第17話 森の奥、歪みとの対峙
「カイ……見て。前……!」
ミリアの震える声に、カイは木々の隙間へ視線を向けた。
次の瞬間、胸の奥が冷たく凍る。
そこに――“それ”はあった。
森の奥、何にも接していない空間が、ぽっかりと黒く穿たれている。
まるで世界のテクスチャを無理やり破り捨てたような、黒い“穴”。
村人にも魔術師団にも見えないその異物が、
カイには、昨日よりも“はっきりと”“大きく”見えた。
(……昨日よりでかくなってる)
黒い縁はぐにゃりと歪み、ノイズのような揺らぎを放っている。
そこから漏れ出す低い“唸り”の振動が、胸の内側を直接震わせてきた。
ミリアがその圧に身を縮こませ、かすれた声を漏らす。
「……これ、魔力じゃない。こんな気配、知らない……」
「魔法の反応じゃない。もっと……“未知”の力だ」
カイはゆっくりと剣を抜いた。
その瞬間――
黒い歪みが、こちらを「振り向いた」。
形をぐにゃりと捻じ曲げながら。
バキィィィッ!!
音にならないはずの空間が、明確に“割れた”。
「来るッ!!」
叫びと同時に、裂け目の中心から黒い触手のような影が飛び出す。
ミリアの炎が反射的に走る。
「《フレア・ランス》!!」
訓練を積み重ねた炎の槍が一直線に影へ突き進む――
はずだった。
しかし、触れた途端。
炎が“無音で消えた”。
「なっ……!? 燃えない……!」
(魔法を……“処理”してる?)
影が一気に膨張し、鞭のようにしなる。
その先端がミリアに向かって走る。
「危ない!!」
カイは反射的に身体を滑り込ませた。
剣が横に閃き、影を叩き落とす。
ギィンッ!!
金属とも石ともつかぬ音が響き、腕がしびれる。
(重い……!)
影は確かな質量を持ち、
魔法では焼けず、斬れば“潰れる”だけで、すぐに再生する。
すぐさま第二波。
影が波のように押し寄せてきた。
「くッ……!」
カイは足を踏み込み――真正面へ突き進む。
「――“斬”ッ!!」
一閃が空気を裂き、濃い衝撃波が一直線に走る。
影の束をまるごと薙ぎ払った。
ドゴォォォン!!
黒い塊が弾け飛び、木々が巻き込まれて倒れる。
だが――
「まだ、来る!!」
四散した影が糸のように絡み合い、空中で再び形を成す。
(まるで俺の攻撃を“観測”して再構築してる……!)
ミリアが思わず叫ぶ。
「カイ! 魔法は効かない! なら……物理で殴る!」
ミリアは地面の石を拾い上げ、全力で投げた。
ゴッ!
影がへこむ。
「……通った!」
続けて、ミリアは炎で脚力を強化し、影の根元へ飛び込む。
「せぇ――ッ!!」
ドガァッ!!
渾身の蹴りが影を揺らし、歪みの縁ごと震わせた。
カイはその“たわみ”を逃さなかった。
「ミリア、下がれ!!」
「分かった!!」
ミリアが転がるように後退し、
カイは剣を大きく引き絞る。
(今だ……!)
地面を抉る勢いで踏み込み、
「“斬”ッ!!」
衝撃波が大地を裂きながら突き進む。
ドオオオオオッ!!
黒い触手を根元から巻き込み――
歪みに触れた瞬間、爆ぜるように粉砕された。
歪みが大きく揺れ、
黒い水面へ石を投げ込んだように波紋が広がる。
中心には――“ひび”が走った。
(……今ので効いたな)
カイは裂け目の奥を睨みつける。
黒い穴のその向こうで、
“誰か”がこちらを見ている。
姿は無い。
だが、意識だけは突き刺さるように伝わってきた。
――《 対象:アーク反応値……特異点 》
――《 行動観測、継続 》
(観測……されてる……)
背筋に冷たいものが流れる。
「カイ! 気を付けて、また来る!!」
ミリアの叫びに視線を戻す。
裂け目から、先ほどよりも多くの影が溢れ出していた。
一つひとつは細く――しかし束ねられ巨大な“槍”となっていく。
(数が増えてる。
さっきの攻撃を“データ”にして組み直したのか……!)
「まずい……」
カイが剣を構え直した瞬間、
影槍が空を裂いて飛来した。
狙いは――ミリア。
「――ッ!」
ミリアは無意識に前へ出た。
「《フレア・ウォール》!!」
炎の壁が立ち上がる。
しかし、触れた瞬間――
炎は消された。
「ミリア!!」
「だいじょ……ぶ……っ」
膝をつきながらも、ミリアは立とうとする。
(くそ……このままじゃ……守りきれない!)
影槍が再び形成され、落ちてくる。
同時にカイの頭へ、冷たい声が流れ込んだ。
――《 選択せよ 》
――《 力を解放するか、拒むか 》
――《 観測、継続 》
(選べ……? 何を……!)
胸の奥が軋む。
視界の端で、裂け目が脈打つ。
ミリアへ影槍が振り下ろされる――。
カイは迷いを断ち切るように叫んだ。
「――ミリアは、俺が守る!!」
瞬間、カイの周囲に“黒い光”が散った。
「……なんだ……これ……?」
世界の魔力とは異質な黒と白の粒子が、カイを包む。
影槍が落ちてくる。
カイは渾身の力で剣を振り上げた。
「うおおおおおお!!」
その斬撃は二重の螺旋となり、
世界の縫い目を引き裂くように影槍を飲み込む。
ズバアアアアッ!!
影槍は根元から消失した。
歪みが大きく軋み――
悲鳴のようなノイズが森を貫いた。
――《 反応……想定外 》
――《 特異点、封印値……一時解放 》
――《 観測、後退 》
影の群れが霧散し、歪みは一度大きく脈動し――
ゆっくりと縮み、沈んでいく。
風が戻る。
鳥の声が戻る。
森が、世界が、呼吸を取り戻した。
ミリアが震える手でカイを見つめる。
「カイ……今の……何……?」
カイは剣を地面に突き立て、荒い息のまま言葉を搾り出した。
「……分からない。
ただ、“特異点”とか……“封印”とか……聞こえた」
「封印……?」
ミリアはカイの腕を掴み、必死に覗き込んだ。
「カイはカイだよ。
外側とか観測とか……そんなの関係ない!
私は、目の前のカイを守るから!!」
その言葉に、カイの胸が熱く揺れる。
(……守るつもりが、守られてばかりだな)
裂け目は小さくなったが、完全には消えていない。
森の奥、誰にも見えないほど微細な“ひび”が、まだ脈動していた。
(次は……もっと大きな何かが来る)
カイはその空間を睨みつける。
「ミリア……必ず守る。
外側から何が来ても、俺は……逃げない」
その決意の横顔を――
“観測する視線”が、どこか遠い位置から確かに見つめていた。




