7.昔話
わしの第一子は待望の男子じゃった。
ゼファと名付けた。
しばらく王族に男子が生まれていなかったものだから、皆浮き足立ってな。ゼファが生まれてから数日は毎日お祭り騒ぎだったんじゃ。まち中大喜びで、それはそれは幸せだった。
ところが、ゼファは今までの獣人とは大きく違ったんじゃ。獣人は皆、獣の姿をして生まれてくるだろう?ゼファは人の姿をして生まれてきたんだ。真っ白い肌をしていて、毛も生えていなかった。赤ん坊のころは、人の姿で声をあげて泣いた。今までそんな男子などいなかったのだ。
そういうこともあるのかもしれない。十八を超えてようやく声が低くなる男がいるように、変獣が遅い獣人もいるのだろう。そうやって皆気に留めずに、大丈夫だと思い込んだ。
今思えば、それが失敗じゃった。ゼファのありのままを受け止めるべきだったのじゃ。
ゼファが5歳の時、わしに第二子が生まれた。また男の子だった。カイトと名付けた。
これほど嬉しいことがあるか?わしの父は20年で8人の子どもを設けたが男子はわし1人だった。第8子にしてやっと生まれた男子だったのじゃ。それが、わしはたった5年で2人の息子を持った。跡継ぎを設けることは王としてとても大事な役目じゃ。亡き父も、若くしてその役目を果たしたわしを誇らしく思っているに違いない。そう信じて疑わなかったわしは、なんて愚か者だろう。息子を持つだけじゃなく、立派な男に育てることまでが父親の役目だというのに。
ゼファとカイトはとても仲の良い兄弟じゃった。2人を見ていると、こんな幸せなことがあっていいのかと涙が出たほどだ。
ゼファは責任感が人一倍強い子供でな。若くから民を守る王になるのだと勉学と武道に励むような立派な子じゃった。一方でカイトは体が弱くて気弱な少年じゃった。でも優しい心の持ち主で、庭園の木が嵐で倒れてしまったときは悲しみで寝込んでしまうような子供だった。
2人は性格こそ正反対だったが、とても馬が合うようでな。カイトは兄のことを慕ってついて回っておったし、ゼファも嫌がるそぶりを見せず弟が気の強い集団に虐められていたら駆け付けて返り討ちにしたこともあったほど弟を大切に思っていたのだ。
それが・・・いつからあんな風になってしまったのか。
きっと、一つの出来事が原因ではない。色んなことが積み重なって、少しずつ歯車が狂っていった。
ゼファが十九の時のことだ。彼が二十になったら王位を譲るつもりだった。代々王位継承は二十の時に行われていたからだ。それに伴ってそろそろゼファにとって将来の妃となる女性を選ぼうと思っていたころだった。
「どうかこの女性と結婚させてくれないか」。そうゼファが直々にわしのもとに連れてきた女性がいたのだ。名はナオといった。笑顔がかわいらしい少女であったが、見覚えがなかった。一体どこの出身で誰の子か訊ねても、農民の娘だと答えるばかりで肝心なことは何も教えてはくれなかったのだ。
わかるだろう?ゼファはこの国の王になる男なのだ。どこの誰かもわからぬ少女に王の妻が務まるものか。そう伝えても、ゼファは彼女の詳しいことは話さなかった。時間ばかりが過ぎて行った。ナオとゼファの仲は一層深まっていた。一時の感情じゃろうと、妃を迎えて王になれば改心するだろうと特に気に留めてはいなかった。
その頃カイトは十四になる年で、背丈もぐっと伸び、声も低くなって、毎日些細なことで泣きべそをかいていたかつてのような面影はどこにもなくなっていた。すっかり精悍な顔立ちをして、友と日々武術で競っては、着実に腕を上げていった。オオカミへの変獣も安定してきて、幼い頃は食事中でも構わず変獣していたものを、その頃には自分の好きなように姿を操れるようになっていた。
兄のゼファは真面目なところがあったから、友達付き合いはほとんどしなかった。「将来王になるというのに、威厳を持たなくては民に示しがつかない」と話したときはたいそう感心したものだ。
一方弟のカイトは次男であるからか、昔から責任感というものがこれっぽっちもなくてな。当然兄が王になるものと思っていたのか、気楽に誰とでも接していた。それゆえ友達も多く、カイトの周りは毎日にぎやかだったよ。
ゼファはきっと、孤独だったのだろう。
ある日、カイトが私の部屋を訪ねてきた。いつも訓練や勉学をほっぽり出して友と過ごすような子だったから、一体何事かと驚いたのを覚えている。要件をたずねると、カイトはこう言ったのだ。
「父上、どうか兄上とナオ様の結婚を許していただけませんか」
驚いたよ。ナオと接点があるようには見えなかったし、カイトは私の決定に反対などしたことがなかったから。
「身元もわからぬ女性なのだ。民にどう説明すればよい?」
「兄上にも説明できぬ事情があるのです」
「どんな事情であれ、素性を説明できぬ女性を王宮に迎え入れることはできない」
「決して悪い女性ではないのです。どうか、両親を亡くした身寄りのない女性と受け止めてはくれないですか」
「それは真なのか・・・?本当に彼女は身寄りがいないのか?」
「それは・・・」
歯切れの悪いカイトに、きっと何か隠し事をしていると感じた。決して、良いことではないということも。
「代々妃選びというのは慎重にやっているのだ。国を、民を守るための私の王としての役目なのだ。正直に話してくれなければ、結婚は認められない」
わしは父が選んだ女性と結婚し子を設けた。妻は白鳥へと変獣する美しい女性で、母の兄の妻の弟の子供、つまりは遠戚にあたる由緒正しき家柄の娘であった。父に選ばれた妃であったが、愛さなかったかと問われればそんなことは全くない。深く愛しておった。いつもは王たる者を誰よりも理解し、実行に移しているゼファが、妃選びに反抗するなど、一体どういう風の吹き回しだというのだ。
「父上、ナオ様の出自を教えたら、結婚を許してくださるのですか」
「小さなまちだ。貧しい農民の娘だからと言って反対することはできぬ。裕福な家柄などたかが知れておる」
ただ本当のことを言えばいいというのに。どうして隠そうとするのかその時は検討もつかなかった。カイトはしばし考えて教えてくれたよ。ゼファの結婚を後押ししてあげたい一心じゃったんだろう。
「・・・ナオ様は人間なんです」
驚いたさ。そんなこと、考えもしなかった。
「なぜここにおるのだ」
「理由は分かりませんが、人間界で誰か悪い人に追われていて、この島に逃げてきたんです。兄上はナオ様を守ろうとしているんです。どうか助けてやってくださいませんか、父上」
「本人から聞いた話か?間違い無いのか?」
「僕の友が船乗りの息子で、米を運ぶ船に少女が傷だらけで怯えて乗っていたと言っていたんです。理由を聞いたら、怖い人に追われていると答えたと。その友が言うには、兄上がその少女の手当てをしているところを見て、ナオ様で間違いないらしいです」
どうすればいいのか考え込んだ。人間が島にやって来ることは幾度かあったが、先代の王たちは皆牢獄に閉じ込めるか、処刑してきた。獣人にとって人間は畏怖の対象であり、その人間がどんなに善良な者であっても民に受け入れられるとは限らない。ましてや追っている者が権力者だったら?獣人と人間の戦争に繋がりかねない。
これでもかと考え込んで、ゼファを呼んで問い詰めた。
「今の話はまことか?」
「一体誰がその話を?」
「カイトが教えてくれたのだ。兄の結婚を許して欲しいと」
「許してくださるんですか?」
ゼファの懇願するような目線に、ようやく固めた決意が揺れそうになった。だがわしは王だったのだ。獣国の核だ。わしの父も祖父も絶対に同じ判断を下すだろうと何度も自分に言い聞かせた。
「結婚させることはできない」
「なぜです!?」
正義感の強いゼファが、あんなふうに取り乱しているのを見るのは初めてじゃった。父として心が痛んだよ。
「妃は民の注目の的だ。一体どんな動物に変獣するのか、どこの娘なのか、すぐに知りたがる。いずれバレるのだよ、ゼファ。彼女のためを思うのなら、妃なんて注目を集める位に置かない方がいいに決まっているじゃないか」
「ですが彼女は追われている身です。妃なら守ってやれますが、市民としてこの地に住ませるのならば、追手が居場所を突き止めた時連行されてしまう。王宮が一番安全じゃないですか、父上」
「彼女は一体なぜ追われているのだ。ここまで逃げてくるほどなのだから、相当な者に目をつけられているのではないか?」
「・・・向こうの王族の人間です。このままだとナオは奴らに殺されてしまう。妃がだめでも、王宮に住み込みで働かせてやるのはいかがですか」
「ゼファよ、人間を匿うことがどれほど獣国の民を危険にさらすことになるか分からぬのか?人間が軍を送ってきたらどうする?戦争が起きたら?王として決して許すことはできない。そもそも、人間はこの島に入ってはいけない。匿ってもいけない。民にそう説いておる王族が一時の恋慕の感情で規律を破っていいと思っているのか?そんな息子に育てた覚えはないぞ!」
その時のゼファのひどく絶望した表情を今も忘れることができない。あの時下した判断は正しかったのか。そう何度も自問自答した。だがやはり、そうするほかはなかったのだ。人間を匿った話は民の間でも噂されていた。このままでは王族の信頼の失墜を招いてしまう。わしはナオの送還の日程を早めた。父として何かできることはないかと考えて、ナオからゼファに安否を知らせる手紙を出すことを許可した。月に1回、米を運ぶ船にたった1通だけ、手紙を書いてもよいと。
ところがナオを人間のもとへ返して5か月目にして、毎月欠かさず届いたゼファへの手紙がこなくなった。それはすなわち、ナオの死を意味していた。
それからゼファはふさぎ込むようになった。以前の彼とはまるで別人だった。その頃から度々、カイトの顔が赤く腫れあがっており、どうしたのかと聞くと「友と武術を競って負けたんです」と笑って答えるようなことがあった。そんな日が何度もあった。ある日1人の執事から、「ゼファがカイトに暴力をふるっている」と聞いたのだ。その報告を聞いた時のわしの悲しみがわかるか?
どうやらゼファは、カイトがわしにナオが人間であることを告げ口したせいでナオが死んだのだと思っているようだった。
「オオカミになれないのに王になる俺が憎いからナオの正体を父に喋ったんだろう?変獣できる自分こそが王になるべきだと考えてるんじゃないのか?この裏切り者め!」
そう発狂しながらカイトに襲い掛かるゼファを見て、この子はもう以前のゼファではない、そう思った。一種の病だろうと、医者をたくさん呼んでゼファを療養させた。決して外に出さなかった。閉じ込めたのだ。
今思えば、失敗じゃった。
そうするべきではなかった。
ゼファは寄り添ってほしかったのだと思う。友のいない彼にとってナオは初めての、そして唯一の友であり、愛する女性だった。そんな彼女のことを失った悲しみと、守れなかった悔しさは想像を絶する。疑心暗鬼になってもおかしくはなかった。そっと抱きしめてあげればよかったのに、わしはそうしなかった。怖かったのだ。「民を統べる王になりたい」と輝きに満ちた眼でこちらを見ていた最愛の息子が別人のように変わり果てた姿を見たくなかった。
そのうち医者にも暴力を振るうようになって、王宮の外にある離れに彼を移した。屈強な家来たちを離れのまわりに配置した。民には「ゼファは病に伏している」と、そう説明した。
ゼファが二十五の時、そしてカイトが二十の時、わしは王位をカイトに譲った。カイトは王になった。新たな妃も迎えた。ユイという礼儀正しい女性だった。カイトの幼ない頃からの友であり、王宮に古くから仕える役人の孫娘だった。二人は愛しあっておった。
カイトは最初こそ自分は王になれる器ではないと兄ゼファの回復を待つようわしに言ったが、ゼファが到底王になれるような状態でないことは一目瞭然だった。カイトはそれでも兄の見舞いに足を運んだが、ゼファのカイトへの、いや、全獣人への憎しみは増すばかりだった。カイトが王になってからは、顔を合わせることもできない状態になった。
だがカイトはよくやったよ。良い王だった。民と同じ目線で物事を見れる、民に寄り添った王だった。
カイトが二十二の時、男子が生まれた。そう、それがお前だ、ロウ。相変わらずお祭り騒ぎだったさ。わしも、赤ん坊のお前を見て、久しぶりに笑みがこぼれた。
幸せだったんじゃ。
ロウの誕生は、10年近く漂い続けた王宮の憂鬱な雰囲気を吹き飛ばすほどめでたい知らせだった。このまま全てが良い方向に向かったらいいのに。そう願わずにはいられなかった。
そんな時だった。
ゼファが正気を取り戻したと医者から言われたのだ。今までの愚行を深く反省していて、直接わしやカイトに謝りたいと。許されるならばロウの顔を一目見たいと。これからは以前のように真面目に生きたい、と。
この必死の頼みを断ることなどできようか。カイトも兄の回復に大喜びして、豪華な食事を用意させ、家族の再会の日程はすぐに決まった。
ところが、再会の日の朝、カイトとユイは帰らぬ人となった。
離れから王宮に戻ってきたゼファが、2人を殺したのだ。
そしてわしはその事実を隠蔽し、王宮で感染病がはやり、王と王妃は病死したことにした。王位はわしに返され、ゼファは牢獄の奥深くに収監した。
これもわしの心の弱さじゃ。王と王妃を殺すという大罪を犯した男を、息子だからと言って殺せなかった。
それから二年ほどたってほとぼりが冷めたころに、ゼファは闘病の末病死したと発表し、離れを取り壊した。
これが、わしがお前に黙っておった秘密じゃ。
不甲斐ない祖父を、許してくれ。