17.日常
「いってぇー!!」
シュウが手を押さえてうずくまる。
「少し掠っただけだ。こんな程度で相手に背中を見せるな」
鞘付きの刀をシュウの首元に持っていく。今度も俺の勝ちだ。上目遣いで睨んでくるシュウと目が合う。
「俺は刀の訓練なんてしたことないんだぜ。もうちょっと手加減してくれよ」
「上達が遅いのが悪い」
「・・・俺は飛べる!」
いつもこの調子だ。慌ててシュウの口を押さえる。どうやら誰にも聞かれていないようだ。
「・・・声がでかい」
シュウがここに来て二月。俺たちが獣人であることは誰にもバレていない。ゼファも来ていない。向こうで兵士たちと戦って負傷して、回復の時をじっと待っているのではないかというのが俺とシュウの見解である。
「秀太、また怪我したの?」
様子を見に来た糸にシュウは駆け寄る。まるで飼い主に尻尾を振る犬のようだ。
「糸さん、あいつに怒ってください。普通、稽古とはいえ友に本気で刀を振り下ろせます?」
「これは腫れそうね。塗り薬を持ってくる」
まったく。
この二月、俺たちは毎日稽古に励んでいる。シュウは鷹になって空を飛べるのが最大の強みで、対人の武術には長けているが剣術には精通していなかった。
でももし、人間の世界でゼファと対峙することになったら?
人の前で変獣(獣の姿に変身すること)はできない。獣人だとバレたら、世話になった糸たちに迷惑がかかる。
変獣しないで俺たちがゼファに勝つには、剣術を磨く他なかったのだ。
とはいっても、確かにシュウには少し酷な稽古だったかもしれない。
「大切な稽古なんでしょ?」
糸の問いに頷く。
「何事も肌で感じて上達するものよ。秀太は怪我をする度に腕を上げてるの」
包帯を巻いてやりながら言い聞かせるように糸が言うと、シュウは渋々頷く。
「・・・糸さんがそこまで言うなら頑張ります」
単純な男めと幻滅しつつ、俺には到底できない説得を糸が毎度してくれるのはありがたかった。
いつものように糸の言葉で火がついたシュウは木刀を持って庭へ向かう。
「感謝する」
「ここで怪我しても、私という名医が側にいるんだから大丈夫よ」
そう誇らしげに糸は言って、診療室へと戻って行った。
「なあロウ」
その名で呼ばれるのは久しぶりだった。
「誰に聞かれるかわからない。一之助と呼べ」
「ロウも俺のことシュウって呼んでるだろ」
「秀太の秀だ。シュウはこっちで珍しい名でもないようだし、いいだろう」
「まあ、いいけど」
「ずっと一之助と呼んでいたのにどうした?」
シュウは気まぐれでカッとなりやすい性格なので何も考えていないように思われがちだが、実は思慮深くて滅多に間違いは犯さない。だからこそここに来て俺と再会しても、感情には出さずに記憶喪失という小手先の嘘を守ってくれた。
そんなシュウが急に俺を本当の名前で呼ぶなんて、らしくなかった。
「俺たちって、人間じゃないよなって思って」
「何を言っている?」
「ここでの生活の居心地が良すぎて、時々思っちゃうんだよ。獣国での生活は全部夢で、俺は元々人間の世界で生まれ育った人間なんじゃないかって」
俺も同じ感覚に陥ったことがある。
人間だったら、よかったのにと。
「しかも、人間になりたいなんて思っちゃった瞬間もあって。あんなに小さい頃から人間は悪い奴だって言われてきたのに、そんな風に思ってること家族に知られたら、がっかりされるだろうな」
シュウは農家の息子で、それゆえの苦悩も多かった。人間の世界に比べれば獣国はずっと狭いけど、そこでも上下関係や差別はあった。
「教えてあげればいいじゃないか。人間は、悪い者ばかりじゃないと」
シュウの悲しそうな頷きに王としての責任を感じる。獣人が人間に対する敵意を何百年も持っているのは、俺たち王族の責任でもある。それを利用して、民を統べてきたからだ。
「そのためには生きて帰らないとな、元の場所に」
シュウはそう言って木刀を俺に振りかざす。不意の攻撃に俺が尻餅をつくと嬉しそうに笑った。
「俺の勝ちだ!!」
俺たちの戦いは、これからだ。