第15話 魔力逆流と崩壊獣
“観測局”を名乗る白衣の男が村を訪れてから、数日が経った。
一見すると、村にはいつもの日常が戻ったように見える。
広場には露店が並び、子どもたちの笑い声も聞こえる。
――だが、本当の意味で「平穏」とは言えなかった。
村のあちこちに、目に見えない緊張が張りつめている。
誰もが背筋をこわばらせ、様子をうかがうように暮らしていた。
広場には魔術師団の隊員が常駐し、森へ向かう荷馬車は一台一台、厳しく検問される。
まるで――“何か”の襲来を、全員で待っているかのようだった。
「……この緊張、しばらく続くんだろうな」
村の外れから広場を眺めながら、カイは小さく息を吐く。
隣では、ミリアが腕を組み、真剣な顔で頷いた。
「しかたないよ。正体も目的も分からない人がいきなり来たんだもん。
それに最近、魔獣の数も前より明らかに増えてる」
ミリアの手には、火属性の魔力を安定させる護符が握られていた。
森で“歪み”を見つけてから、彼女は以前よりずっと警戒心が強くなっている。
「カイ。今日も森の警戒、行こ?」
「ああ。あれの様子を見ておきたい」
そう言った矢先――
村の中央から、悲鳴に近いざわめきが響いた。
「まただ! 魔法が暴発してる!!」
「昨日もだったよな!? なんでこんなに頻発するんだよ!!」
カイとミリアは顔を見合わせ、そのまま駆け出した。
***
◆◆ 魔力の“逆流”
騒ぎの中心では、土属性の術師ハールが地面に膝をつき、肩で息をしていた。
彼の足元の大地は、大きくえぐれ、黒く焦げている。
そこには“魔力が逆流した痕跡”がはっきり残っていた。
「くっ……また魔力が勝手に暴れた……!
俺、ちゃんと制御してたはずなんだ……!」
「おい、ハール、大丈夫か!」
カイが手を差し伸べると、ハールは苦笑してその手を取った。
「カイ……。お前、森で“歪み”を見たんだよな?」
「……ああ」
「俺たちには見えない“何か”が森にあるんだろ?
この魔力の逆流……それのせいじゃないのか?」
その言葉に、広場の人々が一斉にざわつき始める。
「森が……壊れかけてるのか?」
「魔獣の巣が移動しただけじゃなかったってことか……?」
「観測局……あれが原因なんじゃないのか?」
恐れと不安が、村中を駆け巡る。
ミリアはハールに簡易治癒をかけながら、カイを見た。
「……カイ。あの男が来てから、絶対“何か”がおかしいよ」
「……ああ。村の空気だけじゃなくて……世界そのものが、ねじれてる気がする」
カイは無意識に周囲を見渡す。
家々の輪郭が、視界の端で“かすかに揺らいで”見えた。
魔力の流れは細かく絡まり、空気には細い“ひび”のような線が走っている。
村人たちは誰一人として気づいていない。
だが――
(……俺には、全部見えてしまう)
そのとき、塔の上から重い鐘の音が鳴り響いた。
――ガァン! ガァン!
村全体に、緊急事態を告げる合図だ。
「ま、また魔獣か!?」
「森の入口だって!」
住民たちが避難を始め、兵士たちは武器を手に走り出す。
ミリアは護符を握りしめ、真剣な声で叫んだ。
「カイ……! 行くよ!」
「ああ!」
二人は森の入口へ駆けた。
***
◆◆ 崩れた魔獣
森の入口は、すでに戦場と化していた。
数名の兵士が地面に倒れ、魔術師団の術師たちが必死に詠唱を試みている。
しかし――詠唱の途中で、魔法が煙のように消えていく。
「嘘だろ……魔力が霧散していく……!」
「なんだ、この気流……! 魔法式が保てない!」
空間そのものが、魔法を拒んでいるようだった。
その中から――“それ”が現れる。
狼でも、熊でもない。
本来、別々の種であったはずの魔獣が、魔力の暴走でぐちゃぐちゃに混ざり合い、
姿形を保てなくなった“塊”。
皮膚の紋様は逆回転し、魔力の流れは縦横無尽に暴れ、
生き物というより、“崩壊しかけた魔法”そのものに見えた。
「これ……魔法構造の崩壊……?」
ミリアが震える声で呟く。
(絶対に……あの歪みの影響だ)
魔術師たちの放った魔法は、魔獣の周囲を包む歪んだ気流に飲まれ、式ごと消えていく。
「やっぱり……魔法が通らない……!」
「こんな魔獣、聞いたこともないぞ……!!」
この状況で、まともに戦えるのは――
「ミリア! 魔術師団のフォローを頼む!」
「分かった!」
カイは前へ飛び出した。
魔獣が咆哮し、巨大な尾を振り上げる。
歪んだ魔力が渦を巻き、大気が悲鳴を上げた。
カイは剣を構え、その尾撃を真正面から受け止める。
「ぐっ……!」
重い衝撃が全身を襲い、体が地面を転がった。
口の端から血が滲む。
(魔法は効かない……でも、物理ダメージは普通に入る。
――これが、俺の弱点だ)
それでも、止まれない。
カイはよろめきながら立ち上がり、再び地面を蹴る。
「まだだ……!」
間合いを詰め、一息に剣を振り抜く。
「――《斬》ッ!!」
空気が裂ける音とともに、目に見えない衝撃波が一直線に走る。
それは魔法ではない。ただの斬撃の延長――のはずだ。
だが、その一撃は確かに魔獣の脚を打ち砕き、バランスを崩させた。
「今だ、ミリア!!」
「うん――ッ!!」
ミリアの炎が、一直線に走る。
「《フレア・インパクト》!!」
炎が爆ぜ、魔獣の身体を内側から焼き裂いた。
轟音とともに爆炎が広がり、魔獣は絶叫を上げて崩れ落ちる。
森に、ようやく静寂が訪れた。
***
◆◆ 残る“違和感”
「こいつ……魔力の流れが完全に逆だ……」
「観測局の……あの男のせいじゃないのか……?」
兵士たちのささやきが、不安となって地面に沈んでいく。
カイの視界には、そのさらに奥――
森の奥で、黒い“影”がちらりと揺れるのが見えた。
(……あれは、歪みの残りかすだ)
森の中で、世界の輪郭がほんの少し削られたように見える場所。
魔力の流れは逆流し、空間はひび割れたガラスのように見える。
(やっぱり……森の奥で、何かが起きている)
胸の鼓動が早くなる。
(次に歪みが現れたら――
今度こそ、俺が確かめに行く)
「カイ!!」
ミリアが駆け寄り、カイの服についた土や砂を払う。
「カイ、無茶しすぎ! 本当に……心臓止まるかと思ったんだから!」
「……ありがとな。大丈夫だよ、ミリア」
そう返しながらも、胸の奥の重さは少しも減らない。
観測局。
歪み。
魔力の逆流。
崩壊した魔獣。
そして――自分だけが“世界の損傷”を見ているという事実。
(……この世界で、何が始まっているんだ?)
カイの運命は、少しずつ、しかし確実に――
森の奥に口を開く“歪み”へと引き寄せられていくのだった。




