1863年10月22日 江戸城
1863年10月22日 江戸城
池田筑後守長発は、3大老を前にしても悠然としており、表情ひとつ変えない。まだ27歳という若さであるが偉丈夫であり、なかなかの“イケメン”である。
「…というわけで、池田殿には“横浜鎖港談判使節団”の正使として、フランスへ渡って欲しいのだが…。」
板倉が静かに、そして重みのある声で言った。池田は静かに頭を下げた。
「謹んで、御役目お引き受け致します。」
池田の言葉に板倉は静かに息を吐いた。そして、松平に目配せした。
松平は大きく頷くと、池田に向かって言葉を投げた。
「貴殿らの役目は2つ。ひとつは横浜港の鎖港をフランス政府並びにイギリス政府に認めさせること。もうひとつは先般のフランス士官殺害に対する謝罪と賠償金に関する交渉を滞りなく終結させること。よくよく務めて参るよう…。」
「畏まりました。」
池田は頭を下げたままで返答した。
板倉も松平も、池田の慇懃な態度に安堵の溜息をついた。若者でも、やっぱりしっかりしている奴はしっかりしているんだなぁと、板倉は心の中で笑顔になった。
ふと、池田が頭を上げて板倉を見据えた。
「畏れながら、私からひとつお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
板倉は、ふいを突かれて少し驚いたが、にっこりと微笑みながら頷いた。
「申してみよ。」
「横浜港鎖港の件は、将軍の御意向ということでよろしいのですね?」
「…ん?」
板倉が首を捻った。池田が言わんとしていることがイマイチ分からなかったからだ。
池田は居住まいを正し、背筋を伸ばした。偉丈夫なだけに、背筋を伸ばすと一段と大きく見える。そして、板倉の目を真っ直ぐに見据えて堂々と言葉を発した。
「今まで幕府ならびに将軍は、開国への道を進んでおられたかと思われます。今回の使節団に課せられたる使命は、それとは逆行するものに感じられます。将軍は、攘夷を行うというように御心をお決めになられたと解釈してよろしいか…と尋ねているのです。」
「あちゃ~。」
そう呟いたのは井上である。その井上を板倉が肘で小突いた。
「将軍は先の上洛において、帝に対して攘夷を約定しておられる。今回の使節団派遣もそれに基づくものである。」
松平が堂々と答えた。その答えを板倉は横で“ひやひや”しながら聞いている。嫌な汗が“すっ”と背筋に流れ落ちる。実際には攘夷など微塵も考えていない、失敗する前提の使節団だよ…なんてことは、本人を前にして口が裂けても言えない。
松平の回答に、池田は静かに微笑んだ。
「そうですか。将軍もようやく攘夷の御決意を…。」
その池田の言葉に、今度は板倉がひっかかった。
「池田殿は、外国奉行であるのに攘夷を望んでおられるのか?」
すると、池田は大きく頷いて見せた。
「このままでは、諸外国に日本が呑み込まれてしまいます。日本は神国として独自の文化を守っていくことが肝要かと…。」
池田の言葉に、板倉と松平がお互いに顔を見合わせた。
「お~。同意見。」
井上が嬉しそうに小声で口遊んだので、今度は松平が肘で小突いた。
「…池田殿は、外国奉行の任にあたっていることを自覚されているか?」
板倉が怒りの感情を必死に抑えながら言った。若干だが声が震えている。
しかし、そんなことは気にも留めない様子で池田が言った。
「はい。外国奉行という仕事は、諸外国の脅威からこの日本国を守ることにあると心得ます。攘夷とは日本国を守るひとつの手段、思想であると私は思います。」
「諸外国が攻めて来たらどうするおつもりか?」
松平が尋ねた。すると、池田は凛として声を張った。
「武力による侵略は武力で止めることができます。これから我らは軍艦を買い、砲台を揃え、反射炉を造り…そうやって諸外国から仕入れた技術と武器によって身を固めていくことにより国防策を強化します。このように武力による侵略は、武力によって防ぐことが出来るのです。しかし、侵食された文化というものは元には戻りません。清国がアヘンによって骨まで腐らされたように、日本の文化も廃れる危険性が高い!それは是が非でも阻止しなければなりません。我々日本人の誇りに懸けても、諸外国の横暴を止めなければなりません。」
「そうだよね~。池ちゃん良いこと言うじゃん。」
熱弁を振るっている池田に井上が同意して頷いている。首肯している井上を、板倉と松平が両側から井上の太ももを抓った。井上が下唇を突き出して、苦悶の表情を浮かべている。
「では…日本文化侵食を防ぐ手段として、横浜鎖港の件は期待してよろしいのだな?」
松平が尋ねた。池田は大きく首を縦に振った。
「お任せください。この池田筑後守長発、身命を賭して談判して参ります。」
そう言った池田の顔は、とても清々しい表情をしていた。板倉は、その笑顔をとても眩しいと感じた。
池田が退出したあと、板倉と松平は大きく溜息をついた。
「…若いね。」
板倉が“ぼそっ”と呟いた。松平も小刻みに頷いている。
「我々は付いて行けなくなりましたね、若者の考えというものに。彼の考えていることが浅はかとしか思えない…無謀で、粗野で…。老いるということは、実に哀しいことですね。」
「池ちゃんの考えは正しいですよ。」
井上が2人の会話に割って入った。板倉が井上の方を見る。
「だからさぁ、幕閣の人間が攘夷に賛同しちゃダメなんだって!幕府はあくまでも開国路線なんだから…。彼は外国奉行なんだよね?外国の文化とか兵力とか、今の我々と比べてどれくらい差があるか、知ってるんだよね?ね?」
「いやいや、でも今は形式上では幕府も攘夷路線に変更したことになって、それで使節団の正使をお願いしたんでしょ?池ちゃんがああいう発言をするのも、おかしいことじゃないでしょ??」
井上の意見に、板倉は押し黙った。確かにそうなのだ。松平も井上の言葉に大きく頷いた。
「言われてみれば井上殿の言う通りかもしれませんが…。しかし、それにしても池田殿も外国奉行としてアメリカやイギリスの軍事力などは理解しているはずですけどね…。それでも軍事力で対抗できるという考えはどうも…。」
松平は首を捻った。板倉は大きく手足を投げ出して、大の字に寝そべった。
「何かさぁ…俺たちがビビリすぎなのかねぇ?アメリカとかイギリスとかフランスにさぁ…。」
「いやいや、薩摩藩の話を板さんも聞いたでしょう?鹿児島の10分の1が焦土と化したんですよ?今の我々の軍事力じゃ、太刀打ち出来ないですよ。諸外国に太刀打ち出来るほどの軍事設備・技術を身に着けるためには、まだまだ数十年はかかりますし…。」
「そうですかね?俺たちには大和魂ってもんが…。」
「お前は黙ってろぃっ!!」
板倉が拳を振り上げて井上を一喝した。井上は肩を竦めてみせる。
松平が大きく嘆息した。そして、天上を仰いだ。
「まぁ…彼に任せましょう。今回の使節団の使命は横浜鎖港の談判…。それにはあの熱血漢が適任でしょう。」
松平の言葉に、板倉も井上も頷いた。
江戸城の庭は太陽の光を燦々と浴びて光り輝いている。それはまるで、さきほど池田がみせた笑顔のように鮮やかで清々しい景色だった。
遠くで、鳥の囀りが聞こえる。