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「かけてあるのは(まじな)いだ」

 ここへは誰も来させない。

 やけにきっぱりと言い切ったアクロに「魔法でもかけてあるのか」と訊ねたら、返ってきた答え。

 よくわからない、と顔をしかめた少年に、彼は喉を震わせて笑った。



 先の、攻防にもならない攻防の後、急に動いたことで熱が上がってしまった少年を、アクロは少々強引に寝かし付けた。

 横になるのは苦手だ。

 咄嗟に動くことが出来ない姿勢になるのは怖い、と言ってもいい。

 今は武器になるものもない。

 そしてここには、逃げ場すらないのだ。

 その思いを、アクロは察しているようだった。

「私がいて落ち着かないのなら、すぐに出て行く……と言いたいところだが、もう少し、せめて薬が効いて、熱が落ち着くまではいさせてくれ」

「……このさい、アンタのことはもういいよ……」

 今更も今更だ。

 今更、この男を警戒して何になるというのか。

 気力と体力を無駄に使うだけだ。

 溜め息とともに吐き出せば、アクロは一瞬動きを止めて、す、と(うろ)の外に視線をやった。

「魔物のことなら、心配しなくても大丈夫だ。魔物避けの香を焚いているから、魔物も獣も近寄って来ない」

「……にんげんは?」

 香のことなら、知っていた。

 紛れ込んだ商人の荷馬車で嗅いだことのある臭いだ。それが魔物避けになることもわかるが、脅威は魔物だけでないことも知っている。

 寧ろ、魔物よりも質が悪い。

 その商人も、用心棒に傭兵を雇っていた。

「まものは、来なくても、アンタのとこの、にんげんは、アンタが、おれをかくまってるの、知ったら、来るんじゃないか」

「来させない」

 氷雪で冷やした布を、額に当てられる。

 脳に蟠っていた熱が、そこからするすると解放されていくようだった。

「ここへは誰も来させないから、安心してお休み」

 そんなことが出来るのか。

 ここは、拠点の近くだと言っていた。

 ノマの狩人たちは、普段から拠点の周辺を見回り、獲物を追い詰めるのに適した場所や、罠を仕掛ける場所を探すらしい。

 その彼らの行動範囲内で、見つからないなんてあり得るのだろうか。

「魔法でも、かけてあるのか」

 少年が訝しげに問えば、アクロはゆるりと首を振る。

「かけてあるのは(まじな)いだ」

「それは、魔法とは、違うの」

「私は魔法を使える者に会ったことはないが、あれは精霊と契約した者が、魔方陣や詠唱を用いて行使する、精霊の力だ。その力は主に環境に干渉する。例えば火や水を出すとか、風を吹かせるとか」

 出来れば便利なんだろうな、と言って肩を竦める様子は本当にそう思っているようには見えなかった。

 道具もなしに火をおこせたら、腹を壊す機会が減るだろう。

 水を出せたら、腐った雨水を飲まなくてもよくなる。

 魔法が使えたら便利だと思うのだが、アクロは興味がないらしい。

「対して、ノマが使う(まじな)いが干渉するのは人の脳だ。こう言うと、恐ろしい力に思えるか?」

「……うん」

 人間の頭の中を弄り回すのだとしたら、それは魔法などより、余程恐ろしいものに思えた。

 だがアクロは、そんな大それたものではない、と少年に己の腕を見せる。

「これも(まじな)いだ」

 アクロの手首には、革紐で編んだらしき飾り輪が何本も連なっていた。

「ルードの皆が思い思いにくれたものだ。狩りが上手くいくように、怪我をしないように。暗示、と言えばわかりやすいか。要は思い込みを利用して、人の脳に錯覚を起こさせる」

「……よく、わからない」

 それは、効果があるものなのだろうか。

 素直な感想を漏らせば、彼は喉の奥で愉快そうに笑う。

 そして上体を少年の方に傾け、被っている仮面をほんの少しずらした彼は。


 額に乗せた布の上にひとつ、口付けを落とした。


「君の怪我が、早くよくなりますように」


「────、」

 姿勢を戻したアクロは、既に仮面を被り直している。

「これも、(まじな)いだ。君が疑わなければ、多少の効果があるだろう」

 何か。

 アクロが何かを言っている気が、するのだが。

 よく聞き取れない。

 吃驚した。急に、だって、急に近付いてくるから、何かと思って、注視、していて。

 不愉快だ。

 心臓がドコドコと煩い。耳元で鳴ってるんじゃないかと思うくらい、煩い。

 心音に引き摺られるように耳鳴りがひどくなる。

 どうしようもなく不愉快だった。

「君も、今後出歩くことがあったら気を付けて欲しいんだが、この木には、幻視の(まじな)いがかけてある。一定範囲より外からは、現実とは違う風景に見えるんだ」

「それも、サッカク? 効果、あるの」

 みっともなく掠れた声に顔を歪める。

 手探りで水を探したが、少年が見付けるより早くアクロの手により、少年の口許に水袋の口が寄せられた。

「現に、周囲を散策している筈のノマは一度もここへ来ていないだろう? (まじな)いを認識していないと、範囲内に踏み込んだとしても方向感覚を失い、すぐに範囲外に出ることになる」

「……やっぱり、よくわからないけど、ここへは、アンタしか来ないってこと?」

「そうだ」

「……わかった」

 それなら、もういい。

 正直、ガラクタのようなこの体では、座っているだけで辛いのも確かだった。

 受け取った水袋から一口含み、すぐに返す。

 少年は全身の空気をすべて抜くような息を吐き、緩慢に目を閉じた。

 ここが安全なら、安全である内に、体調を戻さなければ。

 肩の火傷は、じくじくと痛む。

 全身が熱い。早く薬が効いて欲しい。

 相変わらず頭を揺さぶられているような不快感と耳鳴りは止まないが、横になっているだけマシな気がした。

 外は、とても静かだ。

 側にいる男も。

 この男はいつまでここにいるのだろう、とぼんやり考える。

 薬が効いて、熱が落ち着くまで、と言っていた気がする。

 では、そうしたら出て行くのか。

 とろりと襲ってきた眠気、ぼやけていく意識の隅で、額の布越しに、大きな手を当てられた気がした。


 それを心地好いと思ったのは、きっと、布が冷たかったせいだ。




 ◇ ◇ ◇


「なあ、アクロを見なかったか」

 今夜の見張りとして、松明を手にルードの周囲を見回っていたカウルは、不快な声に呼びかけられ、足を止めた。

 声の主は、己の実兄ダグだ。

 そしてカウルが、心底軽蔑している相手でもある。

「……日暮れ前に仕掛けた罠を見に行っているのでは?」

「こんなに遅くまで?」

「知らん。狩人が数日帰らないことなんて珍しくもないだろう」

「ふうん?」

 用がそれだけならもういいかと言って、カウルは見回りを再開する。

 本当は一秒だってこの男と関わりたくはないのだ。

「お、待てよカウル。兄ちゃんが一緒に行ってやるよ」

「いらん。帰れ。それか狩りにでも行け。二度と帰らなくても構わん」

「そうつれないこと言うなよ」

 ダグはニヤニヤと笑みを浮かべながらカウルの隣に並んだ。

 この男はノマの仮面を付けない。ノマの伝統を「黴の生えた妄執」と言って憚らず、煩わしいと拒否をする。

『だってあんな格好してたら、一目でノマだってバレちまう。街の女を口説けもしない』

 と、街に馴染む格好をして、ケラケラと笑うのだ。

 そんなにノマの生活が嫌なら、ルードを出て街で暮らせばいい。

 ノマはそれを禁じていない。

 ダグがそれをしないのは、ノマにいれば自分が働かなくても、働く振りさえしていれば食事に困ることがないからだ。

 狩人が獲物を獲れない日があっても誰も文句は言わない。

 そしてルードの食料は、皆が平等に受け取る権利がある。

 獲物は他の狩人たちが恙無く獲って来るし、たまに獲物を持ち帰れば仕事はしていると言い張れるのだから、真面目に働くだけ損だと思っているのだ。

 ダグのこの考え方がカウルは嫌いだった。

 いっそ何か罪を犯して問題を起こしてくれたら追放も出来るのに、この男はそうならないギリギリの境界を心得ている。

 ダグが起こした問題らしい問題と言えば、幼い頃、カウルの顔に煮えた油をかけたことくらいだろう。

 当時まだ八歳だったダグは、厳重注意のみで許された。今思えばあれは、どの程度までなら許されるかを諮っていたのではないだろうか。

 姑息で、卑怯で、怠惰な男だ。

 こんな男が兄などと。

 あの火傷を負った時、真っ先に駆け付けてくれたアクロとは比較にならない。

 ルードの皆から慕われる次期酋長。

 彼が本当の兄であればよかったのに。

「なあ、アクロさ、何か隠してるよなあ?」

 気持ちの悪い笑みのまま、肩を組んで来る。ぞわりと鳥肌が立ち、思い切りその腕を振り払った。

「気持ち悪い、触るな」

「弟が冷たくて兄ちゃんは悲しいなあ」

 振り払われた腕をぷらぷらと揺らし、ダグは大袈裟に嘆いて見せる。

 そのわざとらしささえ鼻についた。

 しかし、とカウルは思う。

 ダグがアクロの行動に興味を持ったらしきことはわかっていた。コソコソとアクロの様子を伺い、後を付けようとしたこともあったようだ。

 勿論、そんなことを許すアクロではない。追跡は当然失敗に終わったのだろう。

 だが、カウルはそれで終わると思っていた。

 怠惰で飽き性なダグのこと、それ以上の行動に出るとは思っていなかったのだ。

「あの野郎、ルードの共有資源をどっかに持ち出しているだろ? ひでえよなあ、これって俺たちに対する裏切りじゃないのか?」

「まともに働こうとしない貴様の存在はルードに対する裏切りではないと?」

「俺はちょっと運がないだけさ。狩りに出ても獲物に会えないんじゃ、どうしようもない!」

 どうせ狩りに行くと言ってどこかで寝ているだけの男が、「オルシュアは俺を獲物へと導いてはくれないらしい」などと嘯くから、思わずその襟ぐりを掴み上げてしまう。

「オルシュアを愛してもいない者が、オルシュアを語るな」

「はっ、愛したところで抱けもしねえ女に何の価値がある」

 ヒュッ、空を切った拳は、届く前にいなされた。反撃の掌底、紙一重で避ける。反転、その勢いで繰り出した裏拳を、がっちりと手のひらで受け止められた。

「おっかねえ、おっかねえ」

「クズが。さっきの台詞、長の前でもう一度言ってみろ」

「冗談。ボコボコにされた上で舌を切られるか去勢されるか、どっちにしたってゾッとしねえや」

 舌打ちをして距離を取る。

 この男に関わると、不快な思いしかしない。もう十分付き合ってやっただろう。

 殴りかかった際に落とした松明を拾い上げ、カウルは男に背を向けた。

「だけどそうか、お前も共犯か、弟よ」

 ダグはにやけた声で続ける。

「不正が嫌いなお前がアクロのことには無反応。そんで、トトの実の採取はお前らふたりの裁量で? そんな都合のいいことがあるか?」

「トトの実のことを決めたのは長だ。文句があるなら長に言え」

「文句なんかねえさ。けど、身内に理由(わけ)くらい聞いてもいいじゃねえか」

「俺は何も知らないし、例え知っていても貴様に教えることはない」

 吐き捨てて、今度こそ振り返らずにカウルは歩き出した。

「隠されると知りたくなんだよ、わかるだろ?」

 ダグはもう、付いて来なかった。



 ざく、ざく、残雪と枯れ草を踏む。

 その音が、頭に上っていた血を僅かに静めてくれた。

 彼にはもう一度、話しておいた方がいいかもしれない。

 話して、彼の口から「大丈夫だ」と言って貰えたら、この背筋を這う気持ちの悪さから、きっと解放されるだろう。



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