8.わたしは踏み出した
哲人と別れて、一カ月が過ぎた。
結婚も視野に入れて付き合って来た恋人との関係を、最悪な形で終わらせたことには正直、精神的打撃が大きかったことは否めない。
だが、その心の傷を埋めてくれる存在が、既に美沙都の前に姿を現していた。
今、彼女は厳輔を振り向かせるべく日々頑張っている。
(天堂さんのこと、もっとたくさん知りたい……)
彼は、美沙都のずたずたに引き裂かれそうになった心を救ってくれた。
あの時、あの冷たい雨の中、彼が自分を拾ってくれなければ今頃どうなっていたか分からない。
美沙都は厳輔に恩を返したいという想いも抱いていたが、それ以上に、厳輔が抱えている苦しみを何とか癒すことは出来ないかと考えることの方が次第に強くなり始めていた。
厳輔は美沙都の心を救ってくれたのだから、今度は自分が厳輔を助ける番だ――そんな考えはおこがましいかも知れないが、しかしそれが今の美沙都の正直な気持ちだった。
(今日も天堂さん、来てるかな……?)
いつもの様に出勤し、いつもの様に自身が勤務するフロアに足を運んだ美沙都。
そして、見つけた。
あの武骨な巨漢は今日もひとり静かに、清掃作業に勤しんでいる。
廊下をすれ違う際に軽く挨拶を交わしたが、厳輔の表情の中には少しばかり、親しさを匂わせる柔らかな感情が垣間見えた様な気がした。
(大丈夫……わたし、きっと頑張れる)
心の中でぐっと拳を握り締めた。
今度こそ、幸せを掴んでみせる。
美沙都は既に、新たな一歩を踏み出し始めていた。