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スフィンクスと記念撮影した男たち  作者: 明智龍之介
第2章 上海
15/18

1864年1月17日 香港

1864年1月17日 香港


香港に到着したところで、再び船を乗り換えることになった。今度は郵船アルベートル号に乗船することになるようだ。

大きい荷物を担ぎながら、田中が池田に声を掛けた。

「そう言えば、酒樽見つかった?」

田中の言葉に、その時になって改めて池田は酒樽の存在を思い出した。上海を出港する前にあれほど騒いでいたのに…すっかり失念していた様子だった。

「あ、あ~っ!!そう言えばそんなこと言ってたね…。あれれ、何処行っちゃったんだろう…?」

「倉庫、探さなかったの?」

田中の言葉に、池田は声を詰まらせた。探すどころか、酒樽の存在自体忘れていたのだが…そんなこと、この田中になんて恥ずかしくて言えない。

「ま…まぁ、どこかにあるでしょ。きっと。ほら、無くし物って探してる時には出てこないって言うじゃない?今探してもきっと出てこないよ、うん。」

そう言って作った池田の笑顔は、どこか寂しげだった。


「さて、香港に来ましたから、ここでお金をポンドに替えましょうか?」

通訳の塩田が言った。一同の足が止まる。

「えっ!?両替すんの!!?」

田中が素っ頓狂な声を出した。塩田が頷く。

「みなさん、このまま銀貨を持っていたら重くて大変でしょう?ポンドなら紙幣がありますから、軽くなって楽ですよ。」

「…シヘイ?」

池田が首を傾げた。塩田が頷く。

「はい。紙のお金です。」

「紙ぃぃっ!!?」

また田中だ。大きな荷物を背負いながら、あたふたしている。

「紙がお金なの?そんなの大丈夫なの!?詐欺じゃないの!!?」

「ダマらっしゃい!!」

河津が叫んだ。河津は田中の金切り声がいちいちひっかかる。

「こういうことは塩田君に任せておけばいいのだ。彼はこの中で誰よりも外国に精通しているのだから。」

「ええっ!!?だってお金の話しだよ?両替して損するかもしれないじゃん。損してないって、しおたんは証明出来るの!?ねぇ!!!」

田中の言葉に、塩田は腕組みをして唸った。

「損してないかどうかっていう話しは難しいですね。そもそも1メキシコドルが3分銀に両替出来るというレートが日米修好通商条約で決められてしまったんですよ。そうすると4メキシコドルが12分銀になりますよね。この12分銀は小判3枚に相当するんです。でもですね~、この小判3枚の金の含有量は12メキシコドル相当なんですよ。だからそもそもの基本レートで損してるんです、日本は。最初に条約を結んだ時にアメリカに押し切られてしまいましたからね~。ですから1ポンドが4メキシコドル30セント相当の…。」

「塩田君、もういいよ…。」

池田が言った。レートのトリックは全く理解出来なかったが、塩田が一番レートに詳しいということが、その場にいた誰にも理解出来た。


アルベートル号の中も、清潔で広々とした空間が広がっていた。

「あ~!!みんな、見てよ!」

田中が子どものようにハシャギながら、ひとつの部屋を指差している。一同がその部屋を覗くと、感嘆の声が漏れた。

「ね?すごいでしょ~!お風呂があるんだね~!!」

モンジュ号でもヘータスツ号でも浴室というものは設置されていなかったが、このアルベートル号にはあるようだ。

日本人はみんな、お風呂が大好きである。

「やっと風呂に入れるのか!」

河津が叫んだ。そして、珍しく小躍りしている。

「懐かしいですね。日本にいる頃には最低でも朝と夕方の2回入浴してましたもんねぇ。船の上じゃ入浴は諦めてましたけど…。」

池田が、しみじみと言った。日本を離れてからもうすぐ1ヶ月が過ぎようとしている。そのことを改めて感じさせられた。

「私は1日に4~5回は入浴していたぞ!」

河津が訳の分からない自慢をしている。それだけ風呂好きだということなのか、それとも体が垢だらけということなのか…想像するだけでオゾマシイ。

「入っていいのかなぁ~どうなのかなぁ~。」

羨望の眼差しで田中が塩田を見た。同じように他の面々も塩田を見た。

「では、船長に掛け合ってきましょうか?」

塩田が言うと、一同から歓喜の声が上がった。

「私も行こう。」

そう言って、池田と塩田が船長室へと向かった。

「Excusez-moi. Je voudrais prendre un bain, pourriez-vous s'il vous plaît me donner la permission?」

塩田が流暢な外国語を話している。池田にはそれが英語なのかフランス語なのかオランダ語なのか全く分からないが、おそらく“お風呂入っていい?”と聞いているのだろうということだけは分かった。

「Bien sûr。」

船長と思しき大柄な男が、笑顔で頷いてくれている。塩田も嬉しそうに池田の方を振り返った。

「いいそうですよ。よかったですね!」

池田は安堵の表情を浮かべて、船長に手を差し出した。

「テンキュー!」

拙い池田の英語でも、船長は笑顔で池田の手を握ってくれた。その池田に、船長がゆっくりと言葉を掛けた。

「Si vous tordez un robinet, l'eau chaude sortira. S'il vous plaît ajuster la température vous-même.」

「あ、は~ん。」

池田は笑顔で頷きながら、すぐに塩田を見た。

「あんだって?」

「水道の蛇口を捻ればお湯が出るそうです。お湯の加減も自分で自由に設定出来ますよ~と言っていますね。」

塩田が通訳してくれた。その言葉に、池田は目を見開いた。

「えっ!?お湯が出てくるの!!?水じゃなくて?」

「はい。そう言ってますね。」

池田は身体を仰け反らせて驚いて見せた。

「日本だと釜で火を焚いて湯を沸かすんだけどね。一体どういう仕組みなの?」

池田が疑問を口にすると、塩田が通訳してくれた。

「仕組みを教えてくれるそうですよ。付いて来いって言ってます。」

池田と塩田は、船長の後ろを付いて行った。


案内された先は、様々な機械やら管やらがある場所だった。船の底の方なのだろうか…階段を下りる距離が異常に長かったことだけは池田も分かった。

「ここにある機械で海水を汲み上げて、それをお風呂用の水として利用しているようですよ。」

船長がベラベラと説明してくれているのを、塩田が通訳してくれている。池田は“ほぉ~”という間抜けな声を出した。

「ん?でもでも、海水は水だよね?それをどうやって温かくすんの?」

池田の質問を塩田が通訳する。すると、船長が何かの車輪のようなものに手を掛けた。そして、それをゆっくりと回した。

その時、“ブシュ~!!”というとてつもなく大きな音が鳴った。池田も塩田も腰を抜かしてその場に倒れ込んだ。

「な…、今の何!?雷!!?」

池田が叫んだ。腰を抜かした2人を見て、船長が笑っている。

「…蒸気管というらしいですよ。燃料を焚いて出来るものらしいです。凄い強い力と熱を持っているので、それを使って瞬時に海水をお湯にしてしまうらしいです。」

塩田が船長の言葉を通訳してくれた。池田はまだ腰を抜かしている。それくらい大きな、聞いたこともない音だった。

「…ジョウキ?…そう言えば昔、アメリカのマシュー・ペリー提督が蒸気で走る何とかっていう玩具を持ってきたとか、先輩から聞いたような…?その蒸気と同じなのかな?」

おそらく、と塩田は頷いた。倒れている池田に、船長が優しく手を差し伸べてくれた。そのがっしりとした腕にしがみ付き、池田はようやく立ち上がることができた。


「Avoir un bon temps de bus !」

笑顔でそう言いながら、船長が手を振っている。何と言っているかは全く分からないが池田はにこやかに手を振り返した。塩田も手を振って、その場を後にした。

「いや~すごいですね。私も蒸気管は初めて見ましたよ。」

はしゃいでいる塩田の横で、池田は静かにひとり考えていた。

“やはり、日本という国は遅れているんだな…。”

まさか、お風呂のことでこんなことを実感するとは思っていなかった。


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