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獣王  作者: 川瀬ハンナ
19/25

19.あの日のこと



「糸ちゃん、わざわざここまで来てくれてありがとうね」


「いいんです。私が来たくて来てるから」


「それならよかった」


夏野彰(なつののあきら)ははにかむように笑った。


「夏野さんの方こそ、大丈夫ですか?私に会ってることバレてませんか?」


「今の所大丈夫。王宮を抜け出すのは得意なの、知ってるでしょ?それより雪のことを教えて」


「今体調を崩してるんです。でも感染症とかではなく、風邪だと思います。すぐ治るかと」


「それは心配だ。急に寒くなったから大丈夫かなって、気になってた頃だったんだよ。雪は名前に反して、寒がりだから」


夏野の顔を見る。雪にそっくりの、茶色い大きな瞳。肌はほどよく焼けていて、そこは雪と大違いだ。


夏野雪(なつのゆき)、だったら寒がりそうな名前にも聞こえます」


私の言葉に夏野は頬を緩める。


「美桜がつけたんだよ。僕の名字が夏野で、結婚したら夏野美桜でしょ。夏の、美しい桜。『世界にたった1つの夏に咲く桜になれる』って喜んでた。だから子供が産まれた時も、雪にして、夏の雪」


「美桜らしいです」


美桜はいつも外の世界を夢見てた。


結局、美桜は夏野美桜になることなく、亡くなってしまったのが悔しい。


「もう5年も経つのか・・・」


夏野は懐かしむように外を眺める。美桜が亡くなってから、夏野はその日に魂を置いて来たかのように変わってしまった。だからこうして、時々雪の話をしにここに来る。雪の話を聞く時だけ、夏野が昔の夏野のように笑ってくれる気がするから。


それが私が美桜にできる、遅すぎる恩返しだと思っていた。


「ところで、どうして敬語なの?前みたいに普通に話そうよ」


「王宮に仕えていらっしゃる方に平民の私が馴れ馴れしく接することはできません」


「なんだか、寂しいなぁ」


本当に寂しそうに言うので、申し訳ない気持ちになる。


「まだ、雪に会えないんですか?」


夏野は真剣な面持ちで頷く。


「うん」




美桜は、この国の王女だった。




誉高き王の、たった1人の娘。






対して夏野は、王様に仕える役人の息子。



許されない恋だった。



「雪のこと、ごめんね、任せっきりで」


「謝らないでください。夏野さんは悪くないんですから」


夏野の顔に皺を見つける。

苦労が絶えないのだと悟った。


「僕が悪いんだよ。愛してはいけない人を、愛してしまったから。命があるだけでも感謝しなくちゃ」


夏野は王宮で相変わらず役人として働いている。


それは王様が彼を許したからでは決してない。彼を雪の元へ向かわせないで監視するためだ。


美桜と夏野は恋に落ち、美桜は雪を産んですぐ亡くなった。


雪は親に先立たれた孤児として王宮から捨てられ、私のもとで育てている。


この事実を知っているのは亡くなった美桜と、夏野と私、王様含めた一部の王族だけ。


王女が身分の低い男との子供を産んだ。


この事実は王様にとって「恥ずべき事実」であり、なんとしてでも隠し通さなくてはならないことだったのだ。


「雪には絶対に、言わないでね」


何をと言わずとも、その気持ちは伝わった。


「このまま一生、黙ってるつもりですか?」


「雪が知ったら悲しむでしょ。こんなみすぼらしくて何もできない男が父親で、母親を殺したんだから」


「夏野さんは美桜を殺してなんかいません」


「僕と出会ってなかったら、美桜は今も生きて幸せだったかもしれない」


美桜は出産で命を落とした。その事実は今も夏野の心に重くのしかかっている。


「じゃあ夏野さんは、雪は産まれない方がよかったと思ってるんですか?」


「そんなことはない!雪は僕と美桜の大切な娘だよ」


「なら、後悔しないでください。あなたと美桜が出会ってなければ、雪は今この世にいないんですよ」


夏野は何も言えず黙り込む。


悔しいのだろう。悲しいのだろう。


その気持ちは痛いほど理解できた。


ああ、美桜が生きていれば。


5年前に亡くなった親友を想う。


私のような貧しい者にも手を差し伸べてくれた、美しい人。



そんな時だった。


海岸に横たわる灰色の何かが目に入った。


「夏野さん、あれ・・・」


「オオカミ?」


ぐったりとしたそれは波打ち際で身体を投げ出していた。まるでどこかから流れて来たように。


「海岸にオオカミだって?」


「様子を見に行きましょう」


2人でオオカミの元へ近づく。意識はなかった。身体に人の服のようなものが巻き付いていて、側には刀が落ちていた。私は人を診る医者だが、獣医学も無知ではなかった。


「心臓は動いてる」


「可哀想に、ずっとこんな寒いところで耐えてたんだね。もう大丈夫だよ」


夏野が憐れむようにオオカミを撫でる。・・・その姿は今は亡き親友と重なった。


海岸から2人でオオカミを引き上げている途中、奇跡は起こった。




そのオオカミがみるみる人間へと姿を変えたのだ。





驚くほど透き通った白い肌に、真っ黒な髪。意識がなく目は閉じていたが、その姿は紛れもなく人間だった。


首元には、七ニと刻まれた銀色の首飾りをつけていた。


「夏野さん、これって・・・」


夏野も頷く。




「美桜がいつも話してた、獣人だ」





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