23.シュウ
『王族は最低の奴らだ。何不自由なく育ったのは俺らの税金のおかげだというのに庶民を見下してやがる』
それが親父の口癖だった。
親父はかつて、王様に仕えていた。
鷹に変獣する獣人は貴重だった。代々鳥に変獣する家系でも鷹が生まれるのは珍しく、歴代の王たちも重宝したそうだ。
親父は貧しい農家の出身だったが、その才能を見込まれ王宮に仕えることになった。
親戚一同、大喜びだったらしい。
王宮に仕えたくらいで、と思う者もいるだろう。だけどそれ程農民にとって王宮は夢であり、憧れだった。やっとこの貧乏暮らしから抜け出せる。王宮に仕える者さえまちを通ると道を譲られるような窮屈な世界だった。
親父が王宮で働き始めてからしばらくして、俺が生まれた。鷹の姿で産まれた俺に親父は喜んだ。我が家は安泰だ、そう毎日母に言っていたそうだ。
親父は視力と聴力がピカイチで飛ぶのも速かった。何より仕事に全力で取り組んだ。全ては貧しい日々に戻らないようにする為だった。イナヤ王に仕事ぶりを認められ、内密な仕事や王宮内の調査まで任せられるようになった親父は、ますます仕事に没頭した。
そのうち家に帰って来なくなり、前はたまの仕事休みに息子の俺と遊んでくれていたのが、そんなこともなくなった。
「王宮に仕える者に家でも働かせるのか?」
肉などまるでないような痩せ細った女性にはとても手に負えない力仕事を親父に頼んだ母が言われた言葉だ。
この言葉を一生、忘れることはないだろう。
俺は同世代の他の子どもに比べて身体が小さく、変獣するのが遅かった。
「ロウ王子はもうとっくに立派なオオカミへと変獣してるというのにお前は・・・」
久しぶりに家に帰ってきたかと思えばそう悪態をつく親父のことが嫌いだった。
いや、それは嘘だ。
所詮親と子。親を嫌いになるには幼すぎる年齢だった。
当時嫌いだったのは親父じゃない。王族だ。
親父を変えた王族、親父が俺と比べる王族、親父が家族よりも大切にする王族。
彼らがどうしようもなく憎かった。
『ロウ様がこんなことをなさった』『最近のロウ様はますます美しい』
そんな話をしてばかりの島の年寄りに嫌気がさした。
今の俺からじゃ想像もつかないだろうけど、同世代で1番のいじめられっ子だった俺は、親父にとって恥ずべき存在だった。
俺が8歳の頃、親父は任務中に怪我をして、飛べなくなった。
飛べない鷹に用はない。
武術と変獣の才能だけで上り詰めた親父は学もなく、身体を壊した状態では何の役にも立たないお荷物だった。
王宮を追い出されるのは至極当然のことだったが、農民上がりの王宮仕えにとってそれは“死“も同然だった。
畑に戻った親父は荒れ果てた。
毎日王族への恨みつらみを述べては俺と母に暴力を振るった。
明日の飯もないというのに、少ない金で酒を飲んだ。
『父が家に戻ってきてくれて嬉しい』なんて微塵も思わないほど、親子の関係は冷め切っていた。
「シュウ、王族なんかろくでもない奴らだぞ」
そう言う父の荒んだ姿に、子どもながらに傷ついた事を覚えている。
家計は困窮した。
祖父母も父を止めることはできず、母は精神的なものだろう、体調を崩すことが増えた。
早く大きくなって、ろくでもない父の代わりに祖父母や母を養わなければ。そんなことを日々考えていた幼少期だった。
一方でいつまで経っても変獣ができるようにはならず、いじめも悪化した。どこにも居場所がなかった。
父を殺そうかと考えたこともあった。
父に暴力を振るわれて弱った母と、父に怯える日々を過ごす祖父母。
僕の好きな人たちは、父が死んだら救われるんじゃないか?
そう考えては、痩せ細って鎌一つ持ち上げて歩けないほど力の弱い自分に嫌気が差した。
「こいつの父親、浮浪者なんだぜ。毎日働かずに酒浸りでまちの厄介者だって父ちゃんが言ってた」
「その上息子のこいつも変獣ができないなんて」
「一家揃って獣人の恥だな」
「俺たちで懲らしめてやろうぜ」
そう言って殴られてる間、悔しくはなかった。本当のことだったからだ。親父は働きもしない浮浪者で、息子の俺は変獣もろくにできない弱小者。
一家揃って獣人の恥。
その通りだった。
俺たちは生きているだけで周りに恥じられる存在だったのだ。
「何をしている」
そう声がかかったのは、俺が10歳の時だった。澄んだ声だったのをよく覚えてる。
「なんだお前?」
男子たちは見知らぬ少年の登場に表情を曇らせた。だけど彼らは集団で怖いものなど何一つなかった。次第に面白いおもちゃを見つけたとばかりに楽しそうに少年に絡み始めた。
「坊や、英雄気取りも大概にしろよ。俺たちは悪いことなんかしてない」
「人に暴行を加えることが悪いことでないのなら、この世に悪行など存在せぬ」
吸い込まれるような赤い眼をした、色の白い少年だった。
「舐めた口聞くんじゃねえぞ!」
男子たちは少年に殴りかかるが、軽くかわされる。少年は圧倒的な威圧感を放っていて、子どもとは思えないほどだった。
そこに父親くらいの年齢の男性が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「ロウ様、争いごとはいけませんよ」
その言葉に殴りかかっていた男子たちの足が止まった。
「王子様・・・?」
なんと目の前に立つ切れ長の目の少年は獣王の孫・ロウだったのだ。
「ご無礼をお許しください。ロウ様だとは気づきもせず・・・」
土下座する男子たちをロウは厳しい目で見つめた。
「謝る相手を間違っているぞ。そなたたちが謝らねばならないのはそこの少年だろう」
指を差されたのは俺だった。
「今すぐ謝るのだ」
「ご、ごめんなさい」
慌てた様子で謝られて困惑した。王族を間近で見たのは初めてだった。
親父が慕っていた王族。恨んでいる王族。
『ロウ王子はもうとっくに立派なオオカミへと変獣してるというのにお前は・・・』親父の言葉を思い出す。
「二度と同じ過ちを繰り返すのではないぞ」
ロウはそう言って歩いて行く。咄嗟に後を追った。
といっても話しかけることはできない。そっと後ろをついていくと、何やら先ほどの中年男性に嗜められている様子だった。
「ロウ様、王宮を1人で出てはいけないとあれほど言っているでしょう」
「あそこは窮屈なのだ。外の世界に出たい」
「そう言われましても・・・。王宮に全てが揃っているではありませんか。何か欲しい物があれば私が調達します」
「自由だ。俺は自由が欲しい」
先ほどとは少し違う子供っぽい一面に驚く。同い年くらいだろうか。
「なぜ付いてくるのだ」
ロウが振り返って俺を見た。どうやら気付いていたようだ。
「なぜ助けてくれたんです?」
「助けただと?俺は何もしていないが」
「暴力を止めてくれました」
ロウは少し考えて口を開いた。
「なぜ言い返さなかった?それほど怯えていたのか?」
「彼らの言う通りだったからです。俺は変獣もできませんし、親父は仕事をクビにされ酒浸りの毎日です」
怪訝な顔をされる。幻滅されただろうか。
「名を何という?」
「シュウと申します」
「シュウ、お前は病に伏して働けない市民を殴るのか?」
「いえ、そんなことするはずがありません」
「ならなぜ彼らの言うことを否定しない?働いてない男の息子なら殴っていいと?変獣できない子どもは殴られて当然だと?そんなこと間違ってるとなぜ言い返さない?諦めてやられている?俺はお前を助けてなどいない。奴らが間違ったことを言ったから訂正しただけだ。“獣人の恥”だと?そんなことを恥と思うほど獣人は卑しい者ではない。獣人を馬鹿にされたのが許せなかっただけだ。言い返さなかったのなら、お前も奴らと同じだ」
そう言うと颯爽と去っていく。
悔しかった。
正論を叩きつけられるのは馬鹿にされるよりきつい。
結局俺は被害者でもなんでもなく、親父から母や祖父母を助けず見て見ぬふりをする加害者だった。
そのことに気づいているからこそ、虐められてもされるがままで、力の弱い自分だから仕方ないと諦めることで楽をしていた。
どこまでも心の弱い自分が嫌いだった。
家に帰ると父親が起きているのを確認し、そっと隠れる。
「俺のことを馬鹿にしてるのか?!この役立たずめ!」
親父が母のことを殴る。目を隠す。心が傷つかないように、そっと殻を被る。今俺は何も見ていない。そう言い聞かせた。
「働けなくなった俺を見下しているんだろ?!」
嫌な音が響く。耳を塞ぐ。『言い返さなかったのなら、お前も奴らと同じだ』美しい少年の言葉を思い出す。
どこまで弱いんだ、俺は。
強くならなきゃ。もっと強く。
間違っていることは間違っていると言える男にならなきゃ。
誉高きこの国の王子に相応しい、獣人にならなくては。
身体に力が沸々とみなぎってくるような気がした。耳を塞ぐ手を外す。親父が母を殴る音が聞こえる。
憎しみ、悲しみ。感情の昂りとともに味わったことのない感覚に陥る。
俺に親父を止めることはできないだろう。一緒に殴られて、母はもっと酷い目に遭わされる。
なら俺にできることは?
母さんを救うにはどうすればいい?
考えろ。
空を見る。綺麗な青空が広がっていた。
──飛びたい。
そう思った瞬間、身体が浮いた。物心ついて、初めて変獣した瞬間だった。
空を進み、王宮へと向かう。
親父から何度も話を聞いていたから分かる。王子の部屋は、最上階の1番左。『ロウ様は星空を眺めるのが大好きでな、1番よく星が見えるとその部屋を熱望されたんだ。夜中星を眺めるロウ様はそれはそれはお美しいんだぞ』嬉しそうに語っていた優しい父の面影は今はもうない。何もかもが変わってしまった。
窓が空いていたので、そのまま突き進む。部屋に入ると、王子が机に向かっていた。驚いた顔でこちらを見る。
「助けて。俺、強くなるから。もう逃げないから。だから・・・助けて」
ロウは俺を見ると、深く頷いた。
「必ず助けると約束する」
これが俺たちの出会いだった。




