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 あれから十日余り。

 その間に、少年の寝床は(うろ)から、アクロが作った雪洞へと移ることになった。

 雪洞は、最初主室だけを作った。

 ブロック状に切り出した氷雪を積み上げ、内側に保温性の高い魔物の皮を張ったものだ。

 少年はそれで完成だと思っていたらしい。

 彼が次に目を覚ました時、入り口から延ばした通路にぽかんとしていた。

 通路の先には入り口兼貯蔵室。通路とは角度を変えて入り口を作ることで外気が入り込み難くなっている。

 改めて主室に戻り、明かり取りの小窓と換気口を開けてからの記憶が、アクロにはない。

 どうやらその場で吸い込まれるように寝落ちしたようだ。

 気付いた時、視界に飛び込んだ少年の顔色が悪くて慌てていたら、こっちの台詞だと怒られた。

 実は前日の早朝からおよそ一日半、ルードとここで、食事時以外ほぼ休憩もせず雪洞を造り続けていたのだと白状させられる。

 凄い顔をされた。

 それは、疲れるだろうとも。

 少年が、小さな声で「ごめん、アリガト……」なんて言うので、アクロはそれだけで報われてしまった。

 雪洞と聞いて少年は、高く積んだ雪をくり貫いただけのものを想像していたらしい。

 その後閑所(トイレ)も造ったことで想像よりも遥かに本格的な“住居”になったことに、ちょっと引いていた。

 何故なのか。

「これから厳しい冬を向かえると言うのに、体力のない君を粗末な寝床に寝かし続けるわけないだろう」

 と言えば、

「ありがたいけど、いたれり尽くせりすぎて、ちょっとこわい」

 とのこと。

 何故なのか。

 虚よりもずっと静かで、暖かい雪洞の中で与えられる、日に四度の食事、二度の薬、一日置きのトトの実、そしてたっぷりの睡眠。

 少年の体はそれらを貪欲に吸収し、正常な状態に戻ろうと足掻いていた。

「最初はいくら水を与えても、それを留めておく力すらない、カラカラに乾いた砂地のようだったのに、見違えるようだ」

 与えた食事を一度で食べ切れるようになった時、きっとこのこどもはもう大丈夫なのだと、やっと思えた。



「明日からは食事量を増やして、回数を減らそうか」

「……まかせる……というか、ふぶいてる時まで来なくていいのに」

「吹雪いてるから急いで来たんだ。それなりに物資を持って来た。吹雪がある程度治まるまではここで一緒に引きこもらせて貰う」

「ええ……いいかげんアンタ、ルードの人たちに怒られない?」

「相応の働きはしている。今後も返していくさ」

 少年の警戒心は、随分薄れたように思う。

 完全に信用したわけではなさそうだが、アクロの言うことを聞いていれば体調がよくなる、ということははっきりと認識したらしい。

 薬もトトの実も、拒否されたことはない。不本意そうではあるが。

「さて、準備出来たぞ、体を拭こう」

 ふわふわと湯気が立つ盥を目の前に置かれた少年は、また少し、嫌そうな顔をした。

 今やすっかり見慣れた顔だ。

「……自分で、やる」

「そこは任せるとは言ってくれないのか?」

 体が痒いから汗を拭きたい、と希望したのは少年だった。

 彼が口にした、初めての要望だ。

 少年は水で濡らした布で十分だと思っていたようだが、それを聞いたアクロは無言で湯を沸かし始めた。

 絶対に譲らないという強固な姿勢だった。

「まだふらついてる。やってやるから、じっとしていろ。どうせ男同士だ、気にすることもないだろう」

「…………」

 アクロも、遠慮はしないことにした。

 少年のように他人の善意に慣れていない子供には、多少強引に踏み込んだ方がいいと学んだのだ。

 むっすりと不機嫌な顔をした少年の服を脱がせながら、アクロは小さく笑う。

「…………なに」

「いや、君を笑ったわけじゃない。その、怒らないで聞いて欲しいんだが、私は最初、君のことをとても綺麗な女の子だと思っていたんだ」

「は?」

「すまない。それで、君が気を失っている最中、体を清めるのに苦労したなと思い出して、可笑しくなってしまった。見ないようにと気を遣ったのに、下に馴染みのある感触があったものだから」

 あの時は驚いた、と。口許を抑えくつくつと喉を震わせるアクロに、少年の顔がじわじわと赤く染まっていく。

「っ、へんたいっ」

「やめてくれ、よくないことをしている気分になる」

 そんな風に、赤くした顔で目を潤ませながら男を睨んではいけない。

 これは後でちゃんと言って聞かせなければなるまい。こっそり心に書き留めた。

「ほら、私はもう君のすべてを知ってしまっているのだから、恥ずかしがることはない」

「わざとそういうっ、んっ、……っはふ、ぅ」

 熱い湯に浸し、固く絞った布を少年の首筋に当てると、思わず、といった具合の声が漏れる。

 これは、よくない。

 本当に、よくないことをしているようで、非常によくない。

「…………すまん、からかいすぎたな」

「んぅ~~~~……ッ」

「すまん、本当にすまん。こら、暴れるとまた熱が上がるぞ」

 少年は自由になる左手でばしばしとアクロの肩を叩いている。

 全く痛くないが、作業の邪魔ではあった。

 あまり長時間少年を裸のままにしておくわけにはいかないので、アクロは少年を抱き寄せ動きを封じた上で、その体を丁寧に清めていく。

 こうして気軽に触れられるようになったのも、感慨深いものだった。

 最初は手を伸ばすだけで怯えられていたのに。

 今は腕の中から不満げな唸り声を上げるだけに留まっている。

 体を離して胸側を拭う頃には唸り声もなくなった。

 下半身を拭う際は流石に抵抗されたが、そこはルードの子供たちで慣れている。

 少年の抵抗は無駄な足掻きであった。

「くつじょくだ……」

「まあ、体が自由になるまでは我慢だな」

「自分で出来るのに……!」

「せめてふらつかずに座っていられるようになってから言ってくれ」

「ぐうぅ……っ」

「あと君は嫌がったが、あの場所は清潔にしておかないと病気になる。自分でもなるべく、」

「へんたいぃぃっ」

「こら、ちゃんと聞け、大事なことだろうが」

 涙目で睨み上げて来る少年の頭をぽんと撫で、アクロは彼を毛皮で包んだ。

「ついでだ、髪も洗ってしまおう。ずっと気になってたんだ」

 自然乾燥させるしかない髪は、基本的に冬場は洗えない。

 髪から体を冷やすどころか、下手をすれば濡れた髪が凍ってしまう。

 だから少年の髪もそのままにしていたのだが、砂や土に汚れてガサガサの髪が不憫で、機会さえあれば洗い流してやりたいと思っていたのだ。

 雪洞の中でなら、問題ないだろう。

「髪は、わざとよごしてる」

 追加の湯の準備を始めたアクロの背に、不貞腐れた少年の声が届く。

「何故?」

 手を止めて振り向いた。少年は毛皮を頭から被り、丸くなっている。

 あの丸まり方、久しぶりに見た。

「赤いからだ」

 血の色みたいで、不気味だから。

 自嘲に鼻を鳴らした少年が、更にぎゅっと丸まって、しまう前に。

 アクロは毛皮の隙間から手を突っ込み、強引に毛皮を払い除けた。

「────あっ?」

「洗わせてくれ、是非」

 いくら遠慮をしなくなったとは言え、アクロがこれ程強引な行動に出たことはなかった。

 驚いて固まっている少年の体を払い除けた毛皮で改めて包み直し、彼の髪を一房手に取る。

 パサついた感触。今の見た目は、くすんだ赤茶色だ。

 赤毛の範囲には入るかもしれないが、血のような、とまでは言えない。

「なるほど、細かく砂塵を擦り込んでいたのか」

 これはもっと沢山の湯が必要になるなと呟いて、アクロはいそいそと準備に戻った。

「いや、だから、洗われたく、ないんだけどっ」

「血の色で何が悪いんだ」

 今度は作業を止めることなく、アクロにしては強い口調できっぱりと言い放つ。

「赤は血の色、炎の色、命の色だ。血は(みち)(ほむら)(しるべ)、神聖なものと思いこそすれ、不気味だなどと思うものか」

「……それ、ノマの考え方?」

「そうだ。だがそれ以上に、君の金の目には、赤い髪がよく似合うだろう」

「……ばかじゃないの」


 抱えた膝に顔を埋めた少年が「勝手にすれば」と投げやりに言うので、アクロは大真面目に「そうしよう」と頷いた。




 数刻後。

 小分けにした湯を何度も取り替え、念入りに洗い終えた髪を見たアクロはかつてなく上機嫌で、少年はやっぱり、ちょっと引いた。



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