シリアスとかコメディとか
なろうにとって重要なキーワードは「楽しい」だと思う。何をいまさらと。ああこれ以前から避けていたのは2つあると分かったからです。実際は1つです。ただどうも笑えると境界線が曖昧な楽しいが別にあると気が付きました。多分それは本筋の楽しいと繋がってるのですが、とりあえず分けた方が良いと思ったので今になってやっと扱えるようになったわけです。
何度も書いてますが多分これなろうのノーストレスのテーマになると思います。どうしてつながってるか?と言うと楽しいがライト感につながってるなと。そして以前から書いてるようにリラクゼーションとは違う本人の精神状態が癒しを生む根底が楽しいって感情だと。なるほどなろうがノーストレスと繋がりやすいわけが分かると。
アニメ視聴者となろう読者のズレがここにあります。作品を見て楽しいと直接楽しいが内容になってるのがなろうかと。
扱いが難しいのが笑いと楽しいの境界線が曖昧なものです。これがピンと来なかったのですが、麻枝氏の作品を見ててこれじゃないかな?と思いました。泣けるを期待してみる古参のファンとアニオリのエンジェルビートは新規のファン層と別れました。麻枝氏の作品は泣けるに失敗してもまあ楽しめる作品に生まれ変わったのじゃないか?と。
神様になった日って悪い意味で古い麻枝氏の流れに忠実すぎたのじゃないか?と感じています。じゃ何故古参の人は?まあそれは2つほど理由があります。基本ゲームとアニメは違います。ほぼ小説まがいのエロゲですが、一応分岐を操作します。これが意外とやりこみ感がある。私はエロゲはほとんどやったことは無いですが、この分岐ノベルは元となった弟切草かまいたちの夜をやってるので流れ自体はそれなりに把握しています。
アニメよりは十分にキャラに入り込みます。アニメで初めてってのはディープな層では少ないと思います。ディープじゃないなら私がそうですけどね。この人たちから見ると麻枝氏の手法だとゲームのようにじっくり接した長い時間の日常が無いと無理だと。アニメでちょろっとだけ壊れる前の日常を描いてもその破壊に対して共感できないとなるわけです。
1クールじゃ無理じゃなくて麻枝氏の手法だと1クールじゃ無理ってなってました。そこで考えてみたのはABやシャーロットって元々違う面で食いついた非エロゲの新規のアニメ層じゃないのか?とそもそも泣けるでくいついた古参のファンじゃないのかも?と、まあいろいろ泣きEp入ってますけどね。ただイザナミさんもだけど1話ぐらいの単発EPなら麻枝氏悪くないんですよ。
それらとコミカルコメディな回を交えてやるならまあ見れなくもないと。そこで寒いギャグがと言う人が居るのですが、笑いなんて千差万別。総スカンほどひどい物ってそうないです。それより根底に違う部分を刺激してるのじゃないか?で楽しいって空気感は成立してると思うんですよ。多分これが今回出てきた笑えると楽しいの境界線だと見てるんですよ。
おっとそっち突っ込む前にもう1つ。まあ泣けるでいまいちな面もありますね。クラナドは見事過ぎた。麻枝氏って一貫してパターンがあって、親子の邂逅ってのが受けてて、実際美少女が死ぬってシーンは万人受けしてるわけじゃないんですよね…。今回も指摘はありましたが、イザナミさん親子の話は泣けたって人多かったです。関係性の絡みを描くのが上手いんですよね。長くても短くても旨いので、これは得意のパターンなんでしょうね。
まあKEY作品を語るがテーマじゃないのでこの辺りに。
さてもう1つの楽しいに移ります。なろうのザマァとか復讐譚とかあれシリアスだと思うんですよ。勧善懲悪的悪党退治も含めて。まあ根底はむかつく奴ぶっ飛ばすですが、それが善人だと読者受けが悪いからってのがあります。んでね、これ反撃されたりするとむっとするわけです。コテンパンが理想。根底がバトル物じゃないんです。
だからチートなんです。そもそもアニメとなろうって見たいものが違うんじゃないか?とは思います。この根底はまあ楽しいなんですよ。通常シリアスとされる物語旁なのに、何故この部分スルーされるか?で最初からそんなものが目的じゃないからです。はらはらドキドキのバトルが目的じゃないわけです。
実際はバトルを楽しませたいって作品も多々ありますよ。だからこそなろうは作品ごとにコンセプトスラ違うのでノーストレスの管理なんて滅茶苦茶でなろうはこうだと統一した話はできないとずっと書いています。ただ根底の部分ならこうやって語れます。共通項じゃないです。シリアスとコメディの部分とマッチする形でチートを語れるわけです。
そしてコメディとライトをつなぐのも笑いと楽しいの境界線と近いものを感じます。ライトは楽しいと結びつき安いですね。
再度楽しいと笑えるについて書くと、私このすばが受けたの不思議で仕方ない。このすばの笑いのかなりの部分は今のなろうへの冷えた部分があってこそ成り立つ部分が多いのです。とうじまだなろうがアニメの新機軸としてやっていた時にこのすばは登場しています。だってこのすばってなろうパロがネタの大半なのだから何故これ楽しめるんだ?と不思議になってました。
この謎を解くのが楽しいと笑えるの境界線だなと。イマイチ笑えるでパロとしては笑えなくても、このすばが持ってるライト感楽しいは十分楽しめるのじゃないか?です。後なろうに限らす異世界ファンタジーってのものへのパロっぽいキャラたちが居たのも大きいと思います。特にヒロインはなろうに限らないでもパロが成立していますし、そもそもめぐみんは中2病からの移植みたいなものですから。
他にもまあなろうパロ関係なく楽しめるギャグも数多いです。ただイマイチ笑えるツボが分からなくてもそこ流せるぐらいは楽しいは成立していたと思います。このすばは楽しいが上手い。そして、なろうの中では成立するチート楽しいが、多分外ではあまり成立しないからたたかれてしまうのかと。
これもABと似てるのですが、エロゲからじゃない新規のファンは楽しいが軸だったとすると分かるんですよ。バトル物としてみてくそつまらんチート最強主人公なども、ABみたいにはいってきた層にはそこそこ受けてんじゃないか?と。それ笑われてるだけと決めつけてる人が多いのですが、なんというかそういうのって綺麗に区別できるのかな?と思う部分があります。
実際はできるのですが、すごい評価は低いが評価数だけは多いって作品ってあることはあるんですよ。なろうだとそういうの高得点になってしまいますが。なろうアニメってそういう感じじゃないんですよね。その感じだとなろうってレッテル張りによってまともな人は次から見ません。一時的な話題だから食いつくだけで大多数の人はそういった作品を継続して見ません。
絶賛はあり得ないが、とりあえず見るかとしてライト感の根底にある楽しいはかなり重要じゃないか?と見ています。リラクゼーションとは違う消極的な癒し。リラクゼーションと何が違うか?と言うと神経質までに癒そうと気を使われるからです。
笑えなくてもいいって開き直りじゃなくて、笑いなんてのは満場一致の笑いなんて中々ないわけです。だから統一的な見解として笑えるか?笑えないか?に拘ると良くないんですよ。笑える人それなりにいるのに笑えないって人間がセンスわるいとか沸点低いとか攻撃して無茶苦茶にするんですよ。
そんなもの基本人によるって片づければいいんですよ。笑えるはばらけやすいんですよ。そういったそれなりに笑える層を包み込むように楽しい空気感は感じてる層でまとめればいいんです。