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7.わたしは反撃した

 いよいよ、哲人との同棲マンションに戻ってきた美沙都。

 我知らず全身が緊張に凝り固まっていたが、しかしここまで来た以上は今更後には引けない。

 あの冷たい雨の中に飛び出してきた際、無意識にスマートフォンと鍵だけは持ち出してきたのが、今となっては幸いだった。

 もしもこのまま締め出される様な事態に陥っていたら、本当に何もかも後手に回ってしまう。


(今日一日でケリが着くかどうか分からないけど……でも、やれることは精一杯、やり切らなきゃ)


 ここで美沙都は傍らに立つ巨躯にちらりと視線を流した。

 厳輔は相変わらず表情が無い。だが今に限っていえば、その不愛想な面が却って心強かった。動揺するでもなく、変に気負う訳でもない。ただひたすらに淡々と、美沙都の傍らに佇んでいるのみである。

 その圧倒的な存在感が、美沙都の背中を押してくれている様にも思えた。


(よし、行くよ……!)


 下っ腹に力を込めて気合を入れ直した美沙都は、哲人がその向こう側で待ち受けている筈の玄関扉に手をかけた。

 そしてドアを開けた瞬間に、思わず息を呑んだ。

 見覚えの無いレディースのショートブーツが、これ見よがしに脱ぎ捨てられているのが視界に飛び込んできたのである。

 まさか――美沙都は込み上げてくる激情を必死に堪えながらリビングまでの廊下を一気に突っ切った。


「え……美沙都、何でオマエ……」


 ソファーに哲人の姿があった。その傍らに、見覚えのある若い女性の顔。浮気相手の女子社員だった。

 軽い眩暈が襲って来た。あり得ない光景に危うく意識が飛びそうになった。

 どうしてこの男は、こんなことが平気で出来るのだろうか。

 その非常識で非人道的な行動に、美沙都は怒りを通り越してしまい、最早呆れるしかなかった。


「え、やだ、ちょっと……ねぇ哲人、どうなってるの? このひと、当分帰ってこないんじゃなかったの?」


 浮気相手の女子社員もまた狼狽していた。

 しかしその瞳には困惑だけではなく、明らかに敵意の色がちらついている。罪悪感など欠片にも感じられない嫌な顔つきだった。

 ここで気合負けしてはならない。

 美沙都は今にも涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、哲人と、そして浮気相手の若い女子社員をじろりと睨みつけた。


「哲人……あんた、何考えてんのよ」

「う、うるさい……オレがここに誰を連れ込もうが、オマエには関係無いだろ!」


 大声で怒鳴り散らせば、美沙都は黙り込んで反撃も出来ないと思い込んでいるのだろうか。哲人は自分こそが正しいといわんばかりの口調で盛大に逆切れし始めた。

 ところが、威勢が良かったのも束の間だった。いつもの上から目線は、一瞬にして色を失っている。浮気相手の女子社員も、妙に青ざめた表情で息を呑んでいた。

 いつの間にか、美沙都のすぐ後ろに2メートル近い筋肉の塊が凄まじい程の威圧感を放って、静かに佇んでいたのである。


「な……何だよ、オマエ……ど、どこのどいつだ……?」


 辛うじて喉の奥から抵抗の唸りを搾り出した哲人だったが、その面には怯えの色が張り付いていた。


「美沙都ちゃん、やっぱり被害届、出しとこか」


 厳輔は美沙都の遠い親戚という設定でこの場に居る訳だが、その芝居は中々堂に入っていた。本当に昔からの顔馴染みを思わせる言動に、全く違和感が無い。

 美沙都は、いよいよもって力強さを感じ始めていた。


「うん、そだね……こんなことされちゃったら、わたしももう、踏ん切りついちゃったかな」

「ひ、被害届? 何の話をしてるんだオマエ……」


 哲人の怯えは更に一層、強まっている。ここは一気に畳み掛けるべきだろう。

 美沙都は、ここに至る道中で厳輔と打ち合わせた通りの台詞を口にした。


「あんた、わたしが将来の為に頑張って貯金してたお金、わたしに無断で全部使い込んだよね……それってね、窃盗罪に当たるんだよ」

「はぁ? 何いってんだよ! オレとオマエは同棲してんだぜ! 一緒に住んでるオレがオマエのカネ使って何が悪いってんだよ!」


 自分は何ひとつ、悪いことはしていないと強気に出る哲人。

 ここで厳輔がすかさず間に割り込んできた。


「家族のカネを勝手に使う場合は親族相盗例というのが適用されますがね、漆崎さん、あんたは美沙都の恋人であって家族ではない。この場合は窃盗罪が成立し得るんですよ」

「な……そ、そんな……!」


 哲人は完全に言葉を失っていた。

 恐らく、己の行為が犯罪になり得るなどとは思っても見なかったのだろう。

 実をいうと、美沙都も同棲している恋人が勝手に資産を使い込んだ場合には窃盗罪が適用される可能性があることを全く知らなかった。

 が、厳輔は驚く程に刑法に明るく、哲人がこれまで繰り返してきた美沙都への仕打ちには、決して少なくない犯罪行為が含まれている旨を説明してくれた。


「漆崎さん、知りませんでしたは通用しませんよ。日本の法律ではね、無知は悪なんです」


 厳輔の声は飽くまでも静かに、そして冷静だった。

 逆に哲人は、完全に色を失っている。

 するとそれまでただ動揺するばかりだった浮気相手の女子社員は自身の手荷物を掴んで、哲人の傍から弾ける様な勢いで突然、立ち上がった。


「ア……アタシ、知らないから! 哲人が何やってたかなんて、全然知らないから! そんな奴、どうでもイイし、知ったこっちゃないわよ!」


 そしてそのまま、マンションを飛び出していってしまった。

 残された哲人は愕然としたまま、その場に凍り付いている。


「哲人……もう、終わりにしましょ」


 美沙都は静かにいい放った。

 もうこの時点で、既に勝負を決まっていた。

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