8.逃亡
じいの話を飲み込むのに時間がかかった。だけど戸惑っている猶予はない。
「つまり、父さんの兄が脱獄して俺の命を狙っているということ?」
「そうだ。お前をこんな目に遭わせた男もゼファで間違いないだろう」
赤い眼を思い出す。俺と同じ色をしていた。
「このことを知っている者は?」
「もう20年も前のこと。当時離れに仕えていた役人で生きている者はほとんどいない」
「奴を捕まえるしか方法はない?」
「民には知られていない囚人だ。公にすることはできない。それに、ゼファの目的は民を殺すことじゃない。まちの人々に危害が及ぶ可能性は低いだろう」
「だからってこのまま放っておくつもり?」
「・・・逃げるんだ、ロウ」
じいの言っていることがよくわからなかった。
「世界は広い。船に乗って海を渡るんだ」
「人間の世界へ行けってこと?」
「30分後に輸送船が出航する。急げ。ゼファのことはわしに任せろ。わしが始めた出来事だ。わしが何とかする」
「でもじいも危ないんじゃ・・・?」
「ずっと、息子から逃げていたんだ。でももう逃げてばかりではいられぬ。ゼファと、向き合わねば」
頷くしかなかった。マントを手に取り部屋を出る。涙が止まらなかった。もうじいとは会えないかもしれない。そんな考えがよぎったのだ。不安になって振り返ると、じいが泣きながら立っていた。
「振り返るな!生きるのだ、なにがあっても!走れ、ロウ!」
泣きじゃくりながら港へ走った。
空を見上げると鷹が一匹飛んでいた。
「もう降りてきてよいぞ、シュウ」
そうつぶやくと鷹が降りてきて人の姿になると、刀を渡された。
「回収してくれたんだな、ありがとう」
心なしかシュウの目に涙が浮かんでいた。空から全て聞いていたのだろう。
もらった刀を背中にかけ涙を見られないようぎゅっとマントを深く被る。
「ついてくるなよ」
シュウは農家の息子だ。逃亡劇に巻き込むわけにはいかない。
「俺がいなくなったわけは誰にも話すな」
「話すものか」
「・・・必ず帰ってくる」
涙でびしょびしょになりながら頷くシュウに別れを告げて、輸送船に乗り込んだ。
すぐに出航し、初めて海の上に立つ。海から見た島はこんなものか。小さい頃から一度この島を出てみたかった。この海の先に一体どんな世界が待っているのか、知りたくてたまらなかったのだ。
ナオさんも、この上を通ったのだろうか。
島に逃げてくる時どんな気持ちだっただろう?
今の俺と同じ気持ちだろうか。
命を狙われている恐怖と、味方がいないことへの不安。
もしこの先に、自分の味方になってくれる者がいなかったら?
元いた場所よりもっと恐ろしい思いをすることになったら?
・・・あるいは、自分を守ってくれる者が現れたら?
もしナオさんが俺と同じような気持ちで船に飛び乗ったのだとしたら。結局元の恐ろしい場所へ戻らなくてはなかった時、同じ船で一体何を思ったのだろう?
愛する人と引き裂かれる悲しみと、運命に従うしかない自分の無力さ。
それだけか?いや、そんなことはないはずだ。逃げた先に、短い期間でも味方でいてくれる人を見つけることができた幸せ。そんなものを、感じていたのではないだろうか。
「嵐だ、嵐がくるぞ!」
船員の声が響く。ほどなくして船は浸水し、俺は意識を失った。