11月〈2〉焼けたの何だ
十一月のとある土曜日。このところ朝晩はしんと冷えるようになり、冬の足音を身近に感じるようになった。
「はぁー、眠すぎる」
この日、とにかく瞼が重かった俺は、朝食の後の掃除を終えると自室のベッドにだらりと転がっていた。若者らしからぬなんとも怠惰な過ごし方だが、どうも身体に力が入らない。
試験明けの休日だが、特に予定は入れてない。さすがに勉強する気にもならなかったので、たまにはこんな日があってもいいだろうと思いながら、目を閉じた。疲れが溜まっているのなら、早めに対処した方がいいだろうし。
その間、眠っていたのか起きていたのかも自分ではよくわからない。別に夢を見ることもなく、記憶だけがところどころ途切れている、という感じだった。
「……ん?」
一時間と少し経ったくらいだろうか。ふと、かすかな煙の臭いを感じ、はっきりと目が開いた。身を起こし、天井に据えられた火災報知器に注目する。特に反応はしていない。じゃあ、この臭いは一体どこから? 外を確認すべく、自室の窓の前に立った。
そっと開けたカーテンの向こうには、学校の敷地のあちこちから細い煙が立ち上っているのが見える。あまりにも異様な光景に、物騒な単語がいくつも浮かぶ。
「とうとうこの時が来たか……」
背後から低いつぶやき声。いつのまにかすぐそばに立っていた紺野先生が、眉間に深い皺を寄せている。夕焼け色の瞳を鋭く細め、俺の肩越しに窓の外をじいっと伺っている。
「え……何なんですかこれ」
「これは一大事だよ、すぐに様子を見に行かなければ。君も早く支度して」
紺野先生は素早く上着を羽織り、この時期にはまだ似つかわしくない革の手袋をしっかりはめ、最後に懐に何かを収めた。
その間、先生はひとつも笑わなかった。どうやら、ただごとではなさそうだ。俺も慌てて上着を着ると、先生の後に続いた。
◆
「これは……?」
男子寮から道を一本隔てて向かい側、雪寮の玄関前広場にあったのは、こんもりと盛られた落ち葉の山だった。
火がパチパチと音を立てているので、焚き火と言った方が正確だ。ていうか、石畳の上に直火、ましてや建物のそばでこんなことをしてもいいのだろうか。一応水で満たされたバケツは何個か用意してあるが、なんとも危なっかしい。
その火を囲むように学生たちがたむろしていた。みんな楽しそうにおしゃべりを楽しみながら、合間に何かを美味しそうに頬張っている。
「おっ、香坂くんだね。お芋焼けてるからね」
「……芋」
やっとそれだけを言葉にできた俺に、上崎先輩がいつも通りに明るく答える。両手に軍手をはめ、顔やジャージはあちこち煤で汚れていた。他にも寮生役員の先輩たちが火バサミを片手に焚き火の番をしている。
状況がいまひとつ飲み込みきれていない俺の顔を見て、上崎先輩はにっこりと微笑んだ。
「そう、もうそろそろ冬だよね。落ち葉を掃いてるうちに、お芋焼かなきゃって使命に燃えてしまうのはもう仕方ないよね」
「すみません、よくわからないです」
「まあ、とにかくいい感じに焼けてるから食べてよ。香坂くんは男の子だから気持ち大きいのにしとこうか。ほら、今のうちにそこの新聞畳んで構えといてね」
促されるままに、目の前の長机に置かれた新聞紙を一枚取り、ぱたぱたと折り畳んだ。その間に上崎先輩は火バサミで緩く燃える焚き火を探るようにかき回し、中からいぶし銀に光る塊を取り出す。
「おっ、いいのが出てきたね。パスするよ、熱いから気をつけて」
「あ、ありがとうございます! あちっ!」
両端がツンと尖り、わかりやすく芋の形をしたそれは、畳んだ新聞紙越しでも手のひらを焼いてしまいそうなほどに熱を帯びていた。
想像以上に熱い。思わず放り投げそうになったのはギリギリとどまったが、かといってじっと触ってもいられない。ひたすら芋を右手と左手の間で往復させていると、その度に新聞紙から覗く銀のホイルが、晩秋の日差しに鈍く輝いた。
確か、芋を濡らした紙でくるんでから、アルミホイルで包むことでねっとりと甘く美味しく仕上がるんだったか。テレビで得た知識だ。
ホイル越しにでもわかる少し柔らかな感触、ほんのり漂う甘い香りは良い思い出を呼び起こす……いや、決してそういう意味じゃないぞ。昔、母親と焼き芋をしたことを思い出しただけだ。
確か、十年ほど前だったか。母親が、『魔術の実験』として焼き芋を作ると言い出し、庭の片隅に枯れ枝やら枯れ葉を山積みにしていた。
魔術で火花を飛ばし着火。しかし、一回めはその後の出力を誤ったらしく大きな火柱が上がり、もちろん中身も全て消し炭に。二回目はうまくいったが、ごうごうと赤く燃える炎を見て、家に燃え移ったらどうなるんだと幼心に震えあがったのをよく覚えている。
とはいえ、あの時の芋は、特に甘くておいしかった。ちなみに、あれ以上の焼き芋にはいまだに出会えていない。
……とまあ思い出に浸るのもそこそこに、温かいうちに食べようとホイルを剥くと、中からところどころ黒く焦げた赤紫色の芋が姿を表す。
そっと半分に割ると、ふわっと上がる湯気と共に山吹色の中身が姿を表す。蜜が染み出してほんのり透きとおっており、その味への期待も上がる。
「いただきます……」
舌を火傷しないように気をつけながら、ひと口かじりとる。とろりとしていてまるでクリームのような食感。砂糖をかけたのかと錯覚するほどの甘さが染み渡っていく。普段ならしつこいかと思うかもしれないが、疲れた心身を回復させるにはこのくらい甘いほうがいいかもしれない。
「うわ……めちゃくちゃおいしいな」
人生最高を更新した瞬間だった。
「うん、焚き火で焼くと特別美味しいからね」
紺野先生も同様に新聞紙に包まれた芋を持っていたが、俺のように慌ててはいない。なるほど、きちんと手袋をはめていたのはそういうことだったようだ。
先生は手近なベンチに腰掛けると、流れるように懐からステンレスのボトルを取り出す。開けた瞬間に湯気が上がったので、中身はおそらくホットコーヒーだろう。
「焼き芋にはこれがよく合うんだよ。うん」
そう言って、焼き芋とコーヒーを交互に楽しむ先生。なんでも、こうすると甘さが苦さでリセットされ延々と芋を食べられるらしい。山ほど食べたら後が大変そうな気がするが……屁が止まらなくなるという意味で。
さて、この学校では昔から、秋になるとこうして外で芋を焼き学生同士の親睦を図るのが伝統なんだとか。ちなみに着火も消火も、焦げた石畳の修復も魔術で行う……要するに四年生の実地実習も兼ねているらしい。
校内のあちこちで煙が上がっているのは、今日はいろいろなグループが同時に芋を焼いているからだそうだ。見た目の物騒さと裏腹に、なんとも平和な話である。
「あ、香坂くん。寮まで呼びに行こうかと思ってたんだけど、もう来てたのね」
「わあ、すごくおいしそう。私も早く食べたいな」
「珠希さん、お芋好きだものね」
「うん、大好き」
珠希さんと森戸さんも雪寮の中から姿を現し、揃って焚き火に吸い寄せられていった。二人とも甘いものが好きだし、大きい芋が当たればいいのにと思う。
さわやかな初冬の青空の下、今日も東都高魔では緩やかに時間が流れている。




