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 移動民族であるノマは、墓を持たない。

 死者が出れば、丸一日をかけて火葬する。火葬の際の煙とともに魂は星へと還り、再びよすがを得るその時まで、オルシュアの元で眠るのだ。

「賢く勇敢だったマーナヴェリグ、オルシュアはお前の気高き魂を慈しむだろう」

 還る魂が迷わぬよう、精名をもって送り出し、砕いた骨を大地に撒く。

 誰もが、彼女の死を悼んでいた。



「ダグがいなくなった?」

 マナクの弔いを終えたルード内は、殺伐とした雰囲気に包まれていた。

 ノマの民は、弔いの最後に酒宴を張るのが慣わしだ。火を囲んだ子供たちが火の精霊を模した衣装で歌い踊り、普段よりもほんの少し豪華な食事と、普段は飲まない酒を飲む。

 賑やかに、快然と。そうすることで還っていった魂が、家族たちを懐かしめるように。次のよすがが、また我らと繋がりますようにと。

 ただし、ことが人による殺人の場合、話は別だ。

 その場合葬送を済ませたノマが行うのは宴ではなく、罪人の特定、そして報復である。

 やられたままでは済まさない。命には命で償いを。例えそれが、家族であっても。

 否、家族であればこそ、尚更。

「砕骨までは、姿を確認している」

 酋長の元へ駆け込んだカウルは、己の失態を罵る内心を押し殺し事実だけを報告する。

 マナクの体には二ヶ所の矢傷があった。

 ひとつは頭、眉間から後頭部までを貫いた、恐らく直接の死因となった一撃。これは折れた矢そのものが頭蓋に残されていた。仮面があれば防げていたかもしれないが、マナクの遺体の周辺に仮面は落ちていなかった。

 もうひとつは胸に。ピュリエンの溶解液に晒された骨も皮膚も、強く掴めばバラバラと砕けてしまう程脆くなっていたが、それは確かに、ピュリエンに荒らされたものとは違う人工的な穴だった。

 丁度、心臓の上。致命の一撃となったのはこちらだろう。

 マナクは何らかの隙をつかれて、初撃を食らった。クルトゥで反撃をしたが、初撃の負傷があまりに大きく、撃退には至らなかった。仮面を失う何かがあって、至近距離から頭を撃ち抜かれた──というのが、遺体を検分したカナンの見解だ。

 矢は、弓ではなく弩で使用するものだった。

 ノマで使用する弓は、魔物の硬い皮膚を貫くための強弓だ。膂力も技量も並以上に必要だが、その分威力は凄まじい。人に当たればその部位は弾け飛ぶだろう。

 対して弩にはそれ程の威力はないが、扱い易く技量も差程必要としない。ノマでは膂力の足りない者や、弓の威力への拘りのない者、そして狩人ではない職人たちが護身用に使用している。

 弓を使う者が弩を扱えないわけではないが、携帯をするならどちらか一方だ。二種類の矢を持ち歩くのは単純に効率が悪い。更に、普段弓を使う狩人が弩を持ち出していたら、誰かしらの目に止まるだろう。

 勿論、密かに持ち出した弩を、予め拠点外のどこかに隠していたという可能性もあるが、マナクに対し、それ程周到な殺意を抱く狩人に心当たりがなかった。

 ただひとりを除いて。

 弓使いたちではない。ましてや、拠点を離れない職人たちではあり得ない。このルードで弓を使わない狩人は六人。

 その内のひとりが、ダグだ。

 ダグが弓を使わないのは、修練が必要だからだろう。最低限の狩りさえ出来ればいい、ダグはそう考えている。腕を上げる必要性を感じていないのだ。

 そんな怠惰なダグは、真面目なマナクと折り合いが悪かった。

 マナクが殺されたと聞いて、カウルは真っ先にダグを疑った。だが同時に、まさか、とも思った。

 ダグはとにかく怠惰な男だ。

 旅を厭い、狩りを厭い、それよりも街で働くことをより強く厭うため、ノマを嘲笑しながらもルードを出ない怠け者だ。

 そんな男が、いざこざの最たるものである殺人を犯す? 違和感しかない。だが他に考えようもなかった。

 証拠はない。だから糾弾することも出来ない。証拠もなしに無闇に疑惑を振り撒く行為は、集団の秩序を乱すとしてルードでは厳しく禁じられている。

 猜疑心は人の凶暴性を増長させるものだ。

 誰かひとりが石を投げれば、必ずそれに続く者が現れる。石を投げられた者が真実、罰を受けるべき者であるかどうかは重要ではなくなり、罰をくだすことそのものが目的になるだろう。

 思考をとめてはいけない。

 自らの手で、真実を葬ってはいけない。

 だからルードでは、ただの疑惑を公然と口にすることは禁忌とされていた。

 必要なのは感情ではなく、真実にたどり着くための情報だ。ならばとカウルは、ダグから目を離さないようにしていたのだ。

 違うのなら、それでいい。実際、カウルの知るダグならば、面倒事はのらりくらりと避けるだろう。こんな騒動は、決して起こさない。

 だがダグは姿を消した。誰にも言わず、逃げるように。

 目を離したのは一時。

 散骨を見届ける時だけだ。マナクにはよくしてもらっていた。彼女との別れ。これが最後だと思ったら、惜しくなってしまった。

「俺の失態だ。疑っていたのに、目を離すなんて」

 酋長は苦く目を伏せる。

 カウルはまだ十五だ。成人しているとはいえ、体も心も、完成しているとは言えない年齢だというのに、親しくしていた者の死を悼む時間すら許されないとは。

 その上、疑う相手は血を分けた兄ときている。

 例えいがみ合う相手だとしても、その心中は複雑だろう。

「みなの同行に目を光らせていなければならなかったのは私だ。お前が責任を感じる必要はない」

 群の長は、すべての家族に平等でなければならない。

 人間であるがゆえに当然、感情もあれば思うところもある。それでも己の中の個を切り捨て、全の秩序を優先することが出来なければ、集団の未来には自滅しかない。

 だがそのせいで、消極的になりすぎてはいないか。

 そのせいで、家族たちの心から目を逸らしてはいないか。

 少なくとも、家族との別れを惜しんだだけの若者に謝罪をさせるような現状は、誰も望んではいない筈だ。

「急ぎ、狩人らを呼んでくれ」

 若者の肩を叩く。

 先導者は、選択した。

「ダグを捕える」



 ◇ ◇ ◇


 酋長の指示の元、狩人たちが二人組、或いは三人組となりダグの捜索を開始して、三日目。

 集会用の雪洞に集った狩人たちが、情報を開示し合う。

 ダグの行方に関する目ぼしい手掛かりはなかったが、一組の狩人が気になることを言い出した。

「ダグは、強力な魔石を所持しているかもしれない」

 冬籠り中の街まで捜索の足を伸ばした狩人だ。

 眠りについた街の中でも、問題が起これば対処をする機関が必要だ。その街では街主館と自警団、傭兵ギルドが機能している。街門を守る自警団に話を聞き、冬の間に保護をした旅人の顔も確認したが、そこにダグはいなかった。

 街には来ていないのだろう。だが念のためだと、狩人たちは傭兵ギルドを訪れた。

「受付と話をしている最中に、一人の傭兵が口を挟んできた」

 併設された宿泊施設から降りてきた傭兵は、受付で話される男の特徴に心当たりがあるようだった。

 初めの内は「彼はノマだったのか」と驚きながらも穏やかな様子だったが、その人物が問題を起こして逃亡中であり、それを捜索しているところだと話すと顔を強張らせた。

 曰く、彼に命を救われた、何かの間違いでは、と。

「話を聞くと、冬籠りの前にダグと遭遇し、魔石で精氣酔いを起こしていたところを助けられたようだ。その後ダグに魔石を売り渡したらしい」

 ダグが人助けなど、そちらの方が何かの間違いではと思ったが、魔石が目当てだとしたら寧ろ納得が出来る。

「精氣酔いを引き起こす程、大きな魔石だったのか」

「誇張されていなければ、拳大はあったそうだ」

 その場にいる者が一斉に息を飲んだ。

 魔物を相手取るノマは当然、内地の人間よりも魔石に触れる機会は多い。そのノマであっても、それ程大きな魔石は見たことがなかった。

「数百を生きた魔樹が有していた魔石でも、胡桃程度の大きさだったが……」

「あれでさえ呼び込む精氣は凄まじかった」

「ダグは何を考えている」

 ノマは魔石を不吉なものとして扱っている。

 元々はそうではなかった。精氣を呼び、それが瘴気となることも、時に人の肉体を蝕むことも、留意し警戒すべきことではあっても、不吉とは捉えない。

 ノマにとって魔石が不吉となったのは、内地で破格の値がつけられるようになってからだ。

 金は、人の心を狂わせる。

 内地の人間も、ノマであっても例外ではない。過去には魔石を巡った争いで人死にが出たこともあるという。

 そのためノマが魔石を入手した場合、持ち出しを固く禁じ、源洞を探すのだ。

 精氣の源である源洞に存在する泉。正確には、泉そのものが、洞だ。死期を悟った魔物が、還ろうとする場所だ。泉に沈めた魔石はたちどころに分解され、循環にとける。

 争いの種になるのならば、手放してしまった方がいい。元より循環に還りたがる存在だ。あるべきものを、あるべき場所へ。それがノマのやり方だった。

「そのように巨大な魔石、下手に扱えば国一つ……いや、大陸全土が傾くぞ」

 それは大金が動く、というだけの話ではない。

 例えばその魔石を街中の目立たない場所に安置すれば、ほんの数日で街は瘴気に覆われることになるだろう。住民は死に絶える。そして瘴気は拡大し、徐々にだが、確実に、大陸を蝕んでいくのだ。

 魔石は、どんな武器よりも強力で無差別な兵器になり得る。傭兵の話が本当であれば、マナクの件とは別に、一刻も早くダグを捕えなければならない。

「しかし、もうこの辺りにはいないのではないか」

「……私は、そうは思わない」

 アクロだった。

「何故そう思う」

 問われ、一瞬の躊躇。しかしアクロは諦めたように声を絞り出す。

「マナクを殺した罪人が、ダグではないなら、わからない。だが本当にダグの所業なら、きっと、マナクだけでは終わらない。彼が一番憎んでいるのは…………私だろうから」

 アクロは、家族みなを大切に思っていた。ダグに対しても、同じだ。多少の問題があったとしても、家族は家族だ。大事な弟だ。

 だが、ダグにとってはそうではないことも、わかっていた。それでも構わなかったが、ことは最早、アクロだけの問題ではなくなってしまった。

「ダグなら、私を殺したいと思う筈だ。どこか近くで、機を窺っているだろう」



 捜索は続けられた。

 狙いがアクロであるという想定の元、範囲をルードの周辺に絞った精到な捜索。

 およそ半日後に見つかったのは、瘴気に近い精氣の残り香と、歪に変容した、スムーの死骸だった。




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