第1話 炎に呑まれた少年
――世界が、音もなく消えていく。
目の前の街は燃えているわけでも、闇に呑まれているわけでもない。
ただ、色も匂いも重さも、「形」という形が淡い霧のように崩れ、白と黒の粒になって弾けていく。
泣き声が聞こえた。
手を伸ばす。小さな手。まるで別人のように幼い手。
触れた瞬間、その手も、声も輪郭を失って――
(あ、また……)
少年はそこで“気づく”。
これは現実ではない。何度も繰り返し見てきた、最悪の夢だ。
頭の奥で誰かが叫んだ。
――カイ、やめろ! それ以上は――!
誰だろうと思う前に、世界の色が完全に白黒へと反転した。
光と闇。その境界に自分だけが立っている。
右半分はまぶしい光、左半分は底なしの闇。どちらも触れたものを“なかったこと”に変えていく。
消える。
星も、人も、自分自身さえも。
(俺は……何を、して……)
問いかけた瞬間――
世界はぷつり、と音を立てて切れた。
◇ ◇ ◇
「――カイ!」
鋭い声とともに額が冷たく叩かれ、カイは目を開けた。
見慣れた天井と、見慣れた顔がある。
「今日も寝汗すごいわねぇ。まさかまた、変な夢?」
女性――ミリア。火の魔法を使う年上の魔導士。カイを拾ってくれた人。
「……ミリア、殴った?」
「軽くね。ほっぺ赤い?」
「めちゃくちゃ痛い」
起き上がったカイは頬をさすりながら、狭い部屋を見渡した。
ここは辺境の街ルーメン。賑やかだけど、基本的には平和な街だ。
「また、同じ夢?」
「……まあ、似たようなやつ」
世界が消える夢。説明するのが怖くて言えない。
そして――カイには「過去の記憶」がほとんどなかった。
三年前、森の外れで倒れていた自分をミリアが保護した。
名前も年齢も曖昧。それより前の記憶は、まるごと抜け落ちている。
「はい、これ」
ミリアが小さな金属板を投げてよこす。
中には簡単な火の魔法が込められている魔道具。
「また実験?」
「そう。また実験」
ミリアが不敵に笑った。
「外行くわよ。あんたの“変な体質”、今日こそはっきりさせる」
◇ ◇ ◇
街の外れの岩場。冷たい朝の空気の中、2人は向かい合う。
「火、風、土、水、光、闇……この世界では六つの魔法が普通。でも――」
「俺だけ、全部効かない」
カイは肩をすくめる。
「そう。あんたには一切効かない。
傷つきもしないし、反応さえしない。魔力が触れた瞬間、消える」
ミリアが火の玉を放つ。
《ファイア・ボルト》
火球がカイの胸に触れた瞬間――ふっと消えた。
温度も衝撃もない。跡すら残らない。
「何度見ても気味悪いわねぇ……」
「撃ってる本人が言うなよ」
三年間、どんな魔法もカイには触れた瞬間“消えて”しまった。
さらに、カイには魔法の代わりに奇妙な力があった。
剣を振るだけで、見えない衝撃波が飛ぶのだ。
魔法ではない。
詠唱も魔力の流れもいらない。ただ「斬る」と思うだけで岩を砕く。
今日の実験内容を聞く前に、ミリアが黒い封印箱を取り出した。
「最近、この辺りで“原因不明の異変”が起きてるでしょ。
火事や、意識不明、突然暴れ出す兵士……」
箱の中には、その原因とされる“危険な魔力の欠片”が入っているという。
「少しだけ封印を緩めるから、離れてて」
「ほんとに大丈夫か?」
「魔法が効かないあんたが一番安全なのよ」
そう言われ、カイは数歩下がった。
ミリアが封印を触った瞬間――空気が震えた。
色が滲み、風も音も消える。
(この感じ……)
夢に出てきた、世界がほどける感覚に酷似していた。
「ミリア!」
「ちょっと……予想より強い……!」
箱から黒い靄があふれ、周囲の岩が溶けるように色を失っていく。
夢と同じ“消え方”だった。
「閉じろ、ミリア!」
「やってるけど、魔力が逆流して――!」
カイは靄に飛び込んだ。
空気の手応えが消えるような不思議な感触――しかし靄は、カイに触れた瞬間に弾けて消えた。
カイは箱の蓋を強引に閉じる。
「今よ、ミリア!」
「《封印・七重》!」
光の輪が箱を包み、暴走は止まった。
空気が戻り、風の音が帰ってくる。
ミリアはへたり込み、息を整えた。
「……あんた、本当に暴走魔力すら消しちゃうのね……」
その後ミリアは真剣な表情で問いかけた。
「カイ。さっき、靄に飛び込む前……“見られてる”って感じ、しなかった?」
カイは言葉に詰まった。
ずっと感じていた。
背後から、感情のない視線を向けられているような感覚。
夢の中でもそれはあった。
「……何かに“試されてる”ような気分なんだ」
ぽつりと漏らすと、ミリアは軽く笑った。
「いいじゃない。見せつけてやればいいのよ。
あんたが“普通じゃない”ってことを」
2人は街へ戻り始めた。
そのとき――
――よかった。
カイの耳に、誰かの声が触れた。
懐かしい声。優しい声。
振り返っても誰もいない。
(今の……誰だ?)
ただ、その声だけが胸に残った。
――今度は、ちゃんと。
――自分の選択で、進んでね。
◇ ◇ ◇
その夜、ルーメンの空に、ひとつだけ強く光る星があった。
街の誰も気づかない。
ただ世界の“外側”にいる者だけが、それを見つめる。
『観測開始。対象――カイ』
冷たい声が響く。
『暴走因子と初めて接触。しかし、彼は迷わず他者を助ける行動を選択』
別の声が、薄く笑った。
『やっぱり、変わらないね』
『さて。今回は――どんな結末を選ぶんだい?』
無数の光が瞬き、その中心にひとつの“意志”が潜んでいた。
カイはまだ知らない。
自分の選択が――
街どころか世界すら越えて、
いくつもの“層”の運命を変えることになるなんて。




