その3 8月5日 平和体感ノ指南
今日はちょっと師匠と会うのは面倒だった。面倒というのは、嫌だというわけじゃなく、昨日、師匠が大切なことをいくつも言ったような気がしているのにまだ消化できていないような気がしたからだ。
でも、こうして家にいても結局することはないし、ちょっと行ってみよっと。
僕 「あの」
師匠「おお。死に損ないの若者ではないか」
僕 「はあ。あの」
師匠「何だ」
僕 「暇なんです」
師匠「おお!今日は悲しくもなく、死にたくもなく、暇だと」
僕 「そういえばそうですね」
師匠「おお。じゃ、そこで積極的にのんびりでもしておれ」
僕 「はあ。のんびり、ですか」
師匠「貴様はのんびりもできんのか」
僕 「いやいや。でも、やれといわれたら難しいだけで・・・」
師匠「不器用者めが」
僕 「しかし、え~っと。今日は本当にいい天気ですね。小鳥もチュンチュン鳴いてますよ。う~
ん・・・これが平和ということですね」
師匠「愚かな。若者の国語力はここまで低下したか」
僕 「え?」
師匠「貴様は、<平和>と漢字で書ける程度の、小学生レベルの国語力だ」
僕 「え?・・・ええっと、そうだ。師匠っていうんでしたよね」
師匠「そうだ」
僕 「ええ~、師匠?」
師匠「なんだ」
僕 「どうして僕が小学生レベルなんですか?僕、これでも学校の成績はいいんですよね。えへへ~」
師匠「ほほう。どのくらいいいんだ」
僕 「ええっとですね、この前の実力テストでは学年で六位でした」
師匠「六位と」
僕 「はい」
師匠「ふむう・・・」
僕 「しかもですね、狙って六位なんです」
師匠「ほほう」
僕 「僕の学校は偏差値があまり高くないんです。だから、目立った成績をとると、いろいろと嫌がらせ
を受けるんです」
師匠「ふむう」
僕 「だから僕は、いつも自分の成績の平均点が八十五点になるように調整しながら試験を受けているん
です。僕の学年では九十点平均くらい採る人が必ずいます。だから、こっそり間違えて調整してい
るんです。わざと間違えたところを正しく答えれば、僕、常に一位になれますよ」
師匠「ふむう・・・」
僕 「これってやっぱり悪いことですかねえ」
師匠「そうじゃない。貴様は、大学進学は?」
僕 「もちろん考えています。僕、法学部へ行って、将来裁判官になるつもりなんです」
師匠「しかし、貴様の高校がこの町でさえいまいちのレベルならば、仮に学年で一位でも好きな大学へ進
学するのは覚束ないだろう」
僕 「えへへぇ~。大丈夫なんです。指定校推薦っていうのがあるんです」
師匠「指定校推薦。なんだそれは」
僕 「その高校の成績優秀者を学校が推薦してくれて、面接だけで大学へ行けるんですよ。それを狙って
僕はわざわざこの高校にしたんです」
師匠「結局、貴様は大学進学のために、選んで高校のレベルを落とした、と」
僕 「そうです」
師匠「愚かな」
僕 「どうしてですか?だって、大学受験の勉強って、やるの馬鹿らしいじゃないですか」
師匠「では貴様は、馬鹿らしい大学受験を回避するために高校三年間を無為にするのだな」
僕 「ええ。受験校に行ったら三年間、受験勉強漬けでしょう?だったら・・」
師匠「で、暇をもてあましている訳か」
僕 「え?あ、まあ・・・。そうなりますね。話の合う友達もいませんし」
師匠「貴様は、最後の学齢期ともいわれる三年間を、本当に無為にしたな」
僕 「どういうことです」
師匠「馬鹿め。まだ気づかないか。貴様は、生涯にわたって有用で秀逸な人間関係を作ることも一緒に捨
ててしまったのだ。たわけ者が」
僕 「・・・」
師匠「高校時代の人脈作りは、階層シャッフルされた中で形成できる最後のチャンスだったのだ」
僕 「え?カイソウ・・・何ですって」
師匠「だから国語力も表現力も、そのレベルで停滞しているのだ」
僕 「え?何でしたっけ・・・えっと、あ、平和が何かでしたっけ」
師匠「貴様は、暴力というものを知っているか」
僕 「え?暴力?」
師匠「そうだ暴力だ。ちょっと待て」
そういうと師匠は机のところへ行った。
そして、右手で細長い棒のようなものを持つなり、それを大きく大きく背中の方まで振りかぶって、真っ直ぐ僕の方へ。グイグイ足早に近づいてくる。5m、3m、1m・・・。
そして近接すると、棒を僕の方へ振り下ろす動作へ・・・
僕 「な、なんですか」
師匠「待て」
僕 「どうしていきなり!やめてください!(ひっ)」
師匠「・・・ふむう」
僕 「ふう・・・」
師匠「貴様は今、どうして防御の姿勢をとったのだ」
僕 「え?どうしてって・・・あれ?それは・・・孫の手・・・」
師匠「そうだ。これは背中を掻いていただけだ」
僕 「孫の手を取りに行ってたんですね」
師匠「そうだ。それだけなのに貴様が暴力を創りだしたのだ」
僕 「ええ!僕がですか」
師匠「そうだ」
僕 「僕は師匠に対して暴力など振るってないじゃないですか」
師匠「だから貴様は平和という言葉を誤用するのだ」
僕 「・・・よく分かりません」
師匠「いいか。暴力は、振るわれるものが存在することが暴力なのだ。振るう側は、いてもいなくてもい
いのだ」
僕 「ええ?逆では・・・」
師匠「うるさい!そして平和は、その逆だ」
僕 「ええ?逆?」
師匠「そうだ。逆だ」
僕 「ん~。ちょっと分かんないんで、教えてくれませんか」
師匠「馬鹿かおまえは。自分で学べ。何でも聞くな。聞いたら直ぐに教えてくれると思うな」
僕 「えええ?」
師匠「これだから小学校で精神が止まる者は困る」
僕 「はあ。すみません。師匠」
師匠「では、一つ教えてやろう」
僕 「え?教えてくれるんですか」
師匠「いいや、全く別のを、だ。貴様は暴力が伴う痛みを知っているか」
僕 「いやあ。僕、親も含めて人と喧嘩したこともないんで・・・」
師匠「じゃあ、少しだけ分からせてやろう」
僕 「え?はあ・・・」
師匠「今から暴力をするから、慣れろよ」
僕 「ええ?暴力を、する?」
師匠「まずは、ビンタをする」
僕 「えええ?」
師匠「よし、目を瞑れ。歯を食いしばれ」
僕 「えっ・・・こ、こうですか」
師匠「よし。いくぞ!」
(ぺしっ)
僕 「・・・?」
師匠「痛かったか?」
僕 「いいえ。このくらいでは全然」
師匠「では次行くぞ。目を瞑れ。歯を食いしばれ」
(ぱしっ)
僕 「・・・・」
師匠「どうだ?」
僕 「いいや。まだまだ我慢できますよ」
師匠「では、思い切ってやる。目を瞑れ。歯を食いしばれ。しっかり食いしばれ」
僕 「いいでふよ」
師匠「顔を少し前に」
僕 「い?くのくらい?」
師匠「もう少し前」
僕 「くのくらい?」
師匠「う~む・・・そのまま後ろへそらして」
僕 「くの・・・」
(ぼすっ)
僕 「ムグウ・・・」
師匠「どうだ。痛かろうが」
僕 「お、お腹・・・みぞおちに・・・」
師匠「苦しかろうが」
僕 「ず、ずるい・・・」
師匠「どうだ。これが暴力をするということだ」
僕 「ううう・・・」
師匠「よし、もうよかろうが。立て」
僕 「な、何するんですか!いきなり」
師匠「すまなかった。おい、青年。お互い、悲しいこともあろう。お互い、死にたくなることもあろう。
だが、一緒に生きていこう。悩みを抱えながら、おまえが、ただ、そのままで生きてくれたら、俺
はうれしいぞ。俺も、生きていかなければ、と、そう思うんだぞ」
僕 「え?ええ?師匠?もう訳が分からないんですが・・・」
師匠「握手だ」
僕 「・・・はあ」
師匠「もっと。ぎゅっと」
僕 「師匠?」
師匠「・・・・・」
僕 「・・・・・」
師匠「・・・・・・・・・・」
僕 「・・・・・・・・・・」
師匠「分かったか」
僕 「はい?」
師匠「これが平和だ」
僕 「はい?」
師匠「・・・放せ放せ。もう放せ」
僕 「あ、すみません」
師匠「忘れるなよ」
僕 「はあ・・・」
師匠「青い空や小鳥の鳴き声は、戦争の真只中でも普通に存在するのだ」
僕 「・・・・」
師匠「戦争や暴力は、受ける側がいれば発生するし、平和は創る側がいなければ発生しない」
僕 「へ?」
師匠「よし、行って良し」
師匠が真剣な目をしたまま顎で外へ促すので、僕はうなだれて外へ出た。
真夏の太陽もセミの声もうっとおしかった。あっという間にTシャツがべっとりになった。
一瞬、鳥の鳴き声がした。どこから?と空を見上げたら、宇宙までつきぬけているような青い青い空だった。吸い込まれるような感覚に、また鳥の鳴き声が心地よく響いた。
う~ん。受ける側・・・創る側・・・よくよくわからないから明日も行ってみよっと。