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「……おはよう?」

 朝方。雪の積もる中。

 魔物避けの香が切れる前にと、食事を持って:(うろ)を訪れたアクロは、昨日とは少し異なる様子の少年に首を傾げた。

(まるいな?)

 少年は虚の奥で丸くなっていた。

 比喩ではなく、頭から毛皮を被って身を縮めていたので本当に輪郭が丸かったのだ。

 顔が見えない。

 まだ眠っているのだろうか、と思っていたらその丸いものの一部が捲れ、ぺいっと何かを吐き出した。

 ばさり。

 アクロに届く前に地面に落ちたそれはアクロの外套だった。

 昨晩薬を飲ませる際、少年が強く掴んで離さなくなってしまった外套。あの薬は本当に苦いから、縋れるものが欲しかったのだろう。

 その後も離して貰えなかったことは予想外だが、無理矢理引き剥がすことはせず、好きにさせた。

 ノマの民は就寝時と、体を清める時以外で外套を脱ぐ機会が殆どない。ましてや、内地の人間の前では尚更だ。

 それを脱いで渡すというのはなかなかに落ち着かない心地であったが、それで少年が安らぐというなら安いものだ。

 外套を纏わずにいることをルードの家族に指摘されたら「風に飛ばされた」と臆面もなく言い切るのも吝かではない。

 そうして託した外套が今、あの丸いものから吐き出されたということは、目覚めてすぐに放り出されることはなく、ずっと少年の手元にあったということか。

 拾い上げれは、仄かに温かい。

 どことなく面映ゆい思いがして、苦笑しながらそれを羽織った。

 積もった雪をどけ、かまどを組み直す。

 火をおこして昨日と同じようにスープが入った小鍋を置き、香を補充した。

「さて少年、そろそろ顔を見せてくれないか。熱は? 具合はどうだ。肩の包帯も取り替えなければ」

「……ううううっ」

 篭った唸り声。

 その様子はどう見ても威嚇をする小動物。

 だがやはり、昨日までとは違う気がした。

 隙さえあれば噛み殺す、と言わんばかりだった殺意と怯えがなりを潜めている。

 ただ気に入らないものに対して不満を訴えている、だけのような気がしたのだ。

「腹は減ってないのか。昨日は殆ど食べられなかっただろう?」

 ひく、丸い塊が震える。

 どうやら返答は、是、だ。

 火にかけたスープは、そろそろ温まった頃だろう。木皿によそい、差し出す前にもう一度声をかけた。

「少年、名前を」

 暫く待っていると、不貞腐れたような声が彼を呼ぶ。

「…………アクロ」

「ん。後で手当てもさせてくれ」

 こと、と木皿を置くと、丸いものから生えてきた手が慎重にそれを掴み、中に取り込んでしまった。

 もぞもぞと小さく動いているので、中で食べているのだろう。

 本当にそういう獣か魔物のようで、アクロは声を立てないようにひっそりと笑った。

 昨日よりは意識がはっきりしているようだ。この分なら、ずっと見ていなくても大丈夫か。

 アクロは虚周辺の雪掻きに徹することにする。虚入り口の風上に硬く積み上げて置けば、多少吹雪いても簡単には埋もれないだろう。

 ルードでは、天幕が雪に耐えられなくなる頃に雪洞を作る。もっと積もるようになったら、少年のための雪洞も作らなければ。

 ざく、ざく、ざく。

 黙々と作業を進め、一段落ついた頃合いで少年の様子を見に行った。

 丸かった塊が、少し平たくなっている。

「少年、食事は終わったか? 悪いが捲るぞ」

 そうっと毛皮を捲れば、少年は半分程中身が残った木皿を抱えるようにして眠っていた。

(よかった……昨日よりは余程食べている)

 アクロは木皿を遠ざけ、代わりに薬と、蜂蜜の入った小壺を側に置く。それぞれの蓋を開け、蜂蜜には匙を入れた。

 そうしてから少年の上体を抱き起こす。

 何度抱いても軽い。

 そして熱い。

 体力と抵抗力を失っている今の少年では、肩の火傷は、これからもっとひどくなるかもしれない。

 熱と痛みはまだ続くだろう。

 この薬が、多少は和らげてくれる筈だが、この弱々しい嫌がり振りを見ると、また良心が痛む。

「うぅ……ぅえ……ぅ……」

 ルードの子供たちも、怪我や病気をする度に、大人にこの薬を無理矢理飲まされた。アクロもだ。

 今となってはひどい味だと思うだけだが、子供の頃は強引に口を開かせる大人の指を食い千切ってやろうと思ったことさえある。殴られて終わったが。

 大人になってからは、今度は自分が子供たちに強いる番だ。

 人のことは言えないが、血気盛んな子供が多いから飲ませる方も大変苦労した。

(せめてあの子らのように全力で嫌がってくれたら、こちらも強硬な姿勢でいられるんだが……)

 そもそも今の少年には、そんな体力もない。

 むずかる赤子のようにイヤイヤと首を振ろうとするのが関の山で、それも抑えてしまえば全く動かせないらしい。

 差し込んだ指で強引に開かせた口は閉じようとしても、甘噛みのように指先を擽るだけだ。

(かよわい……)

 ぎゅううと、胸が締め付けられる。

 こんなか弱い命が、今まで生きて来られた方が寧ろ不思議だった。

 この森に入らなければ、アクロたちのルードにたどり着かなければ、きっとどこかで尽き果てて、人知れず神の元へ還っていたのかもしれない命。

 そう思うと堪らなかった。

 何とか飲ませ終えた薬の壺を蜂蜜に持ち変えて、匙でひと掬い、こぼさないよう唇に近付ける。

 昨日はこれも警戒して口をつぐんでいたが、今回はどうだろうか。

 匙の先を唇に当てると、重たげな瞼がゆるゆると持ち上がった。

 そういえば、と。熱に浮かされた金色がとろりと瞬くのを眺めたアクロは思う。

(この金色は蜂蜜のようだな)

 素直に開かれた唇が微笑ましい。

 匙を差し込めば、寄せられた眉間の皺が解けていく。


 やがて再び瞼が落ち、少年の呼吸が安定した寝息に変わるまで、アクロはその腕の中に、小さな命を抱き続けた。



 ◇ ◇ ◇


 少年の火傷は、やはり膿み始めていた。

 栄養の足りていない小さな体だ。どうしても、損傷に抗うだけの体力と免疫がないのだ。

 傷を洗い、薬を塗って処置をしているが、それだけでは足りないのではないか。焦りが湧く。

「アクロ兄」

「……カウル、どうした」

 ルードに戻ると、カウルに声をかけられた。

 あの夜、少年をひどく責め立てた彼だが、あれ以来何かを考え込むことが増えた。おかげで最近、馬獣たちの毛並みがツヤツヤになっている。

「……外套、見つかったんだな」

「カウル。あからさまな嘘は、触れてくれるなという合図だぞ」

「……すまない」

「まあいい。お前も気になっているんだろう。おいで。私の天幕で話そう」

 ノマの民は親子か、もしくは夫婦でひとつの天幕を使う。

 ただし、成人した男は一人用の天幕が与えられ、食事の時を除いて他の天幕、例え親姉妹であろうと女のいる天幕には入ってはいけない決まりだ。

 勿論、病人の看病などの例外はあるが、破れば笞刑(ちけい)。悪質な場合は去勢や追放もあり得る重罪である。

 アクロもカウルも成人した男なので各々一人用の天幕を持っているが、カウルの天幕は弟妹たちの遊び場になっていることが多い。落ち着いた話をするには向いていない。

「失礼……」

「何だ、改まって。以前は許可もなく勝手に入ってきてたのに」

「俺はもう、子供ではないっ」

「それもそうだ」

 すぐむきになるところは、まだ子供だ。アクロは喉で笑い、カウルに座るよう促した。

 聞きたいことはわかっている。

 あの夜あの場にいた者たちは、アクロが少年をどこかに匿っていることを察していた。

 誰ひとり口に出すことはなく、皆、見て見ぬ振りをしている。誰も、腹を減らした小さな子供が野垂れ死ぬ光景など見たくはないのだ。

 だからアクロも必要以上にコソコソはせず、あの子ために動けていた。

「あの子の、何が聞きたい?」

 カウルも少年を気にしているのだ。

 それが肯定的な感情なのか、否定的な感情なのかはわからないが。

「……生きてる、んだよな」

「勿論」

 アクロの返答に、カウルは僅かに溜めた息を吐く。それは恐らく、安堵、だった。

「だが予断は許さない状況だ」

「え」

「あの子は予想以上に弱っていた。傷だらけの体を見ただろう。元々生命維持がギリギリで、回復に使うための体力がなかったんだ。そこへきてあの火傷だ。食事も、あまり多くは食べられない。薬を飲ませて容態を落ち着かせてはいるが、それでいつまで、あの体を誤魔化せるか……誤魔化せている内に、体力をつけられたらいいんだがな」

「…………」

「お前を責めているわけではないぞ」

「……わかってる、アクロ兄」

 少年の状況を聞いて、噛み締めていた唇が色を失っている。

 そんなカウルの様子に、アクロは密かに胸を撫で下ろした。カウルはもう、少年に害意を持ってはいない。

「俺は、長の言うように、飢えは知らない。だが、火傷の痛みは、知っている」

 カウルは昔、煮えた油を顔にかけられ、危うく片目を失明しかけたことがあった。その頃はまだ幼く、ノマの特徴である仮面を与えられていなかったのだ。

「あの痛みは、声を、上げずにいられるものなのか」

 自分より遥かに大きな大人に囲まれても、少年は俯かなかった。何をされるのかは察していただろうに、気を失うその時まで大人たちを睨みつけ、悲鳴ひとつ、上げなかった。

 その姿がカウルの目にどう映ったのか。

 カウルは忙しなく両手の指を組み替えている。そして意を決したように懐に手を入れた。

「これを」

「これは……トトの実か!」

 思わず実を乗り出した。

 カウルが差し出したのは胡桃のような殻に覆われた三つの実。

 冬場に実をつけるツル性植物の実だ。栄養価が非常に高く病人の看護にはうってつけだが、長期の保存が効かないのでルードの物資にはなかった。

 これは是が非でも、少年に食べさせたい。

「これをどこで? 近くにあったのか?」

「少し、遠いが。行けない距離じゃない。俺も昨日、狩猟の際に見つけた。長には……報告していない」

 最後はバツが悪そうだった。ノマの民にとって知り得た情報を共有しないことは、裏切りと言われても仕方のない行為なのだ。

「報告はしよう。お前が罪悪感に駆られることはない。その上で融通して貰えるように掛け合うのは私がする。カウル、教えてくれてありがとう」

「……いや」

 カウルはまだ、言いたいことがあるようだった。

 浮かしかけた腰を再度下ろし、アクロはカウルが言葉を纏めるのを待つ。

「……ダグが、アクロ兄のしていることに、興味を持っているようだ」

「……ダグが?」

 ダグは、カウルの四つ上の実兄だ。

 面倒臭がりで狩猟も、ルードでの仕事もまともにしようとしないダグは周囲に煙たがられている。

 カウルもそんな兄を嫌っていた。

 そもそもカウルの場合は、彼の顔を焼いたのがダグの故意だったことにも起因しているのだが。

「アクロ兄なら大丈夫だろうが、こどもはそうもいかないだろう。くれぐれも気をつけてくれ」

「……そうだな、忠告ありがとう」

 ふたりは今度こそ腰を上げ、揃って長の元に向かった。カウルの足取りは重いが、そう心配するなと肩を叩いてやれば慌てて背筋を伸ばす。

 やはり、成人はしていても、まだまだ子供だ。

 本人には言わないが。



 遅い報告を聞いても、長は怒らなかった。

 採取はお前たちふたりに任せると言い、他の者に場所を明かす必要はない、とも付け加える。

 取り尽くしてしまうことを防ぐためだろう。

「お前たちがそこでいくつの実を見つけ、いくつ採取したかなど、誰にもわからんよ」

 長は唇の前に人差し指を立て、声を潜めて笑った。



笞刑(ちけい)>鞭打ち刑

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