10.新しい家
「・・・どうして食卓も一緒なんだ?」
俺は今、あの女と学生、眼鏡男と一緒に鍋をつついている。
「記憶がないんだから、行く当てがないでしょ?主治医として記憶が戻るまで生活の面倒をみてあげるって何度も説明したじゃない」
記憶喪失という嘘がこんなふうに裏目に出るとは。
どうやらこの女は相当なお節介な性格なようで、目覚めた時にいた部屋に泊まって良いと言われたのである。
「ここはお前の家なのか?」
「そうよ。一階が花野医院で、二階が私たちの家」
「・・・私たち?」
「私と正太郎と家内くん、それからもう1人今はいないけど雪という子の4人でここに暮らしてるの」
男2人はこちらを訝しげに見つめながら鍋を食べている。
「お前たちは兄弟か?」
「全員血縁関係はないわ。みんなで住んで、病院をやってる」
「ならこいつらも医者か?」
「正太郎はまだ学生で、親元を離れてこっちの大学に通っているからうちに置いてるの。日中は学校に行って、空いてる時間は受付をしてもらってる。家内くんは医者よ。雪はまだ五歳の子供。今は体調を崩して部屋で寝てる」
家族でも何でもないのに一緒に住むなんて考えられなかった。
「こいつとお前は夫婦なのか?」
眼鏡男が動揺してむせる。
それなら百歩譲って理解できるのだが。
「違うわ。長年の戦友」
眼鏡男の反応を見るに、男の方はそうは思ってなさそうだった。
「ところで花野先生、いつまでこいつを置いとくんですか?明らかに危ない男ですよ」
正太郎が俺を指差して言う。生意気な小僧だ。太い眉に切れ長の目、短く切られた髪からは芯が強く闊達な性格を感じさせるが、身長は低くまだまだ成長途中の子どもだった。
「正太郎、そんなこと言わないで。みんなで仲良くやってこうよ」
「記憶喪失だから今は安全ですけど、記憶取り戻したらヤバい奴かもしれないでしょ?」
「そうだよ、糸。ただでさえ家計が苦しいというのにそんな情で人を迎えてばかりいたら俺たちは飢え死にしちゃう」
眼鏡も加わる。この中の誰よりも年上だというのに声が小さく迫力に欠ける、いかにも頭の良さそうな丸眼鏡が特徴のその男は、色白で肉のない痩せ細った体型がいかにも気弱そうだった。
確かに身寄りはない。人間界で生きていく術など知らないし、いつゼファに見つけられるかも分からない。
じいにはただ逃げろとしか言われていないが、逃げ続けてもいつかは見つかる。
つまり、この手でやっつけなければいけない時がいつか来る。
その時は今ではない。
ゼファと対戦して分かった。今の俺が戦ってもあいつには勝てない。
時間をかけて、必ず強くなってやる。
両親の仇を討てるように。
その力がつくまで、俺は時間を稼ぐ必要がある。絶対にゼファに見つかってはいけないのだ。
「言われなくても、腹の傷が塞がればここを発つ。少しの間だけ迷惑をかける。なるべく早く治して欲しい」
「・・・最善を尽くすわ」
遠くにいる祖父母に思いを馳せる。
どうかご無事で。
男たちも納得したのか鍋を食べ始めた。似たような物は食べたことあるが、果たして息が盛られていたりはしないだろうか。他3人が美味しそうに頬張っているのを注意深く確かめてから、箸を口に運んだ。
「・・・うまい」
なんだこの鍋は。
驚いて大量に口に入れる俺を見て女が笑った。男たちも気が抜けたような表情になる。
ここは傷が塞がるまでの、いわゆる休憩所のようなものだった。この後俺に降りかかる苦難の前の、ほんの一息のつもりだった。
そのはずだったのに。