今日も屋敷に帰れない宰相、王太子を諭す
「ブラッド殿下。あなたは王太子として、この国を背負っていく気がおありですか?」
王より十歳は歳下の若い宰相にそう言われて、ブラッドは目を瞬かせた。
何故、このような質問をされたのか。ブラッドは第一王子で、王位を継ぐ王太子として、自動的に認められている。
「宰相。僕は婚約解消の話をしていたのだが?」
「ですから、王太子として、この国を背負っていく気があるのか、お聞きしているのです」
「勿論、あるに決まっているだろう!」
「婚約解消を望んでいるのに?」
「婚約解消とこの国を背負うことは別だ」
いきり立つ王子に宰相は表情を変えずに言った。
「別ではございません。殿下の婚約者は他国の王女です。他国の王族との婚約解消は、それなりの理由が必要です。陛下からはお話がないということは、正当な理由はないのでしょう?」
「僕はリナと結婚したいのだ。会ったこともない女とは結婚する気が起きない」
「異なことをおっしゃいますね。王族のみならず、庶民ですら結婚式まで顔も見たことがない相手と結婚するというのに、王太子殿下とあろう者が、人見知りのある幼な子のようなことを言うなど、冗談も程々にしてください」
「冗談ではない! リナは王女とは比べ物にならない程、素晴らしい女性なのだ!」
「王女より素晴らしい? その素晴らしさで、この国を生涯、支えられるとお考えなのですか?」
「当たり前だ!」
宰相は溜め息を吐いた。
「愛する女性に、なんと酷なことをおっしゃるのですか」
「王妃になることが酷なことだとでも言うのか?!」
「どのような方かは存じ上げませんが、彼女は侯爵家以上の出身ではございませんね?」
宰相の頭の中には近隣諸国の侯爵以上の家の家族構成が五親等分は入っているが、リナという名に聞きおぼえはない。
「身分は低くとも、リナは優しい女性だ」
「成程。他国の王族との繋がりもなければ、財力もない家の出なのですね」
「身分だ、王族の血だと、煩いぞ! 宰相!」
「王太子と結婚したが為に他国の大使や王族の寝所に侍らなければいけないことを、酷ではないとおっしゃるのですか?」
「?!! 何故、そのような穢らわしい真似をしなければならないのだ?!」
「侯爵以上の家には他国の王族と婚姻関係がございます。それ故に血族だからと、相手の国の王侯貴族も交渉の場に着いてもらえるのですよ」
「血族ではなかったら、駄目というのか?」
「血族やそれに匹敵する友好がなくては無理ですね」
「それならリナは大丈夫だな」
「自国の王女を振って、選んだ女性に好意を抱けるなんて、奇特な人物だけです」
「しかし、リナは――」
「気に入ってもらう機会はパーティーでは短すぎるのですよ。寝物語でもしなければ、到底、その時の交渉に間に合いません。愛する女性にそのような真似をさせたいと、思いますか?」
「だが、身分の低い王妃だっていたではないか!」
ブラッドはリナとの結婚を考えて、言い伝えや遠い国の昔話レベルで身分の低い王妃の話を探し出した。
「そのような場合は、王族の血を引くなり、他国に顔の利く家が養女にしております。家の利にもなりますから」
子爵以下出身の王妃は非常にレアケースの為、自国や近隣諸国ではなくても、宰相は知っていた。今のブラッドのように馬鹿なことを言ってくる王族や高位貴族の令息を黙らせる為に、代々の宰相が引継いでいた。
「それなら、リナだって、養女にしてもらえればいいじゃないか」
「他国の王女を振って? そこまでして、身分の低い女性を選んだ王の話など、とんと聞いたことはございません」
ハハハッと、宰相は朗らかに笑うが、目は笑っていない。目の下の染み付いているクマのせいで、宰相は幽鬼のように見える。
「殿下が代わりに寝所に侍っても、悦ばれないでしょうし、婚約解消の代償が殿下の廃嫡でよろしければ、陛下に奏上いたしましょう」
「僕は、僕は・・・――」
屋敷にも帰れない、結婚する時間もない若き宰相の呪いの言葉に、ブラッドは戦慄した。
婚約解消などしたら、更に宰相の仕事が増えて、本当に他国の王族や高位貴族の寝所に放り込まれるかもしれない。それどころか、過労死した宰相に呪い殺されてもおかしくない。
愛しい女性が辿るかもしれない過酷な運命だけでなく、死んだら呪ってくるかもしれない宰相。
自分の思い通りになると思っていたブラッドは、宰相の堪忍袋の緒が非常に脆くなっていることに、ようやく、気付いた。
「婚約はそのままで良い。宰相、時間を取らせたな」
「いえ。短くとも、有意義なお時間でした」
実は第二王子の婚約者(12歳)は第二王子に押し付けられた仕事で、遅くまで屋敷に帰れません。
第二王子はこの頃、お忍びで城下に遊びに出まくっていて、そのこともあって、宰相は塩対応です。
王太子が第二王子を諫めて仕事させていたら、宰相の対応もマシだったかもしれません。
追記:代々の宰相は婚活する為に辞めています。