第11話 兆し、二度目の歪み
“観測局”を名乗る男が村を去って、一日が経った。
だが、街の空気はまるで重しを乗せられたように沈んでいた。
昨日の魔獣襲撃。
そして、村を震わせた正体不明の来訪者。
その二つが、じわじわと村人の心に恐れを植えつけていた。
***
◆◆ 広場 ―― 乱れた日常の中で
「カイ、大丈夫……? 昨日の怪我」
ミリアが、心配を隠せない声で覗き込む。
彼女にとって仲間の負傷は、自分の痛みでもあった。
カイは肩を軽く回して、わざと大げさに笑ってみせる。
「平気だよ。かすり傷だ。
魔獣の尻尾のほうが、まだ痛かったしな」
「……ほんとに?」
ミリアの瞳には、不安が揺れていた。
「でも、やっぱり変なんだよ。
魔法は触れた瞬間に消えるのに、爆風や瓦礫は普通に当たるなんて……」
その“矛盾”こそ、カイ自身が最も理解できずにいる部分だった。
(観測局の男が放った魔法は、俺に触れた瞬間に消えた。
なのに――魔法が生んだ現象だけは残って、俺を傷つけた)
拒絶するものと、拒絶されないもの。
身体の奥で二つの“理屈”が噛み合わないまま軋んでいる。
(これは欠陥……? それとも、俺という存在そのものの構造が……?)
考えれば考えるほど、胸の奥に重い石が沈んでいく。
そんな時だった。
「例の“観測局”の男! さっき塔のほうへ向かったらしい!」
「魔術師団が今、対応してるってよ!」
「一体何者なんだ、あいつは……?」
遠くの通りで噂が飛び交う。
その名が口にされるたび、ミリアの顔が緊張に染まった。
「ミリア……観測局って、本当に知らないのか?」
「うん。少なくとも、この国にはそんな組織は存在しない。
周辺国でも聞いたことがないよ」
「……じゃあ、奴らはどこから来た?」
ミリアは少し考え、低く呟いた。
「“分からない”……けど得体がしれない」
胸の奥がざわつく。
あの森で見た“黒い歪み”――世界の外れに空いた穴が、脳裏にちらついた。
その時。
「カイ!」
塔からの使いが駆け込んできた。
息を切らし、血相を変えて叫ぶ。
「魔術師団長がお前を呼んでいる!
昨日の男について、話があると……!」
広場がざわめいた。
ミリアは迷わず、カイの手を掴む。
「カイ、一人で行かせない。私も行く」
「え、でも――」
「昨日あんなのに狙われたんだよ? 一緒に行かなきゃダメに決まってるでしょ」
その言葉の強さに、胸の奥が熱くなる。
カイは黙って頷いた。
二人は、塔へ向かった。
***
◆◆ 魔術師団・団長室 ―― “外側の魔法”
塔の内部は、いつになく緊張していた。
螺旋階段を上がるたび、魔力の密度が肌に重くのしかかる。
団長室の前には、警戒態勢の魔術官たちが並んでいた。
(……よほど異常事態なのか)
扉が開くと、白髪の団長が深刻な面持ちで迎えた。
「来てくれたか、カイ」
カイは一歩前へ進む。
「観測局の男について……何か分かったんですか?」
団長は机の上の書類を叩いた。
「各国の記録を調べた。
だが、“観測局”という組織は、どこにも存在しなかった」
「そんな……」
「さらに昨日の残留魔力を解析したが――」
団長の声音は、僅かに震えていた。
「奴が使った魔法は、この世界の魔術体系とは“別物”だった」
ミリアが息を呑む。
別物。
つまり――この世界の“外側”の仕組み。
(やっぱり……あいつは、この世界の存在じゃない)
団長は重く続けた。
「そして、分かったことがもう一つある。
――やつの目的は“お前の観測”だ」
「俺の……?」
「あれは攻撃ではない。
お前の性質を調べるための“検査”だ」
カイの胸が、ざくりと痛んだ。
「俺は……危険、なんですか?」
「危険ではない。だが――“異質”だ」
団長は静かに、しかし確信を持って告げた。
「お前は魔法を拒絶する。
魔力に適合することも、干渉されることもない。
――この世界の魔法が扱う“前提”そのものを外れている」
ミリアは震える手で、カイの手を握りしめた。
「……でも、カイはカイだよ。
私は、絶対に守る」
その言葉が、胸の奥に温かく染みていく。
(守られてばかりだな……。でも――)
カイは初めて、自分の意思で強く願った。
――守りたい。
――ミリアを、村を、この目の前の世界を。
団長がさらに言葉を続けようとした、その時だった。
――ドオォンッ!!
外から、雷鳴のような轟きが響いた。
ミリアが窓へ駆け寄り、息を呑む。
「……団長! 森の奥で――また“歪み”が!」
その瞬間、カイの背筋に冷たいものが走った。
(まただ……!
あの黒い穴が……“動いている”)
カイは剣の柄を握り締める。
「団長。俺、行きます」
「危険だ、カイ!」
「分かっています。でも……逃げません」
その言葉に、ミリアが迷いなく並び立つ。
「私も行く!
カイを一人にするなんて……絶対にしない!」
団長は目を閉じ、静かに頷いた。
「……気をつけろ。
あの歪みの奥には――“何か”がいる」
塔を出ると、森のほうから突風が吹き抜けた。
黒い気配が風に混ざり、世界そのものがざわついていた。
――来い、カイ。
声にならない声が、確かに聞こえた。
「ミリア、行こう」
「うん……!」
二人は駆け出した。
“観測局”の真の目的も知らぬまま。
しかし確かに、世界は――カイを中心に動き始めていた。




