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『アーク層の追放者 ―カイ・ラグナロック英雄戦記―』  作者: kaiくん
第1章:歪む世界と特異点の少年(カイ)

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第2話 霧の森にて

深い霧が森を覆っていた。

 本当は昼のはずなのに、空はどんよりと曇り、木々の影は溶け合うように伸びている。

 足元すらはっきり見えない薄暗さが、森全体に沈んでいた。


 その中心に――ひとりの少年が倒れていた。


 髪は、銀色に近い黒。

 着ているのは、夜空の一部を切り取って縫い合わせたような黒い衣。光をほとんど反射せず、霧よりもなお深い暗さをたたえている。

 布の縁には、見たことのない古い模様のような線が刻まれており、この世界の職人が作ったものには見えなかった。


 そして、もっと異様なのは――少年の周囲だけ、草木が灰のように崩れ、“跡形もなく消えている”ことだった。


 円を描くように、その場所だけ地面がむき出しになっている。

 まるで世界の一部が、そこだけ丸ごと欠けてしまったようだった。


 風も、森の気配もあるはずなのに、その範囲だけがぽっかりと“無”になっている。


***


「――誰か、いるの?」


 霧の向こうから、女性の声がした。


 赤い髪を揺らしながら、松明を掲げて進んでくる女性。

 腰には細身の刀。松明の火を通して、かすかに炎の魔力がにじんでいる。


 火の魔法を得意とする女魔導士――ミリア。


「……なに、この感じ」


 彼女は足元の灰をつまみ上げた。だが、指先に触れたとたんさらりと崩れ、空気に溶けるように消えてしまう。


「魔法で焼けた跡……とも違うわね。これは……」


 言い切る前に、ミリアの胸の奥がざわりと粟立った。

 どの属性の魔力とも違う。世界から“音”だけを一瞬だけ抜き取られたような、不自然な空白感。


 ミリアは警戒しながら、灰の中心――少年に近づいた。


「……人? こんな場所に、どうして」


 しゃがみ込み、そっと声をかける。


「……ねえ、聞こえる? 生きてる?」


 その瞬間、少年のまぶたがかすかに震え、ゆっくりと開いた。

 闇のように深いのに、不思議と光を宿している瞳が、真っ直ぐにミリアをとらえる。


「……ここは……どこだ……?」


 声は弱々しい。けれど、耳から離れない、不思議な響きを持っていた。


「意識はあるのね。よかった。

 でも今はあまり動かないほうがいいわ。この辺り、魔獣がいるかもしれないから」


「……まじゅう?」


 少年は、その言葉の意味すら分かっていないように、首をかしげた。


「きみ、名前は?」


「……わからない」


「え?」


「なにも……思い出せないんだ」


 ミリアの表情が変わる。

 同情だけではない。危険かもしれないという警戒と、それでも放っておけないという直感が入り混じった顔だった。


(……危ない匂いはする。でも、それだけじゃない……)


 自分でも説明できない矛盾を抱えながら、それでもミリアの判断は早い。


「よし、決めた。うちに来なさい」


「……え?」


「こんな霧だらけの森に置いていけるわけないでしょ。

 歩けるなら、一緒に出るわよ」


 少年は、しばらくミリアをじっと見つめた。

 彼女の言葉の裏を探るように。


 そして――小さくうなずいた。


 ミリアは、ほっと息をつく。


 その瞬間、少年の身体から“黒い光”が、かすかににじんだ。

 炎とも、普通の魔力とも違う。世界の一部を塗りつぶしてしまいそうな黒。


 ミリアはそれに気づかない。

 霧と、松明の炎の揺らめきに紛れてしまうほど小さな異変だった。


「歩ける? 支えてあげるから」


 少年は差し出された手を掴む。

 温かい、人の体温を確かめるように。


 黒と赤。

 反対の色が触れ合った瞬間、二人の運命は、静かに結びつき始めていた。


***


 三年が経った。


 少年は、記憶を失ったままミリアの家で暮らしていた。

 薪割り、井戸水汲み、市場への用事。そんな日々の雑用をこなしながら、表面上は穏やかな日常を送っている。


 しかし――その裏側で。


 少年はずっと、“記憶の痛み”と呼ぶ謎の症状に苦しめられていた。


 胸の奥が焼けつくように痛む。

 視界が黒く染まり、周囲の景色がゆがんで見える。

 身体の内側で、形の分からない“何か”が動き回っているような感覚。


 治癒師に診てもらっても、薬草を試しても、原因は分からない。


 そして、その痛みに襲われるたび――


 少年の胸の奥で、「声」が聞こえた。


 誰かの声だ。

 しかし少年は、その声の主も、その言葉の意味も理解できない。


***


 そして今日。

 その声は、これまででいちばんはっきりと響いた。


 薪を抱えて家へ戻る途中、突然、胸に強烈な痛みが走る。

 少年は耐えきれず、その場に膝をついた。


(……また、これか……)


 腕から薪がこぼれ落ち、地面に散らばる。


 まわりの人の声も、生活の物音も遠ざかり、世界が急に静かになる。


 代わりに――胸の奥から、あの声が満ちてきた。


『――選べ』


 男とも女ともつかない、歪んだ声。


『お前が、何を守るのか。すべては、そこから始まる』


(……誰だ、お前……)


 少年は頭を抱え、歯を食いしばる。


『忘れるな。お前は“選ばされた”のではない。――“自分で選んだ”のだ』


(選んだ……? 俺が? 何を?)


 胸の奥にある“何か”が、封じられたままきしむように脈打つ。

 破裂しそうなほどの熱が、そこに集まっていく。


 ――霧の森。

 ――消えていた草木。

 ――こぼれた黒い光。

 ――そして、ミリアが差し伸べてくれたあの手。


(俺は……なぜ、ここにいる……?)


 今まで意識して避けてきた疑問が、はっきりとした形を持ち始める。


 視界が、真っ黒に染まった。


 声が低くささやく。


『さあ――物語を、再開しよう』


 その声の主が“何者”なのか。

 少年はまだ知らない。

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