第19話 ミリアの願い(ミリア視点)
夜の森は、昼とはまるで別の世界だった。
昼間の森には、まだ“生き物の気配”がある。
葉を揺らす風、鳥の鳴き声、どこかで動く獣の足音──全部が、生きている音。
でも、夜の森は違う。
暗くて、静かで、深い。
ただ暗いんじゃない。“色”そのものが抜け落ちたみたいな、底なしの黒。
私は掌に小さな火球を灯し、その光だけを頼りにゆっくりと森の奥へ進んでいた。
足音は土に吸い込まれ、世界の音が一つ、また一つと消えていく気がする。
胸の奥が、ざわざわと落ち着かなかった。
昨日の、あの“歪み”との戦いを思い出すたびに。
「……やっぱり、カイは普通じゃない」
思わず口に出してしまって、自分でハッとする。
でも私の言う“普通じゃない”は、怖いとか怪しいとか、そういう意味じゃない。
――あの人は、抱えすぎている。
三年前。
森の外れで倒れていた彼を見つけたときから、ずっとそう感じていた。
魔力反応はゼロ。魔法も使えない。
でも身体能力は驚くほど高くて、戦い方が妙に洗練されている。
経験値の“質”が、他の冒険者とはまるで違う。
昨日なんて、特にそうだった。
あの黒い影に向かっていくカイの動きは、明らかに“戦場”を知っている人のそれだった。
自分のためじゃなく、“誰かを守るため”に体を張る動き。
そんなの、普通じゃない。
そんな生き方をしてきた人が、どれだけ痛い思いをしてきたんだろう。
そう思うと、胸がきゅっと締めつけられた。
◆
森の奥へ進むほど、空気は重く、沈んでいく。
昼間の名残なんてどこにもなくて、本当に別の層に迷い込んだみたいだった。
やがて──見えてきた。
昨日の“戦場”。
木々は根元からねじ切られたように折れ、
地面は何かにえぐられ、焼けたように黒く焦げている。
けれど、魔力反応はほとんどない。
「……魔獣の攻撃じゃ、絶対こうはならない」
火球の光が地面をなぞるたび、肌の上に鳥肌が走る。
ここには確かに“何か”がいた。
魔法じゃない。魔獣でもない。
もっと得体の知れない、“別の力”。
(これが……歪みの残滓……)
私は地面へ手を伸ばしかけて、そこで動きを止めた。
昨日、カイがこの中心に近づいた瞬間。
空間そのものがカイを弾き返そうとしているみたいな、あの異常な反応。
そのときのカイの声が、耳によみがえる。
――『ミリア、下がれ!!』
あの叫びは、
自分の命なんて後回しで、誰かを守ろうとする人の声だった。
(本当に……どうして、そんなに無茶をするのよ)
火球がふっと揺れ、闇の影がざわりと動いた。
私は思わず、拳を握りしめる。
(私だって……守りたい気持ちは同じなのに)
私は火属性で、攻撃力には自信がある。
実戦経験だって、それなりに積んできたつもりだ。
それでも、昨日の“あれ”には通じなかった。
私の炎は触れた瞬間に、音もなくかき消された。
まるで、最初から存在していなかったみたいに。
あれは魔法じゃない。
魔獣でもない。
カイにだけ見える“黒い影”は、世界の理そのものを無視していた。
そんな存在に、カイは躊躇なく正面から立ち向かった。
怖くないはず、ない。
たぶん、怖がる余裕すらなかったんだと思う。
(カイは……無茶をしないと、自分を許せない人なんだ)
そう気づいた瞬間、胸の奥がズキッと痛んだ。
◆
「……観測局。あいつらはいったい何者なの?」
村に突然現れた白衣の男。
魔法式を唱えずに魔法を展開し、カイを“観測対象”と呼び、聞いたこともない言葉を口にした。
あれは、明らかにこの世界の存在じゃなかった。
魔力の流れも、魔術反応も、何一つとして噛み合わない。
団長が言った言葉が、頭の中で蘇る。
――「カイ、お前は“観測されている”」
まるで──
カイ自身が、この世界に存在する“特異点”で、
外側から覗き込まれる“研究対象”みたいだ。
(そんなの……許せるわけない)
カイが狙われる世界なんて、おかしい。
(もし観測局が、カイを連れていこうとしたら……
私は絶対に、許さない)
胸の奥で、燃えるような感情が静かに火をつけた。
◆
そのとき──
森の奥で、黒い“もや”のようなものが、ふっと揺れた。
私は反射的に火球を大きくして、声を張り上げる。
「そこ! 誰!? 出てきなさい!!」
しかし、影は風に溶けるように消えてしまった。
魔獣の気配ではない。
もっと乾いていて、冷たくて、無機質な“視線”だけが、そこに残った。
(また……観測局……?
それとも、歪みの残滓……?)
背筋を、冷たいものがすっと走り抜ける。
「カイを……連れていかせないから……」
声が少し震えた。
でも、火球をぎゅっと握り直し、深く息を吸う。
夜風が吹き、森の影がさわ、と揺れた。
空気は冷たいのに、胸の奥では炎よりも熱い何かが燃えている。
私はふと振り返り、森の外──遠くの街の灯りを見つめた。
あの灯りのどこかに、カイがいる。
(絶対に……守る)
心の底から、そう呟いた。
「カイ。あなたがどんな存在でも……
どれだけ“特別”だとしても……
たとえ世界があなたを拒んだとしても……」
掌の火球が、強く燃え上がる。
木々の影が、炎に押されるように揺れた。
「私は――あなたの味方だから」
その瞬間、森のさらに奥で、小さな“歪み”がふっと揺らいだ。
それが何を意味するのか、今の私には分からない。
けれど、一つだけはっきりしていた。
――たとえ“世界”がカイを拒絶しても、
私はこの人を守る。
それが、私の揺るがない願いだった。




