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35(終)


 ────どしゃっ、

 湿気た地面に、生き物の体が崩れ落ちる。まだ息がある、ソレが立ち上がる前に赤が翻った。

 弧を描く血飛沫に似た、赤い軌跡。

 赤い、髪。

 遅れて、叩き伏せられた魔物から鮮血が迸る。

 しん、と静まり返った場に、誰かが息を飲む音。それを掻き消すように、パチンとひとりが手を打った。

「ハイ、おつかれさん! 相変わらずお前の動きには無駄がねえな!」

 呵々と笑う中年の男は、今回の依頼で結成された傭兵隊の隊長だ。

 彼に背を叩かれ賞賛を浴びた青年は、獲物に突き刺した短剣を引き抜き立ち上がる。

 赤髪のあわいに覗く、金の隻眼。美しい。だがそれ以上に、冷たい。返り血を浴びて尚、その目はひどく冷めている。

 返り血よりも、無造作に伸びた赤髪が顔にかかるのを煩わしそうに払いのけ、「どうも」とだけ言った。

「戦いの後だってのに冷めてんねえ。流石、たった四年で二等級まで上り詰めた『血煙(ちけぶり)』殿。下々の者とは違うってか?」

「…………」

 卑屈な笑みを口元に張り付け、傭兵隊の数人が前に出る。しかし青年はそんな彼らに一瞥すらくれず、短剣に付いた血を拭っていた。

「っおい、何とか言ったらどうだよ」

「まあまあまあ、さっさと森を抜けて目標地点を目指そうぜ。多分もうすぐそこだろ」

「そうだな、そろそろ物資も尽きるし、早いとこ別動隊と合流したい」

「あぁ」

 隊長を始め、その周囲の熟練者たちが話題を逸らしながら彼らの間に割って入る。隊長に肩を抱かれた青年が十分に離れたのを確認して、熟練者たちは不満げな若者に苦言を呈した。

「お前らさあ、あんまあいつに突っかかんなよ。あいつは敵と認識した相手には容赦ねえぞ。人間を相手にするのにも躊躇ねえし」

「そうそう、ちょっと前に一晩で傭兵団が丸ごとひとつ壊滅したことあったろ、ありゃあいつと、あいつの相棒がやったんだ」

「俺は、あいつの相棒が着いた時にはもう殆ど壊滅状態だったって聞いたけど」

「尚凶悪じゃねえか」

「元々素行が悪くて煙たがられてた連中だったしな、大方、踏む必要のない虎獣の尾を踏んだんだろうぜ。馬鹿だよなあ、変に突っつかなきゃ、あんなに無害な奴もいねえってのに」

「はははっ、あいつ、基本的に人間に興味ねえもんなあ」

「ははは……全部ルーシャに聞こえてんぞ、お前ら……」

 引き離したのを確認した上でその声のでかさか。傭兵なんてやってる輩はどうも繊細さに欠ける。そんなことだから女にモテないんだとぼやく隊長に、話題の青年、ルーシャ────ルカは、肩を竦めるだけだった。

 こちらに敵意を向けないのであればどうでもいいと言わんばかりに。

 事実、ルカにとって顔見知りの傭兵たちは無害だ。整った容貌と睨むように鋭い目付きのせいか、初めて関わる連中に絡まれがちなのはいつものことで、しかしその殆どが実害には至らない。

 害がないなら空気と同じだと、ルカは思っている。

 ただ『血煙』と、いつの間にか浸透してしまった二つ名で呼ぶのは勘弁して貰いたい、とも。

 見事な赤髪と、苛烈な戦い方からついた異名だが、名声など求めていないルカには無用の長物である。生まれ持った髪はどうしようもないし、戦い方は小柄で力がない分を補う速さを活かしているだけなのだ。

 こんな大層な二つ名があるから余計に絡まれるのでは、と思わずにはいられない。

 目立たず生きたい。無理難題である。ルカは溜め息を吐いた。

 と、その時。

 ルカの耳は遠くで鳴く獣の警戒音を聞いた。一瞬遅れて、そちらの方向から急速に近付いてくる気配に気付く。速い。

「警戒」

 隊長も気付いたようだ、鋭く全体に指揮を出すと傭兵たちはぴたりと会話をとめた。各々が武器に手をかける。

 大地を揺らす重い足音、鳥獣たちが飛び立つ、茂みを掻き分ける音に生木の折れる音が覆い被さり、ついには。

「散れ!!」

 傭兵たちが飛び退いたそこに突っ込んできたのは、ひとりの少女と、それを追う巨大な怪物。

「トロウグ!?」

 傭兵が上げた驚愕の声に、ほんの束の間、怪物の意識が少女から逸れる。

 木の枝に退避していたルカはその隙を見逃さなかった。

 位置は真下。おあつらえ向きだ。

 ルカは知っている。体の大きなトロウグの鱗は下からの攻撃には強いが、上からの攻撃には滅法弱い。そしてどんな生物でも生物である以上、中身は脆いものだ。

 自由落下。全体重をかけた長剣を、トロウグのうなじに抉り込んだ。

 雄叫びを上げたトロウグは両腕を振り回し肩に乗る邪魔な虫を追い払おうとするが、動きが鈍い。刃が脊髄まで届いたのだ。

 足掻くトロウグという不安定な足場をものともせず剣から手を離す。続いて抜き放ったのは対の短剣。くるりと反転させ、逆手に持ったそれらを、トロウグの両耳目掛けて左右から突き立てた。

 グロン、と回転する目玉。だらしなく開いた口から血の混ざった唾液を垂れ流すトロウグは、糸が切れたように膝をつく。

 そして、短剣を抜かれると同時に地響きを立て崩れ落ちた。

 同行していた傭兵たちが最初に飛び退いた位置から動く間もなく、一体の怪物は速やかに鎮圧されたのである。

「はは、鮮やか」

「おっかないねえ」

 先程ルカに絡んでいた傭兵たちは、脂汗を拭いながら「なるほど、逆らわんとこ」と呟いた。



 ◇ ◇ ◇


「お疲れ、そっちの仕事も片付いたか」

「ああ、君も、お疲れ様」

 宿に併設されている食堂。

 仕事を終えて食事をしているルカの元へやって来たのは、少々疲れた様子のアクロだった。

 アクロは外套を脱ぎながらルカの正面に座り、店員に料理と果実水を注文する。

 あの、土色の外套ではない。ノマの民族衣装ではなく、街に馴染む傭兵らしい装いだ。当然、骨の仮面もつけていない。

 アクロはあの時以来、素顔を晒すことに躊躇がなくなった。変に隠そうとしなければ探ろうとする者もいないと、普段は外套の頭巾を被る程度で、室内に入ればその外套もあっさりと脱いでしまう。

「君たちが連れて帰った少女がいただろう。彼女が最後の一人で、ずっと探していたんだ」

「……あのガキも密猟者の一人だったのか」

「そうなる。まさかトロウグの棲みかに逃げ込んでいたとはな……トロウグを相手にしたそうだが、怪我はないか?」

「ん」

 同じ雇い主から別の仕事を請け負っていたルカとアクロは互いの近況報告をして、一段落だな、と肩を竦めた。

 実入りのいい仕事だった。後払い分の報酬も無事受け取ったことだし、暫く傭兵業は休んでもいいだろう。

 アクロともここ半月近く顔を合わせておらず、こうして言葉を交わすのも、随分と久し振りに感じる。

「髪、ほったらかしだったろう。私がいなくても、せめて櫛くらいは通せ」

「あー……まあ、特に不便も感じなかったし、面倒でさ」

 アクロの手が、幾分指通りの悪くなった赤髪に触れる。

 ルカが髪を伸ばしたのは、アクロの希望だ。普段の手入れも、殆どアクロがしていた。そのアクロとすれ違った生活をしていたのだから、結果は言わずもがな。

 アクロが毎朝毎晩櫛梳り、香油も使って丁寧に整えていた髪は、アクロが目を離した半月の間にすっかり自由奔放になってしまった。髪質的に絡まないのが救いだ。

「元気がいいのも君らしくていいが、ぱさついてるのが勿体ないな。部屋に戻ったら手入れをさせてくれ」

 放置されるのはわかっていたのだろう、アクロは溜め息ひとつで済ませ、やわらかく手櫛を通す。

 そんなことよりも優先することがあるだろう、とルカは呆れてしまう。

「目の下、隈出来てるぞ。飯食ったらもう休めよ」

「……君は?」

「おれは、着替えたら花街」

「私も行く」

「いや、無理しなくても」

「妹御を探すのだろう。私がいて不都合があるのか」

「疲れてるんだろうが」

「疲れている? そうだな、疲れているとも。肉体よりも精神が疲弊している。ここ暫く君と会話をするどころか顔を見ることも叶わず、著しく君が不足しているせいだ。君は少しも堪えていないようだがな、圧倒的に癒しが足りない。私はそろそろ限界だ。だというのに、漸く会えたと思った君は私が休んでいる間に花街へ? 休めるわけあるか!」

「あー……アクロ? ちょっと声が」

「君を抱いて眠りたい!」

「語弊があるなあ!」

 周囲からの視線が生温い。勘弁してくれと思いながらもテーブルに突っ伏してしまった大男の頭をぺふぺふと叩く。

 この男、見た目は年々渋みを増していくのに、中身の様子が可笑しくなっていっている気がする。それとも自分が気付いていなかっただけで、元々こうだったのだろうか。

 それを、嫌だとは思わない自分も、どうなのか。

 ちなみにアクロの言う「抱く」は本当に言葉通りの意味だ。抱き締めて眠るだけ。この男はルカのことを抱き枕か何かだと思っているに違いない。

 もっともルカもそうして眠ることにすっかり慣れ、アクロの体温がないと逆に落ち着かなくなってしまった。

 お陰でここのところ、若干寝不足気味である。

「本当は夜明けまで花街で情報集めて回って、その後は昼まで寝るつもりだったんだけど」

 突っ伏した頭は動かない。まさかここで寝てないよな?

 ルカは周囲に聞かれないよう、アクロの耳元で声を落とした。

「明日、朝から商人の情報収集に付き合ってくれるなら、いいよ」

 ガバッ、と勢いよく体が起こされる。寝てなかった。よかった、宿はこの食堂の上だが、この大男を担いでいくのは骨が折れるだろうから。

 顔を上げたアクロはルカの手を両手で握り、唇と、額に順に押し当て、何かを呟いて……。

 待て。

 この仕草、前にも見たような。

「あの……もしかして、また何か、神様に言ってない……?」

 恐る恐る訊ねると、アクロはその手をもう一度唇に寄せて、ほんのりと紅潮した目元をほころばせた。

 そうして笑うと、厳めしい顔が途端に砂糖菓子のようになることを、わかってやっているのだろうか。

「……この、愛おしいひとを、私の元へ遣わせてくれたことへの、感謝を」

「────」


 周囲から口笛が吹かれた。

 本当に、本当に勘弁して欲しいと思っているのに。

 嬉しそうなアクロの様子に心臓がぎゅっと圧迫される。お陰で喉からは呻き声しか絞り出せない。

 恥ずかしいから、今は言わないけれど。

 後で。後でなら。


 自分も寂しかったと、伝えてもいいだろうか。




 『ふ、ふ』と、どこかで何かが、笑ったような気がした。




お付き合いありがとうございました。

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