第3話 目立ちすぎた転入生
翌朝、教室に入った瞬間、視線が突き刺さった。
クラス全員が俺を見ている。昨日までとは明らかに違う空気。まるで有名人でも見るような、興味と畏怖が混じった視線。
「おはよう、カイ!」
「昨日すごかったね!」
「SSR2個とか見たことない!」
次々と声をかけられる。教室中がざわめいている。
(目立ちすぎた)
前世でも、宝くじ当選が知られた時はこんな感じだった。みんな俺じゃなくて、俺の金に興味があるだけ。結局、人間なんてそんなものだ。
席に着く。始業のチャイムが鳴り、担任が入ってきた。
一時間目、数学。公式を黒板に書く音が響く。でも集中できない。隣の席から小声で話しかけられる。
「ねえ、昨日のガチャ――」
無視。
休み時間を告げるチャイムが鳴った瞬間、また囲まれる。
「どうやったらそんなに強くなれるの?」
「運だよ」
「GP貯めるコツとかある?」
「...さあ」
人に囲まれるのは苦手だ。息が詰まる。
二時間目、歴史。この世界の成り立ちについての講義。また休み時間を告げるチャイムが鳴る。今度は後ろの席からも声がかかる。
「昨日の模擬戦すごかったけど、今まで何か訓練とかしてたの?」
「してない」
「えー、訓練なしであんなに強いの?」
「じゃあ天才ってこと?」
「今度一緒にダンジョン行かない?」
短い返答を繰り返すが、質問は止まらない。むしろ増えていく。
『おお、人気者じゃねぇか!』
ロトの能天気な声が頭に響く。
(うるさい)
『なんだよ、せっかく注目されてるのに』
(これじゃ動きづらい)
三時間目、四時間目と過ぎていく。休み時間のたびに質問攻め。逃げ場がない。
昼休みを告げるチャイムが鳴った。
「カイ、一緒に昼飯――」
「用事がある」
鞄を掴んで立ち上がる。早足で教室を出る。背後から声が追いかけてくる。
「待ってよ!」
振り返らない。廊下を早足で歩く。でも廊下にも人がいる。どこに行っても「あ、転入生だ」「SSRの人だ」と指を差される。
(どこか静かな場所は...)
逃げるように階段を駆け上がる。最上階へ。『屋上』と書かれた扉を見つけた。錆びついたドアノブを回す。
(どこか静かな場所は...)
階段を上り、最上階へ。『屋上』と書かれた扉を見つけた。錆びついたドアノブを回す。
ギィ、と音を立てて扉が開いた。
風が吹き抜けた。
◇
屋上から見える景色は、まさに異世界だった。
石造りの建物が整然と並び、赤い瓦屋根が陽光に照らされている。遠くには堅固な城壁がそびえ、その向こうには緑の平原が広がっていた。空を見上げれば、鳥じゃなくて小型の竜が悠々と飛んでいる。街の中心には大きな時計塔がそびえ立っていた。
(本当に、異世界なんだな)
東京の景色を思い出す。高層ビル、車の排気ガス、コンビニの明かり。今は遠い景色。
風が心地よい。誰もいない静寂。やっと一人になれた。
「ここにいたの」
振り返ると、セリアが立っていた。手には紙袋を持っている。制服の裾が風で揺れていた。
「人が多くて」
「そうでしょうね。昨日のあなた、すごかったから」
セリアが隣に来て、紙袋を差し出した。いい匂いがする。
「昨日のお礼、ちゃんとしたくて。何かお返ししたいなって」
「いらない」
「遠慮しないで。購買で一番人気の竜肉サンドよ」
セリアが少し困ったような笑顔を見せる。
「朝から並んで買ったの。だから、受け取って?」
朝から並んだ、か。俺のために。
「...ありがとう」
受け取る。紙袋越しに温かさが伝わってきた。
二人で並んで、街を眺める。風が髪を揺らす。
「きれいでしょう、この街」
「ああ」
「ノービスは『始まりの街』って呼ばれてるの。この世界が創られた時、最初に人々が集まった場所」
(ノービス...この街の名前か。今まで知らなかった)
転生してから数日、街の名前すら知らなかった。我ながら無関心すぎる。
「ロト様が世界を創った時、まずこの場所に神殿を建てたんですって。それから人が集まって、街になった」
「でも最近は、もっと大きな街もできて。ここは通過点みたいになってる」
セリアは少し寂しそうに笑った。遠くを見る目が、何か思い出に浸っているようだった。
「私、この街で生まれ育ったから。変わっていくのを見るのは、ちょっと寂しいかな」
「...そうか」
「でも私は好きよ、この街。人が優しくて、のんびりしてて」
会話が途切れる。でも、嫌な沈黙じゃない。風の音と、遠くから聞こえる街の喧騒が心地よい。
『いい雰囲気じゃねぇか』
ロトがニヤニヤしながら茶々を入れてくる。
(黙ってろ)
『つれないなぁ。せっかく美人と二人きりなのに』
無視。
「じゃあ、また後で」
セリアは手を振って去っていく。今度は、俺も小さく手を振り返した。前より自然にできた気がする。
一人になって、竜肉サンドを食べる。肉汁が口に広がる。スパイスが効いていて、美味い。
(優しいな、あいつ)
サンドイッチを食べながら、ぼんやりと考える。
前世で28歳だった俺が、今更17、8歳の女の子に惹かれることもないだろう。ただ、純粋に親切な人間だと思っただけだ。
...たぶん。
『なに黄昏れてんだよ』
「うるさい」
『まあいいけどな。それより午後の授業、俺の話が出るらしいぞ』
「知ってる」
『ちゃんと擁護しろよ?』
ロトの不安そうな声に、少し笑ってしまった。
◇
午後の授業は、この世界についての講義だった。
最初は神学。白髪の老教師が、咳払いをしてから話し始めた。
「では、神学の時間です。我々の世界を創造されたロト様について」
教師が黒板に『ロト』と大きく書く。チョークの音が教室に響いた。
「ロト様は...その、少々ギャンブルがお好きで...」
歯切れが悪い。教師は困ったような顔で続ける。
「正直に申しますと、ロト様を信仰する者はあまり多くありません。我々の世界の創造神でありながら、ギャンブルがお好きという性格のため、やや...敬遠される傾向にありまして」
『おい!なんだその言い方は!』
ロトが頭の中で騒ぎ始めた。
『敬遠されるとか言うな!俺様は偉大な神だぞ!』
(うるさい)
『信者が少ないのは、お前らが俺の偉大さを理解してないからだ!』
(自業自得だろ)
『なんだと!?』
教師は続ける。
「しかし、ロト様のおかげで我々の世界にはガチャという素晴らしいシステムがあります。これにより、誰もが平等にチャンスを得られるのです」
『そうだそうだ!俺は平等の神でもあるんだ!』
(ギャンブルで借金する奴もいるけどな)
『細かいことは気にするな!』
次は職業論の授業。若い女性教師が、活き活きとした声で説明を始めた。
「この世界には様々な職業があります。冒険者、商人、鍛冶師、薬師...」
教師が次々と職業を挙げていく。黒板に図解も加えながら、丁寧に説明していく。
「冒険者は依頼を受けてGPを稼ぎます。商人は物流を担い、鍛冶師は装備を作り、薬師は回復薬を調合します」
(結局、金を稼ぐための仕事か。地球と変わらない)
ビジネスの本質は同じらしい。需要と供給、サービスの対価。
「学院在学中でも職業に就くことは可能です。学業優先ですが、空いた時間で働けます。実践経験は貴重ですからね」
生徒たちがざわめく。みんな興味があるらしい。
「では、地理について。我々の住むノービスは比較的平和ですが、世界には危険な地域も」
大きな地図が広げられる。中央に大陸、その周りに島々。
「北部は部族間の紛争が絶えません。東部は魔物が跋扈する未開地域。西部は砂漠、南部は密林です」
「ただし、我々が住む中央大陸は比較的安全です。人族はここを中心に繁栄しています」
(紛争か...どこの世界も同じだな)
人間がいる限り、争いは絶えない。前世でも、今世でも。
最後はガチャ学。これは生徒たちの関心が最も高い授業らしい。
「ガチャには恒常と期間限定があります。期間限定は不定期開催で、特定のアイテムやスキルの出現率が上がります」
教師が確率の表を黒板に書く。
「基本確率はこちら。N=66.9%、R=30%、SR=3%、SSR=0.1%、UR=0.001%」
(この確率で、俺はURとSSR2個か...)
改めて自分の運の異常さを実感する。十万分の一を初回で引くなんて。
『俺の見る目は確かだったな!』
ロトが得意げに言う。
授業が終わり、放課後になった。
今日の職業の話を聞いて、考えた。どの職業に就けば、一番効率的に信仰を集められるだろうか。
(ロトの神力を上げるには、人々の信仰が必要。それなら、多くの人の目に触れる職業がいい)
それに、せっかく強い装備を持っている。雷鳴の双剣に疾風の靴。これらを活かすなら、やはり戦闘系の職業だろう。
(とりあえず、見学してみるか)
まずは冒険者ギルド。
◇
冒険者ギルドは、学院から歩いて十分ほどの場所にあった。
木造の大きな建物で、入り口には『冒険者ギルド・ノービス支部』の看板。扉を開けると、酒と汗の匂いが鼻を突いた。中は酒場のような雰囲気で、筋骨隆々の男たちが依頼書の前で議論している。
「おい、このゴブリン討伐、報酬が上がってるぞ」
「最近、数が増えてるらしいからな」
「新人には厳しいかもな」
活気がある。みんな生き生きとしている。
「見学希望?珍しいね、学生で」
受付嬢が笑顔で対応してくれる。二十代半ばくらいの女性で、茶色の髪を後ろで束ねていた。
「冒険者は依頼を受けて、報酬のGPをもらう仕事です。モンスター討伐、護衛、採取など様々」
壁には依頼書がびっしりと貼られている。
「初心者向けから上級者向けまで、ランク分けされています。最初はFランクから始めて、実績を積めばランクが上がります」
「危険は?」
「もちろんあります。でも、それに見合う報酬も。トップクラスの冒険者なら、一回の依頼で数万GPを稼ぐこともありますよ」
なるほど、ハイリスク・ハイリターンか。
次は剣闘士。闘技場は街の東側にあった。
石造りの円形競技場で、歓声に包まれていた。中央では二人の剣闘士が激しくぶつかり合っている。
「うおおお!」
「そこだ!決めろ!」
観客が熱狂している。
「観客を楽しませる戦いをすれば、投げ銭がもらえる」
案内役の筋肉質な男が説明する。傷だらけの顔に、歴戦の風格。
「勝敗より、どれだけ盛り上げるかが大事だ。派手な技、劇的な展開。エンターテイナーでなければ務まらない」
(エンターテイメントか)
前世でも、格闘技はショービジネスの側面があった。
「学生なら、アマチュア部門から始められる。プロになれば、スポンサーもつく」
最後は騎士団。整然とした訓練場で、騎士たちが隊列を組んで訓練している。
「一、二、三!」
号令に合わせて、剣を振る。統率の取れた動き。
「国に仕える正規軍です。月給制で安定していますが、規律は厳しい」
隊長らしき男が説明する。四十代くらいで、威厳のある佇まい。
「朝五時起床、夜九時消灯。訓練は一日八時間。休日は月四日」
(ブラックじゃないか)
「しかし、国と民を守る誇り高い仕事です。福利厚生も充実しています」
「学生なら、見習いから始められます。週末だけの訓練参加も可能です」
一通り見て回り、冒険者ギルドに戻ってきた。どの職業も一長一短。自由度の高い冒険者が、今の俺には合っているかもしれない。
すると、カウンター席で飲んでいる冒険者たちの会話が聞こえてきた。
「最近、初心者ダンジョンがおかしいらしいぜ」
「ああ、新人が襲われてるって話だろ?」
耳をそばだてる。
「昨日も、Fランクの奴が血だらけで帰ってきた」
「GPを奪われて、装備も全部持っていかれたとか」
「初心者狩りか...最低だな」
初心者狩り。弱い者から奪う、最も恥ずべき行為だ。
(この世界にもいるのか)
なんとなく、嫌な予感がした。胸騒ぎというか、面倒事の匂いがする。
『おい、聞いたか?初心者狩りだってよ』
「ああ」
『これは放っておけないな。弱い者いじめは許せん!』
ロトが正義感を見せる。でも――。
「お前、ギャンブルで人を不幸にしてるだろ」
『それとこれとは別だ!俺はフェアなギャンブルを提供してるだけだ!』
『自己責任だ!でも初心者狩りは違う!一方的な暴力だ!』
珍しくロトが熱くなっている。
家に帰りながら、考える。
初心者狩り。もし巻き込まれたら面倒だ。でも、放置すれば被害者が増える。
(関わりたくないが...)
美月のことを思い出す。俺が強くなって、ロトの神力を上げなければ、妹は救えない。
初心者を助ければ、信仰も集まるかもしれない。人々の信頼を得れば、それは神への信仰に繋がる。
(面倒だが、やるしかないか)
それに、弱い者いじめは好きじゃない。前世でも、力を持った人間が弱者から搾取する構図を何度も見てきた。
『よし!明日は初心者ダンジョンに行くぞ!』
「勝手に決めるな」
『でも行くんだろ?』
「...まあな」
『素直じゃねぇなぁ』
ロトが嬉しそうに笑う。
明日、もう少し調べてみよう。初心者狩りの手口、犯人像、被害状況。情報を集めてから動いた方がいい。
(巻き込まれるのは嫌だが、美月のためだ)
そう決めて、家のドアを開けた。
明日から、また面倒なことになりそうな予感がした。