↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
インコンプリート・マギ〜外伝・それぞれの日々  作者: 霖しのぐ
それからの日々のおはなし
PR
32/34

11月〈1〉再び倒れる・1

 起き上がれない。


 視界は妙に鮮やかで明るいのに輪郭が滲んでいて、頭や手足は鉛でも置き換えられたかのようにように重い。そのうえ絶え間なく隙間風につつかれているような寒気に襲われて、唾を飲むと喉が刺すように痛い。


 我が身に何が起こったかは、いちど経験したからわかる。


――またか。


 俺は熱い息を吐きながら、布団に固くくるまった。ベッドサイドでは紺野先生が夕焼け色の目を体温計に寄せていた。


「三十八度五分……これはまた」


「すみません……」


「いやいや、謝る必要はないよ。生きていれば風邪も引くさ」


 そうだ、俺は七月に引き続いてまたもや発熱してしまったのだ。一年に、いや、三ヶ月と少しで二度も倒れるなんて、健康優良児の称号は今日をもって返上すべきかもしれない。


 俺は頭を抱えながら重い身体をなんとか起こすと、新学期に入ってから、主に十月のことを振り返った。


 授業や補講以外の時間には、月末に行われる学校祭の準備に追われていた。それ以外にも学生会の用事を頼まれたり、休みの日は父親のところに行ったり。確かに休みなく動いていたとは思うが、無理をした自覚はまったくない。


 むしろ魔術学校を目指して受験勉強をしていた去年の今頃の方が、よっぽど自分を追い込んでいたと思う。ここでの暮らしは休日でも規則正しく、しかもバランスよく食べ、しっかり寝ている。それなのに。


 紺野先生は寒気で震える俺を心配そうに見ながら、腕を組み、これからの段取りをつぶやいていた。


「とにかく、まずは欠席の連絡をしないとねえ。あとは……雪寮と……それから受診の手配だな」


「すみません。佐々木先生にも……」


「そうか、そうだね」


 俺は再び、いや三度ため息をついた。今日は実技の授業ももある日で、欠席するわけにはいかないのに。ただでさえ俺は魔術に関しては劣等生なのだ。佐々木先生に持ってもらっている補講も、一日だって休みたくはなかった。


 また周りとの差が広がるかもと肩を落としている間にも、先生はあちこちに連絡を入れ、調整をしてくれている。それから俺のそばに戻ってきて、いちだんと優しく微笑んだ。


「さてと、知らせないといけない所には全て知らせたたよ。ああ、朝食はここに持ってきてもらうように手配したからね。一緒に食べよう」


「ありがとうございます」


 先生の言葉通り、男子寮にふたり分の食事が届けられたのを、何とか起き上がってダイニングで食べた。俺の分は『特別食』と札が付けられていて、メニューは急きょ用意されたなんて信じられないくらい柔らかく煮込まれた雑炊だった。


 味は絶品、しかし喉に引っかかるのをなんとか完食すると、紺野先生は食器を洗ってすぐに出勤の準備を始める。


「洗濯は僕が帰ったら代わりにするから、置いててくれていいよ。それと、かがり姉さんがあとで診察に来てくれるからね。あとは……えっと、雪寮のスタッフに見守りなんかをお願いしてるけど、何かあったら遠慮なく連絡して。スマホは今日は枕元に置いておくといい」


 先生はテキパキと言いながら慌ただしくネクタイを締めると、重そうな鞄を持って玄関に急ぐ。


「……ありがとうございます。いってらっしゃい、先生」


「うん、行ってくるよ。ゆっくり休むんだよ」


 布団に埋もれたままで先生を見送ってすぐにスマホが鳴った。びっくりして声をあげそうになったが、よく見ると母親からの電話だった。受話ボタンをタップする。


「もしもし? また風邪引いたんですって?」


 先生は、母親にも連絡を入れてくれていたようだ。身体を丸めながら答える。


「うん……心配かけてごめん」


「環はすごく強い子なのに。学校が大変だからよねえ、きっととにかく、あまり頑張りすぎちゃダメよ」


 確かに学校は大変、ではあるが、俺よりずっと細い女の子たちだって同じ生活をしているのだ。男のくせに負けてしまったのが少し悔しい。それに母親のほうが俺よりも頑張っている。


「……母さんこそ。いつも仕事忙しいみたいだから、身体壊さないか心配だ。気をつけてくれ」


 しばしの沈黙ののち、なぜか笑い声が帰ってきた。体調を気遣うような声色が一転、今はおかしくて仕方ないと言った感じだ。


「あらら、そんなこと言ってくれるなんて、嬉しいわ。やだもう……ほんとに立派になっちゃって。ついこのあいだまで小さくてかわいい赤ちゃんだったのに」


「なんだよ。茶化すなよ……真面目に言ってるんだ」


 恥ずかしい。親というのは小さい頃のことを昨日のことのように思い出せるの……と、ことあるごとに母親が言うが、今それを持ち出してくるなんてずるい。こちらはいたって真剣なのに。


「ごめんね。ありがとう。私は大丈夫だから、今は自分の心配だけしなさい。ちゃんと休んでご飯食べて、お薬もわがまま言わずに飲むのよ」


「わかってるよ……もう子供じゃない」


 そう返すと、母親がまたおかしそうに笑う。本当は苦い薬が出ないことを祈っているのが見通されているのだろうか。そうだろうな。やっぱり、この人には一生勝てないと思う。


 その後、かがり先生が訪ねてきて、ひととおり診察を受けた。今回は喉の腫れが強いと言われ、炎症を抑える薬を処方してもらった。


「じゃあ、今回も治癒術のオーダーはなしで行こう。今日のお薬はこれとこれ。さっき説明した通りに飲んで。また仕事帰りに様子を見にくるからね」


「ありがとうございました」


「お大事にね」


 かがり先生がが帰るのと入れ違いに届いた昼食をひとりで食べたあと、俺は渡されたふたつの薬袋を見つめる。


「うーん、喉の薬が『毎食後』で、解熱剤は『高熱時』……か。高いって、何度くらいのことだっけ?」


 今日も前も『辛くなったら』と言われて、具体的に何度以上という指示はなかったはずだ。身体は熱かったが別に耐えられないほどでもないので、とりあえず喉の薬だけを飲み、再び布団に横になった。


 そこからはゆらゆらと夢とうつつを行ったり来たりを繰り返していた。学校でチャイムが鳴るたびに目が覚め、今日は休んでいたことを思い出してまた眠りに落ちる。その間に妙に色鮮やかな夢を見たり、逆にモノクロの悪夢を見たりもした。


 そこからどのくらい時間が経ったのかはわからなかったが、今度はインターホンの音で目が覚めた。だが、どうしても起き上がれず、申し訳ないと思いつつ居留守を使うことにした。


 インターホンはもう一度鳴り、そして静かになった。再び眠りに落ちかけたところで、ドアの鍵が開く音がして、部屋の中に誰かが入ってきたことに気づく。


 重くなったまぶたを必死で持ち上げ、目を凝らす。部屋に入ってきたのは寮のスタッフの人ではなく、学校の制服を着た誰かだった。まるで影のように、こちらにゆっくりと近づいてくる。


 えっ、


「わ、起きちゃった……」


 嘘だ。


 俺の部屋に、夢にしてはやたらとはっきりした珠希さんがいた。


「珠希さん? なんで?」


「えへへ……ちょっと心配になって?」


 待てよ? この部屋の鍵を持っているのは俺と、紺野先生と、雪寮のスタッフさんだけ。でも珠希さんは誰かに付き添われることなくひとりでいる。いったいどうやって中に入ったんだろうか?


 俺は、泥の中から這い出るようにゆっくりと起き上がる。


「鍵、どうしたんだ……?」


「えっ、っと、な、内緒……」


 当然湧き上がった疑問に、珠希さんは気まずそうに顔を逸らした。でも、まさか珠希さんがこんな空き巣みたいな真似をするはずがないので。


「……夢だよな?」


「そ、そうだね。夢だね、夢だよ」


 俺に指さされた珠希さんはカクカクと頷く。やっぱり夢だ。仮に目の前の彼女が現実だとしたら、髪も顔もボサボサで整えてない姿なんて見られたくないが、夢というなら安心だ。細かいことは気にしなくていい。


「よかったらここ、座って……」


「お、おじゃまします」


 俺が勧めると、珠希さんはスカートを整えながらベッドにそっと腰掛けた。マットレスが沈むのをちゃんと感じる。やっぱり夢にしてははっきりしている。栗色の目がじっと俺を見た。


「大丈夫……じゃないよね。顔真っ赤」


「大丈夫だ。単に熱が高いだけなんだから」


「それってね、大丈夫って言わないんだよ……私には、すごくつらそうに見える」


 珠希さんはえへへと苦笑いすると、俺の荒れた頬に手を伸ばした。ふわふわの手のひらが、冷たくて気持ちいい。頭がぼんやりしてきた。


「大丈夫……このくらいで負けたりしないから……」


 必死に強がっても視界はまるでろうそくの火のように揺れている。寒気がいっそう酷くなってきて、耐えきれず背中を丸めた。今はいったい何度あるのだろう?


「ねえ、環くん。風邪ってね、人にうつしちゃったら治るって知ってる?」


 珠希さんが言う。首を横に振る。


「試してみよっか?」


 珠希さんは流れるように、何かを唱え始める。声が小さすぎてほとんど吐息のようにしか聞こえないが、耳を澄ませると微妙に旋律がついている。


「ねえ、私の目を見て」


 そう言われたので彼女の目を見ると、栗色の瞳を縁取るように藤の花のような薄紫色の光が揺れていた。これは、魔力が反応している時に発せられる魔力光。


 ちょっと待て。珠希さんは、いったい何をしようとしている?


 彼女の顔はどんどん近づいてきて、とうとう喉元に吐息がかかる。これはさすがに、だいぶまずいのでは。


「ちょっと、だめだって」


「それ、私がもらっていくから。もう大丈夫だよ」


「えっ?」


 もらうって、どういうことだ?


 疑問ははっきり浮かんでも、言葉にできなかった。珠希さんが離れると同時に、それごと憑き物を引き剥がされたかのような変な感じが…………


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。