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スフィンクスと記念撮影した男たち  作者: 明智龍之介
第2章 上海
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1864年2月3日 天竺

1864年2月3日 天竺


天竺観光がひと通り終わって、帰りはカヌーに乗ってアルベートル号に戻ることにした。釈迦生誕の地の観光は、それぞれに感じるモノが違ったようだ。西方浄土を肌と心で感じた者もいれば、仏教文化が廃れていく天竺を嘆く者もいた。様々な想いを胸に、一行は帰路に着いている。

「カヌーというのも、これまた風流なものですな。この原始的な、ゆらゆらと揺れる感じが何となく天竺の雰囲気に合ってますよ。」

河津が、しみじみと言った。このカヌーには河津、池田、塩田、横山の4人が乗り合っている。船頭と思われる地元の若い男が、棒切れを使って上手にカヌーを漕いで前へと進めている。

大きな夕日が海に沈んでいく。その落日を池田は感慨深げに見つめていた。その沈みゆく大きな夕日は廃れた天竺を映したものなのか、それとも諸外国に取り残されていく日本を象徴しているのか…。

「そんなシケた面してんじゃねぇよ。」

横山が吐き捨てるように言った。池田は少し“ムッ”として横山を睨み付けた。

「人が郷愁感たっぷりに夕日を見つめてるんだ。邪魔をするな。」

池田の言葉に、横山が含み笑いをした。

「何をnostalgicなんて感じてるんだい、お奉行さんよ。これからあんたはフランスに乗り込んで行くんだぜ?あの皇帝ナポレオンと対峙するんだ。日本を出てくるときのあの勇ましい攘夷論はどうした!?」

横山の言葉に、池田は俯き黙った。

正直、池田は自信を失っていた。本当に日本が取るべき道は、横浜港を鎖港することなのだろうか…。攘夷を実行して外国船を打ち払うことなのだろうか…。天竺まで来る道のりの中で、驚かされることがどれほどあったことか。日本はこのままでは諸外国から取り残されてしまい、やがては諸外国の大きくて進んだ文化に侵食されていくであろう。そんな状況の中で自分は、横浜港鎖港の談判をしようとしている。これが本当に正しいことなのだろうか…自分たちが本当に日本人としてやらなければならないことなのだろうか。池田は悩んでいた。

横山は、じっと俯いている池田を黙って見つめていた。そして、軽く池田の肩を叩いた。

「あんたの考えが正解だよ、お奉行さん。」

その言葉に、池田は“はっ”として顔を上げた。だが、それ以上何も横山は言わなかった。横山も沈みゆく夕日を眺めている。


その時だった。

急にカヌーが止まった。4人が驚いて顔を見上げると、船頭をしていた若い男が棒切れを構えてこちらに何かを叫んでいる。言葉は分からないが、ものすごい剣幕である。一体何が起こったのか、言葉が分からない池田達はただ茫然とするしかなかった。

「…金を要求されているようですね。」

塩田が言った。“えっ”と驚きの声を他の3人が上げた。

「何言ってやがんだ!乗るときに全額ちゃんと払っただろうが!!」

横山が怒鳴り散らしている。河津も困惑した表情を浮かべて池田と顔を見合わせた。塩田が大きく身振り手振りを交えながら現地の若者に向かって何やら話してくれているが、若者は強気な姿勢を崩していないようだ。唾を飛ばしながら塩田に何やら叫んでいる。

塩田は頭を掻きながら、戸惑った表情を浮かべたままで言った。

「困りましたね。“もっと金を支払わないと、本船に着けない”と言っています。」

4人は無言のままカヌーの遥か先に見えるアルベートル号を探した。胡麻粒のように小さい影が見える。かなり遠い。

「…あそこまで泳ぐのはキツいね。」

池田が言った。河津も大きく溜息をついた。体力的にもキツいのもそうなのだが、この海にどんな生物が潜んでいるか知れないというところも難点だった。そんな危険を冒してまで泳ぐという選択肢を取るわけにはいかない。

「我々で漕げますかね、このカヌー。」

河津が足元を指差しながら言った。しかし、塩田は首を横に振った。

「いや、それは止めた方がいいでしょう。もともとこのカヌーはフランス軍の所有物ではありません。あの青年のものです。それを借用している我々としては、選択肢は残されていないか…と。」

塩田が諦め顔で言った。池田もゆっくりと頷いた。

「そうだね。このままここに居続けるわけにもいかないしね。」

「では、いくら払えばいいか聞きましょうか?」

塩田の言葉に、池田が頷こうとしたその時だった。


「どぅりゃぁ~!!」


突然、横山が高々と跳び上がり、抜刀して刀を振り下ろした。若者が持っていた棒切れが真っ二つに唐竹割りされ、若者は驚いた拍子にバランスを崩して海へと真っ逆さまに落ちた。

「俺たちを誰だと思ってやがんだぃ!!日本国から正式に派遣された使節団御一行様だぞ!!ツベコベ言わずに早くカヌーを動かせってんだぁ!!!」

横山は日本刀を突き付けた。横山の鬼気迫る勢いに青年は海面上に顔だけ出した状態で震え上がっている。横山は、二つに割れた棒を青年目掛けて投げ捨てた。

「さっさと漕げ!それとももう一撃この日本刀が欲しいか!?今度は棒じゃなくてお前の頭が真っ二つに割れるぞっ!!」

青年は何か叫ぶと、慌ててカヌーに乗り込んできた。そして、2つに割れた棒を使って器用にカヌーを漕ぎ始めた。


その場に居合わせた3人は呆然自失として横山を見つめていた。横山は3人と目が合わないようにわざと夕日を見つめている。そして、照れ隠しのために大きく咳払いをした。

「どうだ?日本刀の威力が海外に初めて轟いた瞬間に立ち会えたんだぜ、お奉行さん方よ。もっと嬉しそうな顔してくれよ。」

横山の言葉に、3人は大声で笑った。


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