9.出会い
目が覚めると、見たことのない天井があった。
「・・・ここは?」
確か輸送船に乗り込んで、嵐に巻き込まれて・・・。そこからの記憶がない。頭がズキズキと痛んだ。
体を起こそうとすると全身に痛みが走る。
「・・・なんだ、これは」
自分の身なりに思わず声を上げる。見たことのない柔らかい服を着ていて、全身に包帯が巻かれていたのだ。
ここはどこだ?
海で意識を失って、どこかに流されたのだろう。果たしてここは、人間の世界なのか?
ということはこの治療は人間がしてくれたというのか?
痛みに顔を歪めながら起き上がる。部屋の中はほこり1つない。物もほとんどなく、自分が寝ている布団が置かれているだけだった。
布団のそばには俺の刀と、着て来た服が置かれている。
人の気配がした。慌てて立ち上がり、刀を握る。
襖が無造作に開かれた。
「お、やっと起きた!」
現れたのは同い年くらいの女性だった。目鼻立ちのくっきりとした華やかな顔立ちとは裏腹に、後ろに一つに結われた髪に、薄汚い服を着ている。
「怪我の具合はどう?」
ズカズカと近づいて来る。慌てて刀を向けると、その女は楽しそうに笑った。
「警戒しないで。その手当て全部私がしたんだから」
「・・・そなたは何者だ」
変な口調の女に不信感を抱く。人間だろうか。
「それはこっちのセリフ。あなた名前は?」
本性など明かせるはずもなかった。人間の世界に来たらあらかじめこう言おうと決めていた。
「俺は・・・記憶をなくしたのだ」
そうすれば名前や家族を答えなくても済むはず。
「そんな・・・」
眉毛を八の字にして心配そうに顔を覗き込まれる。すぐに信じるとは、あまり頭は良くないようだ。何かを企んでる様子もない。
「いつからの記憶がないの?」
「・・・ずっと前から。自分が誰かも思い出せない」
嘘がバレてないか心配で彼女を見ると、目が飛び出しそうなほど驚いた顔をしていた。
「じゃあ名前も覚えてない?」
「ああ」
そうかそうかと彼女は頷くと、俺の顔をじっと見た。
「私があなたの名前をつけてあげるわ!そうだなぁ、自分を覚えていないんだから、今日が人生1日目ということで一之助はどう?」
「・・・イチノスケ?」
どうやら名付けの才能もないらしい。そんな名など今まで聞いたこともなかったが、どうせもう会うこともないだろうし、名前を呼ばれる機会だってない。断る理由がなかった。
「じゃあそれで」
「一之助!いやぁ気に入った!」
どうにも掴めない女だ。
「・・・そなたの名は?」
「私?私は糸よ。ところでそれは本物の刀?」
王になる者としてまちの人々と過ごして来たので人を見る目には自信がある。
この糸という女は間違いなく・・・馬鹿だ。
「傷の手当て、感謝する。それではこれで失礼」
部屋を出ようとすると腕を掴まれる。
「傷口がまた開くよ。せっかく縫ったのに」
「縫った・・・?」
恐る恐る服をたくし上げると腹の部分に縫い目があった。もしかしてこの女が腹を縫ったのか?
「へへっ、上手いでしょ。抜糸に最低2週間は必要だからここで大人しくしといてね」
「ちょっと待て。本物の糸か?」
「うん、私は糸というけど」
「・・・違う。俺の腹に本当に糸を通したのかと聞いている」
腹に糸を通す治療など聞いたことがない。これも人間特有のものなのか?
「そっかぁ、記憶喪失だったね。これは医療用の糸。安全なものだよ」
「お前は医学に精通しているのか?」
「私?私は医者」
この馬鹿が、医者?
先ほどまで感謝していたが急に恐怖が襲う。全身手当てされたようだが果たして自分の身は大丈夫だろうか。
「腕は確かか?」
「ハハッ。自分の傷に聞いてくれたまえ!」
そう言い残すと女は部屋を出て行った。
確かに、刺された箇所の痛みはマシになっていた。信じられないが腕前はなかなかのようだ。
部屋を出ると長い廊下が広がっている。廊下を進むと階段があり、階段を降りると大きな部屋に多くの病人がいた。
どうやらここは病院らしい。
俺の部屋は個室だったようだ。
女が1人ずつ回診している。どうやら医者というのは嘘ではなさそうである。
さらに廊下を進むと診療室が。なかなか大きな病院だ。
「あ、あいつですよ」
若い男の声が聞こえて振り返る。受付に2人の男が立っていた。1人は学生で、もう1人は俺よりいくつか年上に見える眼鏡をかけた落ち着いた男だった。
学生が俺を指差しながら眼鏡の男に小声で何かを話していた。
「あいつが花野先生が連れて帰って来た変な男です」
・・・変な男だと?
花野とはあの女の名前か?
「確かに出立ちが普通じゃないな」
眼鏡の男が不審げに俺を見る。全体的に気に食わない奴だ。
「きっと悪い連中の一味ですよ。全身傷だらけだし。ほら目つきも──」
俺の視線に気付き学生の方がひっと小さく叫ぶ。
まったく。一体なんなんだここは。
出口を探して建物の中を見渡していると女が俺の手を取り男たちの前へ連れて行った。
「正太郎、家内くん、紹介するわ。今日からうちで面倒を見る一之助よ」
男たちはポカンと呆気にとられている。
面倒を見るだと・・・?
「誰がここに止まると言った?すぐに去る」
俺の言葉に女はニコッと笑う。
「死にたいの?その身体で動き回ったらすぐ傷口が開くわ。この辺りにはここしか病院がないの。それでも行く気?」
受付にかけられた表札が目に入る。
『花野医院』
俺はこの女の病院で、しばらく過ごすことになった。