11.初雪
朝目覚めて外を見ると、雪が降っていた。
マントに着替え、刀を取って外に出る。外の空気は驚くほど冷たい。
まだ暗い時間帯だったからか、周囲は寝静まっているようだった。
この屋敷には石畳の庭がついていて、稽古にもってこいの場所だった。
ここに来て十日が経とうとしているが、毎日欠かさず朝はここで刀を振るっていた。
傷の癒え具合を確認するためでもあった。
深い深呼吸をして、刀を構える。
腹に力を入れて大きく縦に振る。
腹の痛みは日に日に良くなっていた。医者の腕が良いのだろう。
ここで刀を振るっているのがバレたら主治医にこっぴどく叱られるだろうが、朝早いのでバレてはいなかった。人間は遅起きなのだ。その分寝入るのも遅い。日の出前に目が覚める俺は、人間の世界では特殊なようだ。
十日経って、少し人間のことが分かってきた。
想像していたほど悪い生き物ではない。
小僧(正太郎)と眼鏡(家内)とは相変わらず敵対しているが、来た時と比べれば彼らの態度も幾分かマシになった。
最初は理解できなかった共同生活も、徐々に慣れてくるとその本質が見えてきた。
普通の者は家族と鍋を囲むが、ここにいる人たちは鍋を囲む家族がいない。そんな者たちが集まって家族のように鍋を囲んでいるのだということ。
なぜ家族と鍋を囲めないのか─。
その理由は、聞いてはいけないということも。
俺が、ここに来た本当の理由を誰にも知られたくないのと同じだ。
不思議なほど、誰も家族の話はしなかった。
はじめは寒さにやられていたのに素振りを繰り返していると額に汗が滲んできた。
程よく身体が温まった頃、そろそろ住人たちが目を覚まし始めると思って自室に戻ろうとすると、縁側に1人の少女が座っているのを見つけた。
見たことのない少女だった。
腹くらいまである長い髪を下ろしていて、真っ黒な髪が日に当たったことがないと思えるほど白い肌を引き立たせた。
大きな茶色の目に、小さな鼻。痩せ細っていて元気がなさそうだった。
糸が以前話していた、体調不良で部屋にこもっている雪という少女だろうか。
十日目にして初めて会う。
白い一枚物を着ていて、細い足が放り出されていた。ずっとここにいたのだろうか。
慌てて自分が羽織っていたマントを脱ぎ少女に被せる。身長が自分の半分ほどである少女が着ると、大きすぎて布が床に達していた。
「体調が悪いんだろう?こんな寒い所にいずに、部屋へ戻ろう」
少女は頷く。
「お兄さんはだれ?」
自己紹介をしていなかったことに気付く。自分の家の庭で見たことのない男が刀を振っていたらそれはそれは恐ろしいだろう。
「名を一之助という。怪我をして、糸の治療を受けている。そなたは雪だな?糸から話は聞いている」
自然と一之助という名前が自分から出たことに驚いた。たった十日で随分と人間のフリが染み付いたようだ。
少女は頷いた。
「体調はどうだ?」
「・・・おなかすいた」
懇願するような目で見つめられる。確か齢は五つだといったか。自らの病状を説明するには幼すぎる年齢だった。ひとまずその空腹を満たしてやろうと台所へ向かう。ぴたりとくっついて歩く様子は可愛らしい。
昨晩の夕食の残りを差し出すとものすごい勢いで食べ始めた。これだけ食べられるのであれば、どうやら、体調は回復してきているようだ。
「さっきは何してたの?」
腹が満たされたのか、雪に質問を向けられる。五歳の子供だ。嘘をつく理由がなかった。
「稽古をしていた」
「けいこ?」
「強くなるための訓練のことだ。このことが糸にバレたら叱られてしまうから、2人だけの秘密だぞ」
「わかった」
本当に分かっているのかは疑問だったがそんなことはどうでも良い。
少し経つと3人が順に起きてきて、初めて5人で食卓を囲んだ。
小僧も眼鏡も見たことのない笑顔を雪に振りまいているのを見て、少し笑った。
自分に笑える気力が残っていたことに驚いた。
元いた世界がふと恋しくなる。
じい、お祖母様。シュウ。まちの友達。
ここでの暮らしの居心地が良ければ良いほど、胸が痛んだ。