異世界損害保険
本作は一話完結のショートショートですが、
『異世界転生課』
https://ncode.syosetu.com/n3981hx/
と世界観を共有しているので、そちらから読んだほうが分かりやすいかもしれません。
「だから必要ないと言ってるだろ!」
荒澄山男は机いっぱいに広げられたパンフレットを前にして声を荒らげた。
「荒澄社長、これは御社のために申し上げているんです。このとおり、レベルA以上の異世界をお持ちの方で保険に加入していない方は22%だけなんですよ」
樽田猫美はパンフレットの左下に大きく書かれたカラフルな円グラフを指差しながら辛抱強く説明を続けた。
「わしには関係ないな。わしの持っている異世界はどれも極めて順調だ。定期的に転生者を入れて活性化させとるしな」
「そこですよ社長、そこに落とし穴があるんです。これは私のお客様に実際に起きた話なんですけど」
樽田は話し始めた。
「その方は大地主のご子息で、沢山の異世界を持っていたんです。特にお気に入りだったのは文明レベルAですが、潜在的にはレベルSSの価値があると言われていた世界で、それを育て上げることばかり考えてました」
「しかし、待てど暮せど一向に文明レベルが上がらない。しびれを切らしたそのお客様は、お友達のレベルS異世界から科学者を転生させたんです、それもチート能力付きで。そうしたらどうなったと思いますか?」
「さぁな、おおかた戦争でも起きたんだろ」
「その通り、戦争です。それもただの戦争じゃありませんよ。転生者が異世界に原子力技術を持ち込んだので、核戦争が起きたんです。文明は完全に破壊されて、残ったのは荒野だけ」
「それがどうした」荒澄はイライラした様子でデスクを指で叩いている。
「ところが、その方は弊社の保険に入っていたんですよ」
樽田はここからが本題だとばかりに身を乗り出した。
「支払われた保険金を使って、その方は別の異世界から暴走族を沢山転生させたんです。すると核戦争後の世界と暴走族の組み合わせがとても良いと話題になって、今じゃコアファンの間では伝説と呼ばれるほど人気があるそうですよ」
「なかなか面白い話だが、わしならそんなヘマはしない」荒澄はあっさりと切り捨てた。
「ではもう一つ」樽田は一歩も引かなかった「今度は保険に入っていなかった方のお話です」
「その方は社長と同じくらいのご年齢の経営者なんですが、若い頃色々無理をなさったんでしょうね、業界内でも恨みを沢山買ったそうなんです。その内の誰かが異世界ハッカーを雇って、社長の持っている異世界のRNAアクセスキーをハッキングしてしまいました」
「ちょっと待った、そんなことは不可能だ」荒澄は樽田の話を遮った。
「ところが現に出来たんですよ。そしてハッカーはその方の異世界に勝手に転生者を送り込んだんです。『絶対服従』のチートスキルをつけて」
「『絶対服従』? なんだねそれは」
「その世界の人は転生者の言うことに無条件に服従する、という代物です。しかもそのハッカーはとびっきり無能な、なんの取り柄もない、性格も最悪な人間を選んで送り込んだものですから、送り込まれた方はもう滅茶苦茶。国土は荒れ果て、文化は衰退し、人口はピークの1/10まで減ったそうです」
「ははは、わしは信じないぞ」荒澄は大声で笑った、「異世界ハッカーなんてのは都市伝説だ、実在しない。人を馬鹿にするのも大概にしろ」
「跡巣興業、聞いたことありますか?」
「跡巣? あれは事故だと発表されただろ」
「そう発表するしかなかったんですよ、ハッカーにやられたなんて天下の笑いものですから」樽田はニヤリとした。
「断じてほんとうの話ですよ、社長。信用いただけないなら今跡巣社長御本人に確認なさってください」
「よぉし、これ今月のノルマもクリアだ。」
樽田は晴れ晴れした気分で荒澄商事を後にした。ああいう努力で成り上がった、自分の力しか信じないタイプのワンマン社長には何かと敵が多い。そこを突いて脅してやれば契約なんて簡単に取れる。
ブブブブ、と耳の奥で通信用寄生生物が振動した。
「もしもし?」
『ミレディ』
おっと、「副業」の方か。
「どうなさって?」
『頼みたい仕事がある。例によってRNAアクセスキーのハッキングだ。相手は国会議員、セキュリティはいままでより厳重だろうが』
「問題なくってよ」樽田は快く受けた「前払いの報酬とターゲットの詳しい情報をいつもの所に送ってくださる?」
『ああわかった。くれぐれも頼んだぞ。ミレディ』
通常、異世界RNAアクセスキーは完全不可逆性の高次元生化学的CRR二重量子シーリングによって保護されている。たしかに荒澄の言う通り、この世界の誰にもハッキングすることなんてできないだろう。
でも私には関係ない、と樽田は思った。
『絶対解錠』のスキルを持つ転生者の私には。