
胸の奥に残るざわつきは、昨日よりも深い。
六属性のどれでもなく、魔獣の瘴気でもない。
もっと冷たく、得体の知れなくて、距離感すら掴めない――
“未知の力”。
考えがその深みに沈みかけた瞬間。
――ピシ。
空気が割れるような、ごく小さな音が走った。
「……カイ?」
「今、聞こえなかったか? 何か……割れる音」
「え? 何も聞こえないよ」
ミリアの表情は不安で曇る。
だがカイには、はっきりと聞こえていた。
世界の膜そのものを爪で弾いたような、不自然な振動。
そして――次の瞬間。
森の色が、一瞬だけ褪せた。
草の緑も、木の茶色も、空気の濃淡も、
“何かに見られている”ように透明度を失っていく。
その直後。
――【警告:対象カイ】
――【行動観測……逸脱を確認】
先日の白衣の男の声ではない。
それよりも温度がなく、感情の欠片もない。
意味だけを冷たく告げる“声”。
(……観測局……? いや、違う。
でも、同じ系統の……何か?)
正体を掴もうとした瞬間、胸がひやりと冷えた。
――【注意:対象は世界に変動を与える可能性】
――【観測継続……次段階の準備】
一方的に告げられ、
世界の色が自然に戻り、ノイズは霧のように消えた。
まるで最初から何も起きていなかったように。
「カイ!? 本当に大丈夫なの?」
ミリアの温かい手が、肩を掴んでくれる。
「……大丈夫。少し眩暈がしただけだよ」
笑ってみせるが、胸に沈む不安は消えない。
(“変動を与える可能性”……?
俺が何かを変える? いや、違う。
この世界の側が、俺を“危険要素として見ている”……?)
恐怖ではなく、ただ理解不能な不可解さが胸に残る。
(そして……“次段階”。
観測局よりも、もっと得体の知れない何かが動いている……?
いや、今は断言できない。わかるのは、“まだ終わっていない”ということだけだ)
足元の土が、不意に遠く感じた。
「カイ……あのさ」
ミリアが勇気を振り絞るように言った。
「今日みたいに……“わけのわからない相手”が来たら、逃げてもいいんだよ?」
「逃げたら……村の人たちが危険だ」
「それでも……カイが傷つくくらいなら……」
ミリアの声が震えた。
気づく。
昨日も、今日の異常も──全部、ミリアは側で見ていた。
自分が傷つくたびに、彼女も痛んでいたのだ。
カイは歩みを止め、そっとその手を握り返した。
「大丈夫だよ。
俺は……この街が好きだから」
「街……?」
「あの塔も、広場も、森も。……ミリアも」
「っ……こ、こんなときにそんな……言わないでよ!」
ミリアは耳まで真っ赤になりながら──
それでも、その手はしっかりとカイを握り返していた。
◆
森を抜け、街の灯が見え始める頃。
風が吹き、葉が揺れ、世界は何事もなく静かに見えた。
だがカイの中では、確実に何かが始まってしまっている。
(俺は……何者なんだ?
記憶の欠片、封印の光、“選択”という言葉。
それに……観測)
思考に触れた瞬間、鋭い頭痛が走る。
「カイ!?」
「……平気。ほんとに」
ミリアの支えをそっと制しながら、カイは痛みに耐えた。
痛みが引いた後も、胸には“ひび割れ”のような違和感が残る。
(これは……俺の中から漏れ出ている?
それとも……この世界が俺に何かを“上書き”している……?)
考えれば考えるほど危険だと、本能が警告してくる。
「帰ろう、ミリア。森も落ち着いたし」
「……うん。帰ろ」
ふたりの距離は、昨日よりわずかに近かった。
◆
村の入り口に着いたとき、ミリアがもう一度、カイの手を握る。
「ねぇ、カイ」
「ん?」
「もし……また“観測局”みたいなのが来ても……
私、絶対カイの側から離れないから」
その言葉が、胸に温かく染みた。
「ありがとう。ミリアがいてくれるだけで……本当に助かる」
「~~っ、も、もう……そういう言い方……!」
ミリアは顔を真っ赤にしながら──
だが手は離さなかった。
カイは夜空を見上げる。
星は静かに瞬き、村は穏やかな灯りに包まれている。
しかし、“どこか見えない場所”では──
得体の知れない何かが、まだこちらを覗いていた。
――【観測完了:第一段階終了】
――【第二段階:対象行動の誘導準備】
――【監視継続】
その声は、遠く深い虚空へ消えていく。
◆
(どれだけ“未知の力”が干渉してきても──)
カイは静かに剣の柄に触れた。
(この街と……ミリアだけは、俺が守る)
胸に強い決意が灯る。
こうして“観測される者”カイの物語は、第1章の幕を閉じた。
しかし──観測は終わらない。
すでに世界は、
カイの“選択”によって揺れ始めていた。
――第1章 完――




